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門下録

三十四.

「何故答えない?」
 誠四郎は加藤から目を離さずに問いただした。
「……顔を覚えていた矛盾をつつかれただけで、どうしてそこまで話しを反らせようとする。
提灯を持たない男の後をつけたと言い続ければ良いではないか。盛り場に居たなどと言って、屋敷から目を逸らさせようとするのは何故だ?」
「……」
「答えろ! 加藤!」
 夜気が辺りを囲う中、誠四郎は加藤に詰め寄った。
 加藤は黙まり通してはいたが、やがて加藤の左手がゆっくりと首筋を掻いた。
「知りたいか?」
 暗闇に向けられた加藤の声が響いた。
「……お前が北見敏朗なのか?」
 誠四郎が言った。
「……」
 加藤はまた黙った。
「お前が小山様や新沼殿、皆を手にかけたというのか?」
「……五村。
 そうだとしたら、それは悪いことなのか?」
「なんだと?」
「小山も新沼も、倉橋さえも、親や友の仇だ。
 お前なら分かるだろう。一隅を照らす明るさもないこの御家で、親しい者達を奪われる悲しさが。
 仇を討つことに、何の悪がある?」
 誠四郎の脳裏を半重の顔がよぎった。
「……お前の悲しみは分かる。親や友の死は誰にでもつらいものだ」
「皆に報いねばとは、思わなかったか?」
 加藤に言われるまでもない。何度も思ったことだ。半重の墓の前で、元に手向けた酒の前で、くり返し誓ってきたことである。
「その何が悪い? 少なくとも、お前には否定する権利がないはずだぞ。
 俺と同じように、北見敏朗という男への復讐を胸に、ここまで来たお前にはな!」
「否定はせん。
 だがお前のやっていることは肯定もできんことだ。
 新沼殿にせよ、半重にせよ、殺される理由があることは認める。
 だが、元はどうなる? 多恵殿はどうなる?
 お前が二人をも殺したというのなら、仇の域は遥かに超えているのではないか?」
「……奴らは隠密方に関わり、匿った。
 事実を隠さずにすべてを語ってくれれば、殺されることもなかったのだ」
 誠四郎は聞き逃さなかった。加藤の声が震えているのを。加藤は言いながらに迷っている。
(馬鹿なことを……)
 誠四郎の冷ややかな視線は、一瞬であれ、加藤に伝わったらしい。
「そんな目でみるな!」
 加藤が夜空へ吼えた。
「五村!
 お前だって同じなのだぞ。御家の争いに巻き込まれただけではない。
 俺もお前も、本来与えられるべき権利を奪われた時代の落とし子なのだ!」
「何を言っている?」
「知らぬだろうな。お前の親父が、この辺り一帯の大地主だったことなど!」
「何……?」
 寝耳に水の事だった。母にさえそんな話は聞かされたことがない。
「五村家は争い嫌いの家筋だった。飯原派でも北見派でもなく、再三の呼びかけにも応じなかった。
 だが、地主であることは豪族であると同じこと。いずれは北見派になびくことが予想されていた。それを恐れた飯原派が、小山近衛を遣い、最初に殺したのが五村真一郎、お前の親父だ!
 誰が手をかけたか、聞くまでもあるまいが、あえて教えてやろう」
 佐久間万学だ。
 加藤の声は、雷轟のように誠四郎の耳を裂いた。
「それももはや歴史の闇の中だ。
 だが、これで分かるだろう?
 手にするべき権利が都合よく剥奪され、俺らは知らぬ間に時の権力者に、つまりは藩に殺されていくのだ!」
 加藤は息を切らして肩で呼吸している。
 誠四郎は頭を整理することができず、視線をどこそことさまよわせた。
(佐久間先生が、俺の親父を……?)
「五村」
 加藤が叫び続ける。
「俺と事を起こさんか?
 お前が持ってきたこの門下録は、謀殺された藩の歴史そのものと言っていい。
 これを白日の下に晒し、人の富を巻き上げて栄えている奴らに報いようではないか」
 誠四郎の心が揺らがなかったはずはなかった。
 実父を亡くし、剣術にのめりこむようになってからは、佐久間万学が父代わりだったのだ。それらの思い出は、少なからず加藤の言葉に大きく揺らされた。
 しかし、加藤がどんなに大切なことを訴えようとも、元や多恵の命を何とも思わない歪んだ人間の言葉に変わりはない。誠四郎の心を動かすには、あまりに卑小だった。
「……」
 誠四郎は何も答えなかった。
「どうした、五村。
 この行いの意義は、お前なら分かるはずだ」
「……分かってたまるか。
 お前は自分で何を説いているのか分かっているのか?
 お前が説いているのは、本来を取り戻すことの大切さではない。
 身勝手に人殺しを正当化しているに過ぎんのだ」
「……」
「お前に言われて気づいたよ。
 親父が平和主義と謗られても派閥にくみしなかったのは、権力がもたらす悲惨さを知っていたからだ。それならば私は失った権力など求めるべきではない。お前が言ったとおりの世の中だったとしても、失ったことを嘆く立場ではないのだ」
「……では、佐久間万学は憎くないというのか?」
「今更憎しみなど沸かん。
 佐久間先生は俺を育ててくれた。仇であったとしても、償いは十分に受けている」
 加藤は鼻で笑った。
「残念だ」
 誠四郎に失望しての一言だったようだが、それは誠四郎の言葉でもあった。
「加藤。お前は認めるべきだ。
 お前のやったことは仇討ではなく、権力を求めただけの狂行だったと。
 そして御役を辞して、相応しい罰を受けるべきだ」
「罰を受けるだと? 何を言っている。俺を罰せられる奴など誰もいない。
 罰を受けるのはこの門下録に書かれている奴らだ。
 お前が何というとこの書がもたらす力を必ず手にし、藩政を覆してやる」
「それが偽物の文書だったとしてもか?」
 誠四郎は思慮もなく言った。

続く