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リルジャの足枷

IV.旅立ち(3)

『私には向きません。
 私が得意とするのは弓です。弓では盾にはなれない』
『そもそもお前は騎士でありながら、何故弓を極めようとしている?』
『中距離においては剣よりも早く相手を倒せるからです』
『はははっ。すでに心得ているではないか。
 王女の身に迫る前に危険を制圧する。それが護衛の境地だ』
『シフェルさん。上手い事を言って、私を乗せようとしてもそうはいきません』
『……不安なのか?』
『不安にならない護衛などありますか?』
『ないな。だが、それを聞くとなおさら、お前を親衛騎士隊に誘いたい』
『それは、……私への情けですか?』
『いや、情けではない。
 ただ、お前がいてくれた方が何かと助かるのだ』
『……分かりました。
 けれど私は、お飾りにはなりません』
『それでいい。何かの時には俺が責任を取る。
 ただし、護衛が不安を口にすることだけはならんぞ』
 
 シフェルは、若くしてフィオメイン騎士連盟の中枢に座る人物である。失態ひとつですぐに外される席に長年座り続けるのは簡単ではないが、彼はもう六年もその席にいた。その理由を語るのに、彼の才能を無視することはできない。ただの騎士としての才能ではなく、慈悲の才能ともいうべき心の寛大さがシフェルにはあった。
 姉妹国エネハインの滅びの時に、城で死ぬことができなかった騎士たちを拾い、フィオメインの騎士連盟に迎えたのも、大部分が彼の功績である。エネハインの騎士たちは皆、彼に感謝をし、若年の者たちは彼の下で働くことを望んでやまなかった。
 そんなシフェルの配下には、多い時で数百の騎士がいた。
 長い魔法の歴史を捨て始めたフィオメインでは、魔術師の減少とともに騎士を目指す若者が増えていたことも要因だったが、それ以上に、騎士たちのうちの何十名かはシフェルが招き入れたようなものだ。当時、シフェルは好きでもない監督業に明け暮れ、毎日のように机にすわって数字と文書に向き合った。
 しかし、エリニスが十歳になり、転機が訪れた。
 王族の十歳といえば親衛騎士隊を付ける歳である。シフェルはすぐに名乗り出て、エリニス親衛騎士隊の隊長となったのだった。
 当時のシフェルの行動は、異例とも言えた。数百を率いる騎士団長が数十の親衛騎士隊長に就任するなど、降格以外の何でもない。騎士団長に比べて格の下がる騎士隊長は、会合では立場が軽んじられもする。それでもシフェルが親衛騎士隊を選んだのは、単に監督業に飽きたからだという見方が多かった。策略などという影のある噂がたたないのも、彼の人柄であろう。実際に、シフェルが監督業に対する愚痴をこぼしていたのを、周囲の人間は耳にしていた。
 そんなシフェルが親衛騎士隊を形成するにあたり、最初に呼んだのがアヴェリーである。
 今、シフェルはその時のアヴェリーとの会話を思い出していた。
 隊の結成から早くも六年が経つ。
 月日の流れが早く感じるのは、それだけ充実していた証拠だろう。
(まさか、こんなことになるとはな)
 シフェルはアヴェリーとの別れの時を迫られていた。そして、残された時間はあまり無い。
 コン、コン――。
 その時、シフェルの部屋の扉が鳴った。
「アヴェリー、入ります」
「おう」
 入室したアヴェリーは腰から背にかけて包帯を巻いていた。
「痛々しいな」
「いえ。見た目ほどには。
 さきほど治療士に骨を治癒していただきました。
 神経の痛みが残っていますが、じきに癒えます」
「そうか」
 シフェルは口角を上げたつもりだったが、表情がうまくつくれなかった。よからぬ話だとアヴェリーにささやいたようなものだった。
「どのような話でしょうか」
「……いろいろあってな。さて、何から話そうか」
