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リルジャの足枷

VIII.密会(1)

「聞いたか?」
「何をだ?」
 目の前の衛兵がこそこそと話をしている。本人たちはささやき合っているつもりなのだろうが、鉄製の兜をかぶっているせいで自然と声が大きくなっていることに気づいていない。そうでなくても辺りが静かなせいで、シフェルには自然とよく聞こえていた。
 衛兵の腰には鍵の束がる。シフェルはフィオメインの地下牢にいた。
 彼らとシフェルの間にある鉄格子が互いの世界を隔てているために油断しているのか、衛兵の会話が続く。
「耳飾りだよ。王女の」
「ああ。それが無くなったっていう話か」
「そうだ」
「それがどうかしたのか」
「どうかしたのか、だって? お前は気にならないのか?」
 片方がもう一人を見た。その動きでどちらの兵士がお喋りなのかがよく分かった。
「別に。気にしなくても仕事は成り立つからな」
「……まあ、そうだが」
 話しかけた男が黙っていると、そのうちに片方の男が聞いた。
「何を気にかけている?」
「……耳飾りは儀式の日から無いそうだ。儀式の時に外された耳飾りを誰かが持ち去ったらしいのだが、耳飾を外した王女の控え室には、俺の同期がいたんだ」
「……」
 二人は黙った。ひっそりとした空気が話の行先を暗示している。
「……そいつはどうなった?」
「消息不明だ。部隊長に聞いても何も教えてくれない」
「感じ悪いな」
「言っておくが盗んで逃げるような奴じゃない。とても真面目とは言えないが、善悪の分別ぐらいはつく奴だった」
「……賊が入って、その責任を取らされたのでは?」
「賊なら国中に公表するだろう」
 確かに、と他方が言った。
 男の言うとおり、国庫に侵入したのが賊ならば、公表して賞金を懸けるものだ。その方が効率的であるし、賊にとっても嫌がられる。
「見張っていたのはお前の同期だけか?」
「……分からん」
 男は首をかしげた後、再びしゃべりだした。
「最近、隠し事が多すぎるような気がするんだ。
 ステファンとアストロイはイミールに殺されたと言われているが、ステファンには金創(きんそう/刀剣による切傷)があったとも聞く。殉死した二人への勲章の授与式だって、上官は皆青ざめていた」
 シフェルには耳の痛い世間話である。衛兵隊にそのような命令を下したのはシフェルよりももっと上層の人間だが、彼らの決断に否を唱えるものはシフェルを含めて誰も居なかった。上手く隠し通せていることを願っていたが、それは都合の良い考えにすぎず、疑惑を抱く者は少なからずいたのだ。そうと知って胸が痛んだ。
 しかし、シフェルもその一件に関与して投獄された身である。表向きはイミールの生死を見誤ったアヴェリーを逃した罪だが、本当はイミールの頭に埋まっていた操魔石を紛失した罪でもある。最もその事実を衛兵たちは知らない。それは、シフェルが耳飾りのことを知らなかったのと同じことである。どうやら、あの儀式の日のすべてを把握している人間はごく一部であり、言い換えれば、彼らがすべてを掌握しているのだろう。
「……実は俺も、ひとつ気になることがある」
 話を聞くうちにつられたのか、もう一人が堰を切った。
「あの日、俺は城門の警備だったのだが……、見たのだ」
「何を?」
「ヴェルゼルスだ」
 六本の足を持つ暗黒の竜である。腐食した表皮に無数の蝿が集っていることから蝿の竜とも呼ばれ、近づく者をその体躯に直接取り込むと言われている。存在の危険性から生態を知るものは数少なく、よく知れていることはといえば、人里離れた漆黒の森の奥深くにしか棲まないと言うことだけである。
「なんだと? 肉眼で見えるところか?」
「十分に見えるところだった。ずっとこっちを見ていて……、ただ気味が悪かった」
 しばらくして魔物は去って行ったとその衛兵は言った。
 今、目の前で身震いをしているその兵士が上官に報告したかどうかは定かではないが、少なくともシフェルはその話を聞いていない。そんな大物がこの近郊をうろついていたとなるとその日の夜に旅立ったアヴェリーのことが心配になったが、アヴェリーも非凡な才を秘めた騎士である。きっと潜り抜けてくれているに違いないと信じることにした。
 それきり、二人の衛兵は黙り込んだ。二人とも大きな不安を背負っているのが、後姿でよく分かる。つまりそれは、民に対しては事故で済まされた今回の件が、王宮に関わる者にとって大きな影を落としたということに他ならない。
 再び静かになった地下牢に、囚人たちのいびきが木霊する。回廊の松明はすでに消されて、地下牢を照らすのは天井から漏れる欠けた月の弱い光のみである。
 来たばかりのシフェルの鼻孔を刺激してくれた地下牢の湿気がまとうカビの匂いは、一週間を経ておとなしくなったように感じられた。慣れきったわけではないが、今では浅い眠りを取ることができるようになっている。それでも看守の足音でふと目覚めた時に、手元に獲物がないのは心細かった。
 今のところシフェルの処分は決まっていない。エリニス王女の親衛隊長という身代は剥奪されたために、もはや収まる鞘はない。しかし投獄から時間が経っている事を考えると、死罪にするつもりはないらしい。自分の処遇に対する話は耳に入ってこないが、騎士連盟の反発が大きく、持て余しているようでもある。
(気味が悪い、か……)
 天井の隙間から漏れる月光が薄れて深夜を迎えようというのに、シフェルは全く眠る気になれなかった。

続く