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リルジャの足枷

III.旅立ち(2)

 王女の周囲に砂埃が立ちこめる。
「……どういうことだ?」
「……すみません。分かりません」
 フィルクスにも事態が飲み込めないらしい。
 アヴェリーはすぐに隊長を見上げたが、隊長も首傾いでいる。アヴェリーが指二本を前に振って前進を請う合図を出すと、傾いだ首は横に振られた。様子を見ろというのだ。
 試練の達成は立会いの神官が見定めるのであるが、その神官も周囲のどよめきに飲まれて立ち往生している。
 アヴェリーはもう一度、隊長を見た。すると今度は指二本を前に振っている。
「いくぞ」
 フィルクスに油断するなと付け足して、アヴェリーはイミールに近づいた。
「どうです?」
 アヴェリーが慎重に様子を見ていると、遅れて駆け寄ってきた神官が他人事のように言った。
 イミールはだらしない顔をして絶命している。
「王女を解いてください」
 鈍臭い神官でもその言葉の意味が分かったらしく、神官は王女に課せられた試練の終了を宣言して、反魔の帯を解いた。
 周囲はすぐに歓喜の声で溢れ、広場はエレニスの名で満たされていく。
「すごい……」
「私語は慎め。こいつを片付けるぞ」
 アヴェリーは王女に敬意の眼を向ける青二才に言い聞かせ、イミールの肩を抱えた。もちろん、たった二人で城外まで担ぎ出すわけではない。まずは木板に乗せて、力自慢の衛兵二人を加えた四人で担ぎ出すのだが、乗せるだけでアヴェリーは汗だくになった。
(この巨体をどう倒したというのだ?)
 外傷はない。捉える過程でついた膾傷(なますきず)は元々のものだ。
「アヴェリー殿。腕がつりそうです」
 木板を挟んだ向かいのフィルクスが嘆いている。
「手を下げるな。腰を入れて胸で支えろ」
「……駄目です。腕が、」
 どうやら王女の仕掛けた方陣を読むところまでが、フィルクスの見せ場だったらしい。隊長も、こうなるところまでは見越していなかったのだろう。
「……足の方に寄れ。少しは軽くなる」
 フィルクスの動きにあわせて、アヴェリーは頭の方へ動いた。
「お前はさっきの方陣を使えないのか?
 使えたらこんな馬鹿みたいな運び方をしなくても済むのだがな……」
「すみません。これでも私は、騎士なので……」
「冗談だよ。からかっただけだ」
「……鍛錬を積みます」
「そうしてくれ」
 広場を抜けて城外に出る地下通路に入り、外の歓声が遠ざかっていく。
(親衛騎士隊とは言え、地味な役割だ)
 アヴェリーの気が広場に向いたその時、急に板が軽くなった。
 フィルクスが堪えきれずに落としたのかと思ったが、瞬時に大木のような太い腕がアヴェリーの顔にめがけて飛んできた。
「アヴェリー殿!」
 石壁に叩きつけられて跳ね返ったアヴェリーに、フィルクスが駆け寄ってきた。
 フィルクスの後ろで死んだはずのイミールが暴れている。
「私に構うな!
 衛兵! 出入り口を塞げ! そいつを広場に戻してはならない」
 砂煙の中を動き出した衛兵の影は一つだけである。一人は既に倒されたらしい。すぐさま、アヴェリーは腰の剣を引き抜きながら背負っていた盾を左腕に締めた。
「ここは私が引き受ける。
 お前は隊長に報告を!」
 フィルクスの返事を聞かず、アヴェリーはイミールに切りかかった。
『オオ!』
 イミールが吼えながらアヴェリーの剣を払う。決して安くはない鋼の剣は簡単にへし折られ、アヴェリーは再び、石壁に飛ばされた。
(くそっ! ただのイミールじゃない)
 魔人は眼球から真っ赤な光を放っている。広場で見ていたときは生き物の眼差しだったが、今のイミールは妖気を伴ってなお危険な力に溢れていた。ただ、それでも動きだけはのろい。
(何が起こっている……?)
 アヴェリーは体勢を立て直したが、背中を伸ばした時に鈍い痛みを感じた。口内にこみ上げてきたものに血の味がする。
 体の傷が持久力を低下させることは戦いの常識であり、アヴェリーは否応にも決着を急がねばならなくなった。
