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リルジャの足枷

V.呪われた力

 人は錠という技をもって扉を封じ、古代人は魔法という技をもって扉を封じる。
 いうなればそれだけの違いではあるが、そこには触れられる手段と触れられない手段という大きな隔たりがある。その触れられない手段で閉ざされた扉は人にとって壁そのものであり、その意味でレメティアの塔は壁でできていた。
「暦扉(れきひ)か……。あるいは文扉(もんひ)か」
 グレナードも、まるっきり無知なわけではない。ある程度の事態は考えに入れたうえで、アインガストから半月かかる道のりを歩いてきたのだし、道順を教わるにあたっては、羊飼いたちの信頼を得るためにふた月以上も山道の護衛を務めたのだ。それを無駄にするわけにはいかない。
 人の背丈の五倍もある高さの扉を見てすぐに想像したのが、暦扉だった。暦扉はその名の通り、こよみによって封が解かれる扉である。季節によって変わる太陽や月、星の位置を鍵として開く暦扉は、通常より大きく造られるのが通例であった。小さくては些細な位置関係の変動で開錠できなくなる可能性があるからである。一方の文扉は言葉で開ける扉である。ただし、その鍵となる言葉は常に変わり、基本的には問題が扉に浮かび上がって正解によってのみ開かれるものである。
 大きいうえに謎めいた文が書かれているレメティアの扉は、そのどちらかを想像させる。
 扉の文章を訳すと、警告のようにも問い掛けのようにも読み取れた。
<彼女は誰の下にも跪かない。
 彼女は神の戻る日に復讐する者である。
 それを知ってこの扉を叩くのか?>
 グレナードは扉の前で思案していたが、答えてみることにした。誤れば二度と開かなくなる可能性もあるが、今のままではどの道開かないままである。すごすご引き下がって対策を練るには時間が惜しい。
「ニールシム<その通りだ>」
 描かれている文字と同じ言語を用いて答えた。
 しかし、扉は応えない。やがて強い風が吹いて、グレナードは堪らずに目をそむけた。
 風がやみ、わずかな期待を抱いて扉を見たが、変化はない。
「駄目か」
 ため息を吐きながら、ほかの手を考えようと一度背を向けたが、視界に入ったのはまた扉である。おかしいと思って振り返ったが、先ほどの扉はやはりそこにある。グレナードはいつの間にか扉に挟まれていた。
<二度と戻れぬと知って、お前は歩むのか?>
 新たな扉がそう訪ねていた。
(……そういう仕掛けか)
 扉を眠りから起こした喜びを隠し、答えを考える。
 グレナードは単語を知っているだけであり、議論を交えるような回答はできない。余計な脚色はせずに、率直に応じるのが正しいと考えた。
「ニールシム<そうだ>」
 今度も砂煙に紛れて、左手に扉が現れた。
<彼女に何を求める? 目覚めか? 滅びか?>
「リュバリ<目覚めだ>」
<彼女が目覚め、世界の秩序が変わろうとも構わぬというのか?>
 右手の扉が聞く。グレナードの四方が閉ざされた。扉は言葉だけのやり取りではなく、訪問者の退路を断つことでその覚悟を問うているのだろう。
 しかし、グレナードには文字通りの愚問であった。
「イムバル<そうはさせない>
 イア エディケ、アウデュ サハ サレクト<用が済めば、彼女を滅ぼす>」
<それがお前にできるのか?>
 最初の扉が聞いてきた。
「ニールシム<もちろん>。
 イア ディリ サレクタ<この身が滅ぼうとも>」
 再び、砂嵐が巻き起こった。その砂嵐は陸地を流れる風ではなく、地面から沸き起こっているのだとグレナードは気づいた。
 砂嵐はすぐに落ち着いた。すると、あとから現れた三枚の扉が掻き消えて最初の扉だけが残っていた。
<お前を受け入れよう。しかし、彼女に至る道のりはお前の力では足りない。
 彼女に会うことができるのは、ルネアか、もしくはシラクを持つ者ぐらいだろう>
 それっきり扉の言葉は塞ぎ込んだ。
 グレナードが扉に触れると、足元からその頂きに至る細い隙間ができた。それが、扉が“壁”ではなくなった瞬間ではあったものの、扉はびくともしなかった。右手に全体重を乗せても変わらず、単なる物質の重さではなかった。
(力か)
 文扉だけではないというグレナードの勘は当たっていたらしい。さきの扉の言葉を信用すれば、暦に替わって必要なのは何かしらの力なのだろう。扉はルネア<ルーン遣い>かシラク<旧約>を持つ者という二つの鍵を挙げた。グレナードの知る限りでは、いずれも魔力の証とも言うべきものであるから、力というのはすなわち魔力のことに他ならないだろう。
 グレナードに魔法の力はない。あるのは、大きな剣と呪われた左腕だけである。とはいえ、呪いも根源は魔力に違いないと考え、グレナードはその左腕の包帯をゆっくりと解いて扉に向けてかざした。