 事に迷う姿を見せるのは、おそらく初めてだっただろう。見せたことがないわけではないが、それは二児の父という一面であって、騎士隊長としては見せないように努めてきたつもりだった。
「結論からお願いします」
「それが一番酷だから迷っている」
 おもわず、シフェルの眼光がアヴェリーを射抜いてしまった。
「私はかまいません」
「いや、かまう。
 少なくとも俺はこの決定には従いたくない」
「……」
「……」
 交錯した視線を、シフェルが先に切った。
「連盟の決定で、お前を処刑することになった」
 すぐには言葉の返せるはずもなく、アヴェリーは戸惑っているようだった。
「……どういうことです?」
「イミールの死を偽り、衛兵二人を犠牲にした罪だ」
 全くの誤解だと、言うと思ったが、アヴェリーはすぐには口にはせず、シフェルの言葉を待った。
「判断をあやまったな。イミールの死は神官に見極めさせるべきだった。
 やつらは、イミールの復活と衛兵二名の死の責任をお前ひとりに追わせたのだ」
「待ってください。
 確かに広場でイミールの死を判断したのは私ですし、アストロイを死なせた責任も私にあります。しかし、二名とはどういうことです?」
「分からないか? ステファンは先ほど“処分”された」
 再びアヴェリーは言葉を失った。
 二人と言われた時点で、ステファン以外に考えられないことは分かっていたのだろう。このような事態になると秘密主義の国に奉仕することを悲観して、自ら命を絶つことはある。しかし、連盟が直接的に命を奪うとは考えていなかったらしい。おそらく、手を下すにしても、誓いを立てさせる程度のことだと思っていたに違いない。
 アヴェリーはまだ、フィオメイン王家の怖さをしらないのだ。
 シフェルは諭すように話した。
「ステファンとやらが今日のことを黙っている保証はない。彼が握っているのは王女の生い立ちに関わる大事な汚点だ。連盟が黙ってみていると思うか?」
 連盟は事実を知る者たちの口を消し、二人の死の説明をアヴェリーの処刑で代替するつもりなのだ。
「フィルクスは、フィルクスはどうなったのです?」
 アヴェリーは焦燥してシフェルににじりよった。
 あのときイミールを運んでいたのは、三人ではない。重たくて持てないといっていた新米がいたことを思い出したのだろう。
「……監視院のリストに入った」
 シフェルはありのままを伝えた。
 監視院とは、フィオメイン騎士連盟に所属する騎士たちの粛清を取り行う部署のことだ。彼らのリストに入った者は八割がた粛清、つまりは処刑される。リストにある者の生存率が二割なのではない。二割のうちの半数は自害してしまうために、実質は一割しか生き延びない。いうなれば、過酷な状況ということだ
 アヴェリーは頭を抱えた。責任を感じ、突きつけられた現実を思い知ったようだった。
 刑の執行を目の前にした人間が考えることは大体同じである。
 処刑とはどのようなものなのか。
 処刑台に上るとき、何を思い、何を考えるのか。
 シフェル自身、罪人が裁かれる様子を見物したことは何度かあったが、その場所に部下が立つと想像したことはない。
 きっとアヴェリーは悔いているのだろう。イミールが死んだと勝手に見定めたことや、運搬中に気を抜いたことを。
「アヴェリー」
 たまりかねて名を呼んだ。
「この国はな、魔法国家などと絢爛豪華な前書きを置いても宗教国と何ら変わらん。権力をもつ一部支族の欺瞞と、それを持たない者たちの犠牲の上に成り立っている砂上の楼閣にすぎんのだ」
 フィオメインで生まれ育ったわけではないアヴェリーにとって、興味は薄いことかもしれないが、この国のまがまがしい一面を伝えるのは今しかない。
「我々だけではない。時には王族すらも犠牲の範疇に入る。王が妃を殺し、妃が王子を殺すことだって非日常ではないんだよ」
