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リルジャの足枷

II.旅立ち(1)

(どうする、アヴェリー?)
 男は己にそう言い聞かせながら、エリニス王女の試練を見守っていた。
 かつての魔法大国フィオメインにおいて、王族は皆一様にしてこの試練を受けることになる。もっとも、王族の血が薄まって子孫の魔力が弱まった近年は、儀式的な内容に簡略化されてきた。だが、エリニスは本来あるべき姿での試練を望み、周囲はそれにしたがったのである。
 エリニスは特異な娘だった。
 フィオメイン王家筋の父と神官筋の母の間で、新生児が授かる魔力が最も高まるといわれるルフアイナ暦の陰刻節に生まれるという、王家の期待を具現した出生であったが、それよりも奇異に映るのは、彼女の外見であった。
 色素がないのである。色白の肌はしばしば透き通るようにと表されるが、エリニスは本当に透き通っていて静脈の流れすら観察できた。頭髪は銀糸よりも透けて白く、老婆と見間違われないのは、若さから来るしなやかさ故のことだろう。瞼と唇だけが薄く紅いその顔は精霊のようですらあった。
 アヴェリーのように、ルフアイナ暦だのという謂れをあまり信じていない者たちにとっても、その容姿がもたらす心象の深さは認めざるを得なかった。
 もちろん、エリニス自身も見かけと謂れだけの人間ではない。
 幼いころから念動を覚え、十才の頃には成人と張り合えるほどの魔法を身に着けていたこともまた、偽りのない事実であり、彼女が十六歳となる今日までに習得した魔法書は百九冊に上っている。それは、過去百年間に王女たちが生涯をかけて読んだ冊数を三倍以上も上回る数だ。
 そのフィオメインの至宝が、今回の試練を元の形に戻すことを願ったせいで、エリニス親衛騎士隊に属するアヴェリーは万が一の護衛として王族全員が見守る円形広場の裾で待機しているのだった。
 試練は眼前の魔物を倒せばそれで達成である。
 ただし、魔法以外は使用してはならず、試練を受ける者は両手両足を反魔の帯で縛られる。術者が魔法を引き出す助けとなる杖や水晶すら使うことが許されない。
 その内容を知った時から、アヴェリーは冷や汗を書き続けていた。アヴェリーの知る試練は、魔法で竜の石像を破壊するという楽なものだったから、なおさらだった。聞いた話では、その形式になったのは五十年ほど前のことらしい。言うまでもなくアヴェリーの生前であり、知らなくて当然だった。
 王女の前には、一匹のイミールがいる。王宮の地下に捉えていた一頭だ。一端の騎士なら二人がかりでなんとか追い出せる二足歩行の魔人だが、今、裾で待機している親衛騎士隊はアヴェリーと、ついこの前騎士の称号を得た新米フィルクスの二人しかいない。
(どうする、王女?)
 イミールは行動が遅い。今になってようやくエリニスの存在に気づき、足枷を引きづりながら近づいてくる。
 王女は縛られた反魔の帯によって身動きが取れずに仁王立ちしていた。
(詠唱しないのか……?)
 アヴェリーの角度からはエリニスの顔が見えない。アヴェリーはじれったくなって腰を浮かせた。
「アヴェリー殿。王女がイミールに捕まるまでは動くなとの指示です」
 フィルクスが言った。
「馬鹿言うな。捕まったら最後だぞ」
「王女の試練をふいにするおつもりですか?」
「ふいになどしない。様子を見に行くだけだ」
 アヴェリーは中腰のまま、王女の視界に入らないようにして円周を動いた。
 王女の横を過ぎて色白で小さな顔を見たとき、アヴェリーは度肝を抜かれた。
 王女は両手両足は先の通りで、その上に目隠しと猿ぐつわをかましているのだ。ただの布ではない、手足とおなじく反魔の帯である。
(話が違うぞ。あれでは生贄だ)
 アヴェリーは広場を囲うテラスに陣取る騎士隊長を見上げたが、隊長は首を横に振っている。手を出すなとのことだ。