 安易なことを考えたのが間違いであったらしい。グレナードを待っていたのは強烈な反発であった。指の先が触れた瞬間に体ごと弾かれ、扉から馬小屋一つ分も離れた場所に飛ばさてしまった。
 すぐに確かめたが左腕は無傷である。血の気がないのは呪いを受けた時から変わっていない。呪いにより浮かび上がっているベイレオハルトの紋様は焼けた鉄のように赤く揺らいでいたが、すぐに収まった。
(……馬鹿なことをした)
 吹き飛ばされた時の爆風に乗って宙に舞った包帯が目の前を漂っている。グレナードは首を傾げながらそれを手に取ると、右手と口を使って器用に巻き直した。
 呪いの力が役に立たないとなると、扉の言葉通りにルネアかシラクか、いずれかを手に入れなければなるまい。
 グレナードはルネアを探して旅するものを何人か知っているが、巡り会えたという者を知らない。ルネアの中でも女王たるクインルネアを巡る探求の旅は最も歴史が長いのだ。
 古くに人間が精霊かわした誓いが旧約、すなわちシラクであり、伝えられている限りで、火、水、光、風、土、雷、力、涙、夢、時の十がある。闇の旧約が伝えられていないのは、古代人が闇に活力を求めなかったためらしいが、それも解釈次第である。
 シラクを持つ者とはその証の所有者を示し、証はその種類によって剣や盾、指輪や文書、紋章などさまざまな形を成していた。
(シラクの耳飾り……)
 証の一つであるシラクの耳飾りは所有者が知れていた。
(フィオメインか)
 魔法国家フィオメインの王族に伝えられるシラクの証がその耳飾りだと聞いたことがある。グレナードは包帯を締めながら考えた。
 フィオメインならば、そう遠くはない。いくら魔法国家とはいえルネアに匹敵する逸材がいるとは思えないが、一時的に魔力を授かる術が手に入る可能性もなくはないだろう。訪れてみる価値はありそうだったが、ためらう理由もそこにはあった。
「グレナード・ラスタニアだな?」
 包帯を巻き終えたグレナードに声をかけてきた男がいた。
 男の着る甲冑の右胸部で、二匹の狼がお互いの首を噛み合っている。強いる者は同時に強いられているという業を現したその紋章はエネハインのものだった。その紋章が描かれた旗が何万本と燃える様を見たのはそう遠い昔の事ではない。見れば今でも街の焼ける臭いが鼻孔に広がるほどである。そして、今この光景こそが、フィオメインを避けたい理由でもあった。
「……エネハインの失業騎士が何の用だ」
「何の用? 用を仕向けた者が何を言う!
 貴様がアンクレット・アークを探していると聞き、この塔で待ち伏せること数ヵ月。
 今日という日が、どれほど遠かったか。待ちわびたぞ、ラスタニア」
 フィオメインとエネハインのそれぞれ王族は血族である。エネハインにとっての敵はフィオメインの敵であり、フィオメインに足を踏み入れれば、争いは避けて通れないだろう。
 次の旅先にはひと思案の余地があることを胸にしまい、グレナードはその男に立ち直った。
「そうか。長い時間を棒に振ったな。生き永らえた命を無駄に使うと、すぐに亡くすぞ」
「亡くすのは貴様の方だ!」
 男は剣を構えて突進してきた。グレナードは剣を鞘ごと外して、男の剣を受けた。黒鋼の鎧に隠されて分からなかったが、まともに受けてみると思っていたよりも重く、破壊力のある体格をしている。男の圧力にグレナードの体が押しやられ、左の踵が乾いた地面にめり込んだ。
 互いの剣が形作る十字を挟んで、グレナードは男の顔を見た。
 声の低さから中老の男だと思っていたが、予想以上に若い。エネハインの歴史が終わった時にはまだ成人していなかったのではなかろうかと思えるほどの若さである。
 グレナードは剣を巻き上げて青年の足を払い、後ろに下がらせた。青年は後ずさりながらも反撃の手を出してきたが、その剣はグレナードの左手に掴まれて止まった。
「――?」
 声にならない驚きが精悍な顔から漏れた。青年が剣を前後にゆすっても、金属がすれ合うような音がするだけでグレナードの手は微塵にも痛まなかった。
「祖国を亡くしたことが辛いか?」
 たじろぐ青年の剣を握りしめたまま、グレナードが言った。
「そうだろうな。
 だが、それに捕らわれて生きていると、お前も俺のようになる。
 報復の旅の果てに呪いを受け、呪いに生かされながら、いずれ呪いに殺される。
 過去は忘れて、新たな幸せの中で生きる方が、人として正しい」
 金属がすり減った時に出す血のような臭いが漂い始め、青年の剣がグレナードの握った所から錆ていく。それが手甲を浸食し始めると、青年はあわてて剣を離し、尻餅をついた。
「国はなくとも、お前にはいるべき場所があるだろう。そこへ帰れ。
 その手には、故郷に住めなくなった者たちの分だけ、故郷を再興させる義務があるはずだ」
 錆びた剣が粉になって風に流されていく。
 身動き一つとれずに唖然とする青年に背を向け、グレナードはアインガストへの帰路をたどり始めた。

続く