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門下録

三十三.

 道場を権力者の争い道具にするような意思を受け継ぎたくはない、とその時の里岩平太は考え、深山道場から姿を消した。
 しかし、それから一年が経ったころ、再び城下が荒れ始めた。一度は水面下に収まった北見派と飯原派の争いが、再び表沙汰になり始めたのである。
「世の中は結局、深山先生の言葉通りになった」
 北見派の人間、つまり加藤の周囲の人間が相次いで殺された。誰の手によるものかは考えるまでもなかった。
 北見派も黙っていられなかった。
「ある晩、俺は深山先生を訪ねた」
 ろくな役も貰えず、食い扶持に悩んでところ時でもあったし、殺された者の中には深山道場の旧友もいた。
 深山は里岩に、目付け方に入って隠密方の内情を探れと言い、里岩は加藤治兵衛の婿養子として目付け方に入り込んだ。
「数ヶ月が経った頃、」
 加藤が天を仰いで言った。
「道場が燃えた」
 北見派の一同が揃う会合を狙っての荒事だった。
「北見派の会合は、毎回場所を変えていた。その一つが深山道場だったが、ある筋から情報が漏れて、北見派は一網打尽にされた」
 凄惨な現場だったと加藤は言う。
 隠密方は道場に火を放つと、出入り口を固め一人として外に逃がすことなく、集まったものを皆殺しにした。道場の中は業火に焼かれ、外は斬りあいだった。もちろん、隠密方だって全員が無事だったわけではないだろうが、すくなくとも火事場から見つかった遺体は二十を越えた。
「犠牲者の中には、深山先生もいた」
 誠四郎は加藤の無念を察したが、かける言葉は見当たらなかった。
 瓦礫の下からいくつもの手が生えていたその様を目の当たりにして、半重は、千手観音の手が地面から生えていたと語ったに違いない。火を放った者が誰かは分からないが、半重も間違いなく戸口に立っていたのだ。
(それが、半重にとって一番の罪念だったのか……)
 誠四郎は寒くなって腕を組んだ。
 陽はもう山の向こうへ消えて、東から広がって来た藍色が一番星を手中に収めている。
「北見派の力はあの日までが最高潮だった。いまもなお、派閥としての活動は続いているが、中心に居た者達はあの火に殺されて、ろくな活動をしていない。言ったとおり、この道場もいまやただの空き地だよ。
 だが、それでも俺は、俺がこの役目についたのも北見派あってのものだ。
 深山先生や仲間たちに報いるためにも、この役目を続けていかねばならん。
 北見派が再興し、飯原派を排する日までだ」
 加藤はそこで話を終えた。
「……加藤」
「これ以上は話すことはないぞ。
 お前も自分の身が可愛いだろう。
 ここへは寄らなかったことにして、さっさと姿を消した方が身のためだ」
 話し始める前は生きて返せぬと言ってきた男が、ここへ来て逃げろと言い出した。これ以上の危険に巻き込みたくない気持ちの表れか、あるいは聞かれたくない秘め事があるのか。
 加藤の言うとおりに今逃げれば、何事もなかったかのように振舞えるのかもしれなかった。だが、それ前にひとつだけ、どうしても確かめたいことがある。
「……加藤。
 倉橋や新沼殿、それに山口が死んだ時、お前はどう思った?」
 誠四郎が聞くと、加藤は体重を乗せていた足を、右から左に入れ替えた。
「何だ? お前、俺を疑っているのか?」
「そうではない。
 だが、三人はお前にとって仇だったのだろう?」
「……お前には悪いがな。正直、ざまみろと思ったさ」
「そうか」
「だが、手をかけたのは俺ではない。俺は死体を検分するだけの男だ」
「手をかけていたのは、北見敏朗ということか?」
「……大概はな」
 言いづらそうに、加藤が吐いた。
「さあもう行けよ。
 あと四半刻もすれば、北見派の面々がここに来ることになっている。早い奴はもうすぐ来るだろう。お前と鉢合わせれば、本当にお互いの命が危なくなる」
 北見敏朗の行方が知りたければ、いずれ文で伝えてやる。
 加藤はそう付け足すと誠四郎に背を向けた。
「……小山屋敷が焼けた日」
 なおも誠四郎は、その背中に呟いた。
「何?」
 加藤がしかめっ面をこちらに向ける。
「小山屋敷が焼けたあの日。町で私を見かけたといったのは嘘だな?」
 二人の間に不気味な静寂が漂った。
 加藤は誠四郎の顔をなめるように見た。
「何故そう思う?」
「見覚えのある顔だ、お前は私を見かけた時のことをそう話していた。
 だが、そこまで佐久間道場門下生の動向を気にしていたなら、たとえ私が隠密方にいなかったとしても、見覚えどころではないはずだ」
 小さな矛盾をつかれ、加藤は呆れたように鼻で笑った。
「……確かに。
 あの話しは嘘だ。話を盛り上げただけだよ」
「……。
 あの時は何処にいた?」
「盛り場で飲んでいた」
 嬉くない答えだった。
 誠四郎の顔を覚えていたかどうかなどの軽い思い違いで済ませられる話を、加藤はわざわざ話しをすり替えて、問答から逃げようとしたのである。
「そうか」
 誠四郎は顔を上げた。
「ではなぜ、お前が、私が提灯を持たずに歩いていたことを知っている?」
 加藤自身が言っていた通り、提灯を持たない方がおかしい夜だった。わざわざ外れる可能性が高いことを言う必要はなかったはずだ。
「……提灯を持たない奴が界隈にいたのを、覚えていただけだ」
「そうか。
 ならば、もうひとつ。
 ……なぜ、小山屋敷の前の手桶の山が崩れたことを、お前が知っている?」
 加藤の動きが止まった。
 たったひとつの矛盾を嘘で取り繕うとしたことで、加藤の話には大きなほころびが生じてきている。そしてそのほころびは、もはや修繕ができないほどに広がった。加藤はそのことに気づいたのだろう。
 誠四郎は加藤をじっと見て、答えを待った。
 しかし、加藤は答えない。
 誠四郎は、溜息をついて言った。
「お前はあの時、屋敷の中から私を見ていたのではないのか?」

続く