(……どうする、アヴェリー)
 アヴェリーの命は王女を守ることだが、独断で動くなと言われている。王女が捕まるか、隊長が指示するかのいずれかを待たなければならない。
 しかし、これが王女を殺すための罠だとしたら、指示は下りるはずもない。
(……ならば)
 アヴェリーは迷わずに弓を構えた。
 罠だとしたら、敵はイミールではない。国である。王宮の内情はまったくしらないが、若い女を目の前で見殺しにするのは騎士道に反する。アヴェリーにはそれだけで十分な動機であったし、弓ならば隊員の中で一番と自負している。
 イミールは一歩ずつ、王女に近づいている。
 その間にようやく不安になった青二才がアヴェリーに近寄ってきたが、アヴェリーは彼を目で制した。
(お前は知らない方がよいかもしれん)
 イミールの一歩が大きくなった。王女を標的として見たということだ。
 イミールは素手であっても、人を殴れば肋骨は粉砕し、頭は果実のように弾ける。体そのものが兵器のような魔物だ。このまま王女が何もしなければ、その命は保障できない。
 アヴェリーは弓を構えてはいるが、一本の矢でイミールを倒したことはない。彼らは体が大きく、その骨は分厚くて強靭だ。顔に当てれば怯みはするが、致命傷にはならないだろう。狙うなら、耳である。うまくすれば脳にまで届き、殺しきれるかもしれない。
 イミールの手が王女に届くまで、あと二歩にせまった。
 王女は棒立ちのままだ。
 アヴェリーは満を持している。
 また一歩、イミールが毛だらけの足を踏み出す。
 いよいよかとアヴェリーが狙いを定めたが、おかしなことにイミールの頭の位置は変わっていない。目の錯覚かと思ったが、そうではなかった。
 イミールは確実に歩を進めているのに、王女との距離が変らないのだ。
(なんだ? 王女の魔法か?)
 弧弦を張り続けたアヴェリーの両腕には震えが生じはじめている。アヴェリーは姿勢を崩すことなく、指の力だけを抜いて一人と一頭の挙動を見守った。
「足元を……」
 すぐ横のフィルクスが言った。視線だけを下に降ろすと、イミールの足元が何か青色に輝いているのが見えた。見たこともない薄い光が、複雑な模様を成している様だ。
「“砂海の方陣”です」
 聴きなれない言葉をフィルクスが口にした。
「詳しいな。それはなんだ?」
「祖父が宮廷魔術師でした。
 あれは、イミールの足元に空気の層を作って歩みを流しているのです。見た目は何も変らないけれど、流砂の上に乗っている様なもので、足を前に出しても残した足が後ろに流されているから、進まないのです」
「なるほど。では、あの化け物はあそこから出られないのか」
「跳ばない限りは」
 アヴェリーは弓を下ろした。
 イミールには知能がない。あそこから跳ねて出ようなど考えはしないだろう。足枷ははめたままであるし、いまや両腕を振り回しながら王女を求めて、その場で走っている。
 弓を下ろしながらアヴェリーは、隊長がこの試練の護衛に新人を抜擢した理由を理解し、同時に隊長の意地の悪さを苦った。
「……方陣ということは、書くのか?」
「はい」
 書いている素振りは見えなかった、というより書きようがない。手足はきつく縛られているのだ。
「念動だと思います。庭の石を使って土の上に書くならば、詠唱を必要としません」
「見えなくてもか?」
「目を瞑って絵を書くのと同じです。
 日常的に行っていれば、苦にはならないかと」
 アヴェリーにもその理屈は分かったが、このまま待っていれば良いのかは分からなかった。イミールが走り疲れて倒れこんだところで、それを王女が倒したというには些(いささ)かお粗末である。この広場を取り囲む王族達は、そんなものを期待していないだろう。
 と、そんなことを考えていると、突然イミールが横倒しになった。

続く