 すぐに折れた剣と重い盾を捨て、アヴェリーは弓を掴んだ。しかし、矢は最初の衝撃で落としてしまい、床に散らばったほとんどは折れてしまっている。形を留めている一本はイミールの足元だ。
(まずこちらにおびき寄せ、その後で回り込む)
 成すことは簡単だが、痛めた背中でどこまでできるかが不安だった。
 アヴェリーとイミールがにらみ合っていると、後ろから衛兵の足音が近づいて来た。さっき通路を封鎖しに走った衛兵だろう。
「加勢します」
 衛兵は横に並ぶなり、ハルバードをイミールに向けて構えた。
「無理に仕掛けるな。ただのイミールではない」
「どうされますか?」
「イミール相手にどこまで戦える?」
「……分かりません。対峙するのは初めてです」
「そうか。では私があの矢を拾う。少しの間だけ引き付けてくれ」
 アヴェリーが衛兵の背後を離れたその時だった。
『……渡せ』
 イミールが口を開いた。
『鍵を渡せ』
 知能のないものが、人間の言葉を話している。
 アヴェリーがその光景に抱いたのは、不思議以上に畏怖であった。
 とはいえ、戦いの最中に自失してはいられない。
 衛兵は懸命にイミールを引き付け、一本の矢は拾える状態にある。アヴェリーはすぐに矢を拾うとイミールへ向けて弓を構えた。背中の痛みが骨を伝って全身に広がる。
 狙いは急所である。この背中では一矢で殺せないだろうが、弱めさえすれば、衛兵のハルバードでとどめを刺すことができる。
 アヴェリーは矢の尾羽を少しちぎり、イミールの横を狙って放った。重心をくずした矢が曲線を描いて飛ぶ。矢は風をまとい、イミールの右耳を少しえぐって止まった。
『鍵を……!』
 地面に伏してもがくイミールの断末魔の叫びに混じって、例の声が聞こえてくる。衛兵はためらわずにイミールの首をめがけてハルバードを振り下ろし、その太い首ごと命を絶った。
「死んだか?」
 アヴェリーが駆け寄ると、イミールの体は青黒い血の海に沈みかけていた。どう見ても死んでいるようだったが、一度よみがえった魔物だけに油断はできない。
「動きませんね……」
 しばらくして、衛兵が言った。
「……そのようだな」
 イミールはそれきり動くことはなかった。目の赤い光も失われている。
 アヴェリーは握り続けた弓を担ぎ、深く息を吐いた。
 目の先で最初に倒された衛兵がそのまま尽きている。近づいて触れてみたが、すでに脈はなかった。
「彼は……?」
「アストロイです。親思いで優しい奴でした」
 アストロイ。百年以上も前に一平卒から騎士長にまで上りつめた勇気ある者と同じ名だ。名づけた親の心を感じ、アヴェリーは胸が詰まった。
「そうか。
 すまない。私が油断していたばかりに」
「いえ。不運でした」
 衛兵はさみしそうに呟いた。
「君の名は?」
 衛兵はステファンと名乗った。
「ステファン。この件は内々に処理されるだろう。彼の死も含め、表沙汰にはされまい。
 試練に関わった神官たちや王族にとって、これほど不名誉なことはないからな。
 少々きつい言い方になるが、忘れた方がいい」
「……分かりました。
 私も務め人です。他言は致しません」
 ステファンが兜の下で歯を食いしばっている。見えはしないが、アヴェリーには十分に感じ取れた。
 隊長には、ステファンは気を失って何も見ていなかったと伝えざるを得ないだろう。下手に彼の活躍を報告しても、口封じに走られてはステファンの身が危うくなる。
「君とアストロイは勇敢だったと伝えておこう」
 アヴェリーは胸の痛む嘘をついた。
(この背中も転んで痛めたということにするか……)
 転んで背中を痛めて挙句に剣をへし折ったとなれば、しばらくは騎士連盟の笑い者になるだろうが、亡くなったアストロイのことを考えれば、苦ではなかった。
 背中はどうやら骨を損傷しているようで、イミールの死骸を城外に捨てるという役割が残っているのだが、二人ではいかんともしようがなく、アヴェリーは応援を待った。
「楽な任務のはずだったのだがな」
 待機中、アヴェリーはこの務めを任された時のことを思い返し、そうつぶやいた。

続く