 アヴェリーは魂を抜かれたように立ち尽くしている。
 シフェルはアヴェリーの肩をたたいて言った。
「安心しろ。俺はお前を引き渡すつもりはない」
「そんなことをすれば、隊長もリストに載りますよ」
「逃げたというさ」
 シフェルが指をさした先の窓が開いている。窓にはロープが結ってあり、外に垂らされるのを待っていた。
 アヴェリーはロープを見、シフェルを見た。シフェルは自然と笑っていた。
 唐突すぎる話に心の準備などできているはずはなかったが、シフェルのその顔を見て、アヴェリーも悟ったようだった。
「お前に伝えておかなければならないことがある。
 覚悟を決めながら聞いてくれ」
「……はい」
「宮廷は隠ぺいするつもりだが、あのイミールは確かに蘇ったものだ」
「どのような法です?」
「操魔の石が額に埋まっていた」
 人間が他の生物を操るときに、体のどこかに埋め込む魔法の石を『操魔の石』と呼ぶ。操るものの生き死には関係しない。また、操魔の石は決められた種類の鉱石ではなく、水晶を使うものもいれば、鉄鉱石を使うものもいるし、様式はさまざまで、銀以外のものならば、操魔の石となりうるものだ。一般的には、石が結晶化されていて不純物が少ないほどに大きな生物を操ることができるらしい。
 シフェルはそこまで説明して、一粒の石を取り出した。
「今回のはこれだ。お前なら分かるだろう」
 紅く輝く石にアヴェリーの顔が写りこんだ。
「……セオン紅石」
 シフェルの言うとおり、知らないはずがない。
 その石は、エネハインの城の地下に埋まるセオン紅母石から得られる削岩石であり、エネハインの王族だけが持つことを許される権利者の石でもある。シフェル自身は噂に聞いたことしかないが、アヴェリーであれば、エネハインにいたころに王族の指に輝いていたものを何度も見たことがあるはずだった。
「その通り。
 何者かは知らないが、この石を埋め込むことには何かの意味がある」
「……この紅石には、一つの謂れがあります」
 どんなに遠くへ放っても、あるいは持ち去っても、セオン紅石は必ず持ち主の手に戻る。それは、エネハインの宮廷にいた者であれば誰しもが聞いたことのある伝説だ、とアヴェリーは言った。
「そうか……」
 シフェルはアヴェリーの言葉をかみしめながら、石を手のひらで弄んだ後、小さな巾着に収めた。
「ではお前に預けよう」
 いきなりの言葉に、アヴェリーは躊躇した。
「何をお考えです?」
「ただ逃げる旅よりも、元凶を追う旅の方がよくはないか?」
「……それは分かりますが、こういう重要な証拠というべき物を紛失してはまずいのでは?」
「まずくはないさ。宮廷は隠ぺいするつもりだからな。失くした方が喜ぶ」
 シフェルは強引にアヴェリーの右手をつかみ、その上に巾着を乗せた。
「首謀者を探してこい」
 アヴェリーはシフェルのまなざしを受け止め、その返事とした。
「馬は俺のを使え。馬屋の主には伝えてある。お前が行く頃には準備もできているはずだ」
「準備?」
「弓だけでは丸腰も同然だろう?」
 何故、そうまでして逃がそうというのか。
 不意にアヴェリーは不安になったらしい。シフェルへの疑いなどではなく、後ろめたさからくるものだろう。
「……よろしいのですか?」
 シフェルは、気にするな、と声には出さずにうなずいた。
 アヴェリーが顔を上げずに、そのまま歯を噛みしめてひざまずく。
「明日の朝までは、城内に食い止める。
 その間にできるだけ遠くに行け」
 シフェルはやさしくアヴェリーの肩に触れた。
「はい」
「まずは、新ダブログ共和国へ。その後、ディアクク修業路を継いで街道に入れ。街道の終わりに古い街がある。かつてはパレグレオ大公国の都だったアインガストという街だ」
「そこに何があるのですか?」
