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門下録

三十二.

「加藤ではないか」
 その一言をどの機に発するか。
 そればかりを考えながら、誠四郎は焼け落ちた道場の土を踏んだが、その時は来なかった。道場の奥でこちらを向いて立っていた加藤と先に目があい、たじろいでしまったのである。
「何の用だ」
「……近くに来たのでな、」
 先手は加藤に打たれ、誠四郎はすぐに頭を切り替えようとしたが、自分の声は驚くほど動じていた。
「ふと懐かしくなって寄ったのだが……」
「ふん」
 加藤は口角を上げて、誠四郎の言葉を遮った。
「白々しいことを言う。
 立ち寄っただけならば、なぜこそこそと隠れて人の出入りを確かめていた?」
 気づかれていた。
 加藤の口調が荒いのは、今朝のことに腹を立てているせいではなかったらしい。こうなっては、うそぶかずに話すしかないだろう。
「お主こそ、ここで何をしておる」
「はっ! 何をしようと貴公の知るところではあるまい!」
 加藤の貴公と言われたのは初めてのことだ。それも、貴様ならまだしも貴公では意味合いが変わる。多分に軽蔑を含んでいた。
「どうしたというのだ、加藤」
 誠四郎は加藤をなだめるように言った。
「……」
 加藤は何も言わず、ただこちらを見ている。
「ここで何があった?」
「……何もなかったさ」
「何もなくて何故道場が燃える?」
「ここは昔から空き地なんだよ。道場など存在せん。
 書き換えられた藩史においてはな」
 お前は何も知らない。
 加藤はそう言った。
「加藤、何があった?」
「知ってどうする」
「どうするつもりもない。
 私はただ知りたいのだ。私が何気なく暮らしてきたその背後で、親しかった者たちが何を犠牲にしてきたのか、知りたいだけなのだ」
 誠四郎は、加藤の目が涙ぐんでいることに気づいた。影になってほとんど顔が見えないが、気のせいではない。彼の持つ純粋な無念がそうさせているのだ。
「話せば……。俺はお前を生かせて返せぬ」
「……何故そうなる?」
「北見派は滅びたわけではない。飯原派に見つからないよう、細々と生き延びている。俺もその一端だ。お前に話したことの一つがどこかで漏れないよう、俺はお前を殺さねばならない」
「漏らすものか。何ひとつ、誰にも、話さぬと誓う」
「お前の意志など関係せん。第一、お前には隠密方とやらの影がすでに伸びているではないか」
 否定はできなかった。さかのぼれば、道場をやめた半重とつながっていた時から、誠四郎は隠密方との関わりを持っている。そしてその関わり合いは、半重の死を耳にした時より、日を増すごとに濃くなっているのだ。
 誠四郎がそのように感じているということは、隠密方にとっても誠四郎は深入りしている人物なのだろう。もしかすると、隠密方にさえも誠四郎は監視されているかもしれない。
(だが。なればこそ、なおさら聞かずにおれん)
 腹をくくるしかなかった。
 加藤に命を狙われることになったとしても、乗りかかった船はすでに岸を離れ始めている。ここで船に乗り込まねば、夕闇に包まれた対岸の真相はまたもや暗闇に消え去ってしまう。
「それでもかまわん。
 お主とやり合うことになったとしても、私は知らねばならぬ。
 お主同様、私も引けぬのだ」
 二人は一歩も動かずににらみ合った。
 しばらくして、加藤は誠四郎に聞こえるか聞こえないかの乏しい声量で、そうか、とつぶやいた。
「……この道場は、北見派とは直接のつながりはなかった」
 加藤は背を向け、表情を隠して話を始めた。
「深山先生が俺のような孤児(みなしご)を集め、怒りの矛先として剣術を教える。そのための場所だったのだ」
「孤児? お主には両親がいたのではないのか。七人の兄弟とともに」
「全て嘘だ。俺が苦し紛れについた。あいつらも兄弟でもなんでもない」
 皆それぞれが孤児だったと加藤は言った。
「親たちは皆、飯原派に殺された。
 佐久間道場が、深山道場と親交を深めたのは我々を監視するために他ならぬ。佐久間道場のやつらは、表向き親密なふりをして、恨みを抱いた俺たちが挙党するのを恐れていた」
「馬鹿をいうな、加藤。
 私も半重もそんな話は聞かされたことがない」
 少なくとも、道場に出入りして稽古に躍起になっていたころは、試合以外の目的をもっていなかった。
「お前たちはそうかも知れん。
 だが少なくとも、あの男はそうではなかった」
「あの男? 新沼殿のことか?」
「いや。違う。新沼も倉橋も山口も、あのころはただの門下生だった。知るはずもない。
 俺たちの親を殺したのは、佐久間万学だ」
 加藤がぐっと力を込め、誠四郎は息が詰まった。
 半重や新沼が人を殺していたというのは、逃れようのない、既に受け止めた事実であった。だが、加藤の口からは吐き出されたものは、更に重かった。誠四郎は足元がぐらりと揺れた気分になった。
「信じるかどうかはお前に任せる。だが少なくとも、俺はこの場所でお前に嘘を教えるつもりはない。俺との繋がりを絶ってでも知りたいと言う、お前の意志に対する礼儀としてだ」
 加藤は事実から目をそらすなと言っているようだった。
「もっとも、俺たちも貴様らの師が親の仇などとは思ってもいなかった」
 加藤が続ける。
「十年前のことだ」
 普段どおりに稽古をしていると、加藤は道場主の深山に呼び出された。そして、その場で告げられたのである。親の敵が誰であり、この道場の意義が何であるかと。
「無論、最初は信じなかった。
 佐久間万学は名も人柄も熟知している。長年の友たちの師を、いきなり疑えるものでもない」
 しかし、冗談でないことも察していた。
 親代わりにずっと面倒を見てきてくれた道場主の言葉である。無知な自分の先入観以上に、信じなければならない言葉だった。
 深山は最後にこう言った。
『この先どうするかは、里岩平太。お前に任せる。
 だが、佐久間道場の門下にいる者には、いずれ師である万学と同じ道を歩みだす者がでてくるだろう。お前のような悲しみの種を増やさぬよう、彼らを見張る道もある。もし、その道を歩みたいというのであれば、お前に用意してやれないことはない』
「……悩んだが、俺はその道を断った。
 やはりすぐには信じられなかった。それに、結局、権力者の道具に使われるだけなら同じことだ」

続く