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門下録

三十七.

 住職がゆっくりと襖を動かすと、襖に描かれた寒梅が二つに割れてその向こうに隣の部屋が見えた。誠四郎は小さくうなずいて住職を奥に逃がしつつ、刀を手繰り寄せた。親指が触れる鍔が、いやに冷たく感じられる。
 今いる部屋から庭を見るには、障子をあけて廊下におりて木戸を開かねばならない。誠四郎はひとまず障子をあけて、静かに廊下におりた。
 師走の風が木戸の隙間から入り込んでくる。その隙間を一瞬だけ光が通った。提灯のようなぼんやりとした光ではない。
(火だ。火を持っている)
 同時に一言二言の話し声も聞こえた。
 火の持ち手が誰であるかはすぐに察しがついた。加藤たちだろう。深山道場と同じようにして、この寺も燃やすつもりなのだ。
(しまった。
 ……つけられていたか)
 自責の念に捕らわれながら、誠四郎は策を練った。策といっても、飛び出して勝負を挑むか裏口から逃げるかの二つしかない。
 加藤らが道場と同じようにするのであれば、すでに退路は断たれていることだろう。それに、新沼の亡骸がすぐ後ろにあることを考えると、捨てて逃げるという選択はしたくなかった。
(相手は何人だ?)
 話し声がした以上、そこに二人はいる。裏口に回り込んだものも含めれは三人以上は想定できた。
 対してこちらはというと、剣ではなく医術を買われて隠密方にいた住職は戦力にならない。誠四郎一人である。
 誠四郎は鞘を払った。
 木戸の隙間から二つの人影が見えるが、どちらも加藤ではない。一人は腕組みをし、もう一人は松明を持っている。そのうえ、二人の視線は余所を見ているのだから、その先に誰かがいるのだろう。今見えている二人にしても、一気に斬り込むには遠すぎる。
 また木戸の隙間から赤い光がさした。どうやら三人目の男は火を持ってい動き回っているようだ。火を着けられるのも時間の問題だろう。
 様子を見ている猶予はないのだが、誠四郎には不安があった。道場での稽古はもちろん、山口とまみえた時も加藤とまみえた時も敵は常に独りだったのだ。多数を相手に戦うすべは知らない。
 身を震わす間に、廊下の奥で煙が上がった。どうやら着けたらしい。
 そして、木戸の隙間から漏れる光が次第にこちらに近づいてきた。火を持つ男の接近を隙間が報せている。
 不意を打つなら今しかない――
 よだつ身の毛に目をふさぎ、誠四郎は木戸を蹴破った。
 蹴破った足でそのまま庭に飛び出すと、たじろいだ男の片腕を撥ね、続けて男の内またを切りつけて身動きを奪った。
 火を持ったままの手が血しぶきを上げて飛び、誠四郎の横顔をかすめるように照らして落ちる。
「何者だ! 名を名乗れ!」
 誠四郎は二人に向かって吼えた。
 闇の中の二人は一瞬だけ顔を見合わせたが答えはせず、その代わりと言わんばかりに、手前に立っていた男が松明を腕組みの男に預けて刀を抜いた。一人ずつ試そうというのだ。よほど自身があるのだろう。
 誠四郎にとっては好都合だった。すでに庫裏には火が放たれている。早く終わらせなければ、小山屋敷での偽装が現実となって新沼の亡骸は炭と化してしまう。
 正眼にかまえる相手を前に、誠四郎は八双に構えた。
 天才とまで褒めらた受けの姿勢は捨てていた。
 池やら灯篭やらがある庭はそれほど広くない。誠四郎は相手の退路を詰めるようにしてにじり寄った。男が退くたびに、正眼の刃先が細かく揺れる。男の足が池の縁にある石に乗り上げて、その揺れが最も大きくなった時、誠四郎は八双から一気に斬り下げた。
 男が誠四郎の剣を受けに来るのは分かっていた。後ろが見えていない男がそうせざるを得ないのは、誠四郎には瞭然だった。
 男がすぐに押し返す。だが、それも予測の範囲だった。
 誠四郎は押し返された剣を受け返さずに力を抜いて、相手に勇み足を踏ませた。そしてその足が地を捉える前に横をすり抜け、男の左脇を斬った。
「うぁっ」
 男が甲高い声で叫び、そのまま池に落ちた。
 膝下の浅い池のはずだが、男は立ち上がらなかった。傷の深さは本人よりも誠四郎が知っている。
 誠四郎はすぐにもう一人の男に向いた。
 男は松明こそ片手に持っているものの、他方の手を懐に突っ込んだまま仁王立ちしている。
「もう一度聞く。何者だ!」
 誠四郎が睨みつけると、男はブッと唾を吐いて松明を捨てた。
 誠四郎の背後で庫裏が燃えている。
 その炎の赤が徐々に庭を照らし始め、男の顔を明るみに出した。
 渋みをにじませた顔だった。誠四郎よりも年上だろう。目つきが鋭く、顎にしわがよるほどに口をとがらせているせいで、人相が崩れてわからない。だが、どこかで会ったことのある顔だった。
 廊下の屋根瓦が大きな音を立てて崩れゆく最中、男はゆっくりと刀を抜いた。
 血にけがれた、真っ赤な刃だった。深紅の刃に炎が照り付け、太刀は妖しい光を放っている。それはまさしく、新沼の言っていた北見敏明の人相を思い出させる様相だった。
(北見、敏明……か?)
 男が口角を吊り上げてだらしなく笑んだ。

続く