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門下録

三十九.

「しばらくだな、半重」
 誠四郎は半重の墓に語りかけた。
 年の瀬の蓮南寺である。このところの雪は降るたびに深く積もり、ほとんどの墓石は根元まで埋まっていたが、半重の墓だけはきちんと雪が取り除かれていた。紗世がまめに掃除しているのだろう。その証拠にまだ明け四つ(午前八時過ぎ)だというのに線香が手向けられている。
 誠四郎はその場にかがんで呟いた。
「仇は討ったぞ」
 脳裏に内藤六郎太の顔が浮かんだ。
 地獄絵図のようだったあの光景も、もはや二十日前のことである。二十日とは、誠四郎の体の傷が癒えるのに費やした日数そのものであった。今でも杖を突かねば歩けないのだから、まだ癒えたとはいいきれない。それでも生きていること自体が幸運だった。
 あの火事の後に誠四郎が目を覚ますとそこは自宅で、縁側にひとりの男が座っていた。
 
『誰だ?』
 誠四郎は体を起こそうと思ったが、ぴくりとも動かせなかった。
『無理をするな。十日も気を失っていたのだ。空腹で動けまい』
『お主は何者だ?』
『……お前が探していた人間だ』
『私が? ……北見敏明はすでに見つけた。もう探している者などおらぬ』
『いや。もう二人いるだろう』
『……』
『……修宗寺の、』
 文楽、と男は言った。
『あるいは、連雀寺の木念』
 誠四郎は言葉を疑った。
『……どういうことだ?』
『何とか寺の誰それとは、すべて俺のことだ。勿論、どれも本名ではない。
 単に、人によって呼び方を変えさせていたにすぎぬ』
 文楽は淡々と喋った。
『……何者なのだ?』
『隠密方の記録係だと聞かなかったか?』
『いやそれだけではあるまい。お主の行動は記録係を逸脱している』
『……』
『教えてくれぬか』
『……知らない方が身のためだ。
 ただし、お前が知るべきことは伝えておこう。そのために、お前が目を覚ますのをここで待っていたのだ』
 よほど、文楽は誠四郎に語りたいことがあるようだった。
『私の知るべきこと?』
 誠四郎は困惑した。
 半重を殺した北見敏明の正体は内藤六郎太で、加藤の手によって仇は討ち終えている。すべてはあの火事で終わったのだ。気になるのは加藤が誰の手で殺され、誠四郎を救い出したのは誰かということだが、後者はおそらく目の前の文楽だろう。
『加藤に手をかけた者のことか?』
 文楽の他に思い当らなかったが、加藤の言った油断という言葉も気になり、念のために聞いてみた。
『……いや、それは想像に任せる』
 文楽は明言を避けた。
『五村。お前が知るべきことは、他にある。
 なぜ倉橋が死の道を辿ったか。深山道場は燃えたのか。佐久間道場とは、隠密方とは何なのか』
 それには隠密方の成り立ちから伝えておかなければならない、と言った。
『長い話だ。心して聞け』
 文楽はこちらに顔もむけずに粛々と語り始めた。
 隠密方は藩主の山村謙臣によって旗揚げされた。狙いはただ一つで、御家の内紛をしらみ潰しにすることにあった。
 幕藩体制が敷かれた当初から山村謙臣が飯原派と北見派の両派を束ねていたのだが、それは兼臣の力というよりも、先代たちが戦の時代に築き上げた影響力によるものだった。もともと、豊臣が天下を統一するまではこの地域一帯を護るという共通の目的があり、両派が争うことはなかったのである。
 しかし、戦話が消えて以来、二つの派閥を取り持つのは山村家だけになった。その山村家の長である兼義が病気がちになり、政に顔を出せなくなってからというもの、両派の争いは大きくなっていった。
 謙臣は焦った。両派の抗争が過激になっては御家がうまく運ばないという危機感もあったが、それ以上にどちらかの派閥が他方の派閥を飲み込んでしまうことを恐れていた。なぜならば、山村家には飯原派ような伝統もなければ北見派のような財もない。あるのは両派の調停役としての長い歴史ぐらいのものである。兼義から家督を継いだ兼臣が真っ先に手を打たねばならなかったのが、両派の力を殺ぐことであった。
 基本的な策はというと、それぞれの派閥の中にいる穏健派を残して革新派を減らすことである。兼臣は革新派の勢いが無くなるまで、抗争を黙認することにした。こう着状態が続けば、必ず争いに飽きるものが増え、穏健派が増えると目論んでいた。
 しかし、その予想に反してこう着状態は長くは続かなかった。一年もしない内に農作物を含めた土地を財源にする北見派が勢いを増し、飯原派が追いやられ始めたのである。
 飯原派の用人は自分らの利益を守るために穏健派に転じて藩内の調和を図る動きを始めた。どっちつかずであった下士も北見派に流れていった。
 兼臣にとって、いよいよ北見派が脅威になり始めた。
『そんな折、あるお方が上様に進言した』
 飯原派の者を遣い、北見派の要人を暗殺してはどうか、と。進言したのは小山近衛だった。
 両派の中にも共存を図ろうという者がいると聞いて、兼臣はひそかに彼らを集めた。やがて、小山近衛を隠れ蓑にした隠密方が機能し、北見派の中で攻撃的だった勢力を衰えさせることに成功していった。
 しかし、問題はそのあとだった。
 兼臣は最初から、小山や集められた者たちには下心があることを見抜いていた。つまり、藩主に取り入ることで、それぞれの派閥にいた時よりも高い位を手にしようと考えていたのである。
 このままでは、事態が収拾したとしても、いずれ火種になる。
 いかにして、将来の火種を消すか。謙臣は、四六時中その考えを巡らせて、ついに一つの策を考えた。
 兼臣が囲っていた面々の将来を有耶無耶にすれば、彼らはかならず北見派に寝返り、総動員で北見派に与するだろう。となれば、大きな会合になるに違いない。そこを叩けばすべての火種をもみ消せるにちがいない、と。
『それが、深山道場の火事か』
『そうだ。上様は隠密方を使い、その会合に出るものを皆殺しにするよう、俺に命じた』
『では、小山殿も?』
『小山殿は隠密方に最も近い方々だった。隠し通すのには無理がある。そのため、小山殿には中家老の御役を与えて、口を封じた』
 すべてはそれで片付いたかに見えた。

続く