「お前に協力してくれる者がいるはずだ」
「誰です?」
「リーニス・フィオメイン」
「フィオ……!」
 言うまでもなく、姓にその名を使えるのは、王族のみである。王族が姓を変えずに他国に住んでいるなど、初耳だろう。シフェルは、他言無用と言われた王家の秘密をフィオメインを追われようという若者に伝えている。すくなからず、背筋の寒くなる行為だった。
「リーニス様は、ルフアイナ歴の陽刻の生まれで、エリニス王女の双子の姉にあたるお方だ。出生と同時に国を追いやられたが、今はその古き都に安住している。
 リーニス様なら、お前の気持ちを理解してくれるだろう」
 アヴェリーの目が、一瞬だけ泳いだ。
 聞かされることのなかった事実を次々を耳にして、整理がつかないのだろう。それは追々わかってくれば良いと思い、シフェルは話を切った。
「さて、そろそろ監視院が騒ぎ出すな……」
 シフェルは扉の外に目をやった。
 人の声は聞こえないが、数人の足音が短い間隔で通り過ぎていく。
「最後に、一つだけ聞いていいか?」
 今まで話していた間よりも長く感じられるような間を置いて、シフェルが言った。
「あの時、お前をエネハインに返さなかったことを恨んでいるか?」
 七年前のことだ。
 エネハインとフィオメインの国交を謳う交流師団の一員としてフィオメインに来たアヴェリーたちを、シフェルが気に入ってフィオメインに引き留めた。発展途上のフィオメイン騎士連盟に、エネハイン騎士連の円熟した文化を取り入れたいという建前だったが、本当はアヴェリーという騎士になりたての若者を自分の手で育ててみたいという個人的な興味の結果だった。しかし、そのたった一月の滞在の間にエネハインが一人の男に滅ぼされ、アヴェリーたちは帰る国を失くしてしまったのである。
 そのことを恨んでいるのかと、シフェルは聞いた。
「……いえ」
 アヴェリーは真剣なまなざしで言った。
「たしかに、あの時ここに留まったことにより、王と国を守るという騎士の意義を果たすことはできませんでした。『流浪の騎士』などという汚名を背負ったのも事実です。ですが、今があるのは、間違いなくあの時のおかげなのです。
 感謝しています。隊長は私に、騎士として成長を遂げる機会をくださった」
「……そうか」
 老人のように眉を垂らして、シフェルが言った。
 その時、廊下を歩く誰かの足音が部屋の前で止まった。扉をたたく気はなさそうだが、確かにそこに誰かがいる。鍵穴から見える視界に入らないよう、シフェルはアヴェリーを後ろに下がらせて、二人は扉を見守った。
 扉が鳴らないところをみると、偵察らしい。その後、すぐに足音が去って行ったが、油断はできなかった。
「時間だな……」
 二人の視線は、すぐに扉から窓に移った。
「早く帰って来いよ。親衛騎士隊も、お前抜きではままならん」
 シフェルが言った。
「必ず戻ります。シフェルさんも、どうかご無事で」
 アヴェリーが頭を下げると、シフェルは声には出さずに笑った。心配されるまでもないといった風だった。
「さっさと行って来い」
 アヴェリーが窓に近づき、外を見下ろした。ローブの先は夜の暗闇に飲み込まれている。その闇がどこまで続くのか予想できぬまま、アヴェリーは堅実な体運びで下へ降りて行った。
「行ったか……」
 アヴェリーを飲み込んだ窓を見ながら、シフェルが独り呟いた。
 シフェルも、アヴェリーと同じように不安にまみれている。
 アヴェリーがシフェルに隊長という敬称をつけずに別れを告げたのは、己が騎士隊員ではなくなったことを理解してのことだろう。しかし、それは同時にアヴェリーが戻ったときに隊長と呼ばれる座に居られるのかという不安を募らせた。これまで知らなかった不安である。今はまだ用もないはずなのに、左手が剣から離れない。
 コンコン――。
 そして扉が今、たたかれた。

続く