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リルジャの足枷

IX.密会(2)

 横になったまま何度も寝返りを重ねていると、奥の扉が音を立てた。衛兵の交代である。二人分の足音がゆっくりとこちらに近づいてくると、棒立ちしていた二人の衛兵は待ちかねたように肩を回して、やっとかと言った。互いに短い会釈をして、入れ替わりに二人が牢獄を出ていく。辺りはすぐに元通りに戻り、その様をそれとなく見ていたシフェルもまた寝返りをうって目をそむけた。
(シフェル隊長)
 ふいに誰かに名前を呼ばれた気がしたが、無視をした。牢獄にいると幻聴が多いのは、最近身をもって知ったことである。牢獄に入ったことのある知人が、昼夜を通して暗闇に佇んでいると幻想が話しかけてくる、と言っていたのを聞いていたが、まさか本当にそうなるとは思っていなかった。その男は幻聴が聞こえても無視をしろと言っていた。幻聴と会話をするようになると、いずれは自分の感覚が信じられなくなって、過去の己の言動に自信をもてなくなり、あらぬ罪をも認め、最後には自ら身を貶めるようになる。
「シフェル隊長」
 いやにはっきりと耳に届く。シフェルは牢に入れられてから唯一与えられた毛布に顔をうずめて耳を塞いだ。
(シフェル隊長)
 呼ぶ声が遠のいてシフェルは安堵したが、すぐに気が付いた。幻聴が毛布で和らぐだろうか。
「隊長」
 耳だけを出してみると今度ははっきり聴こえる。誰かがひどく小さな声でささやいている。
「……誰だ?」
「私です。フィルクスです」
「なんだと?」」
 毛布を剥いで振り返ると、フィルクスがそこに居た。エリニス王女の儀式の時に、アヴェリーとともに庭に下りて護衛を務めていた親衛騎士隊のフィルクスが、衛兵の格好をしているのである。
「お前、こんなところで何をしている。自分がどういう立場かわかっているのか?」
 シフェルは鉄格子に近づいて言った。
 先の件があって、フィルクスは監視院に見張られている。獄中のシフェルに会うだけで、何かしらの濡れ衣を着せられる身柄であるのに、衛兵に化けてもぐりこむとはもっての他である。シフェルが声を大きく張り上げてしまいそうになるのも無理はなかった。
「大丈夫です。私も馬鹿ではありません。根回しはしてあります」
「根回しだと?
 誰に協力させた? その者の身に何かあったらどうする!」
「隊長、落ち着いてください」
「落ち着けるか、馬鹿者!
 良いか。アヴェリーと私がこうなった以上、あの件についての事実を知っていて、親衛隊の身分をはく奪されていない人間はお前だけなのだぞ。今はその身を守り、大事の時には証言をしろと言ったではないか!」
「わかっています。安心してください。私も隊長と同じです」
 そう言うとフィルクスは上半身の甲冑を外して襟をまくった。十字架とその中央から風車のように羽根が四枚生えた刻印がそこに彫り込まれている。十字架の四隅と中央に刻まれたスペルと組み合わせると、ディアククと読めた。
 その印はシフェルの体にも刻まれている。
「……お前、いつから会に?」
「祖父が亡くなった時からです。後継として私が」
「そんな話、初耳だぞ」
「お互い様です。私も隊長が会員だとは思いもしませんでした」
「……そのお前がわざわざ地下牢に出向いてきたということは、俺を消しに来たのか?」
 シフェルは身構えた。秘密を隠れ蓑に活動するディアクク会にとって、囚人となりかけている組織員は脅威である。暗殺の手が回ったとしても不思議ではない。
「いえ。今のところは」
 口を滑らせたのか、フィルクスは後味の悪い言葉を返した。
「……どういうことだ?」
「……王女の耳飾りがなくなりました」
「その話か」
「もうご存知ですか?」
「さっきまで衛兵たちが喋っていた。それを聞いただけだ」
「……そうですか」
「何だというのだ?」
「行方は宮廷の呪術師たちが探っています。彼らの内の一人が、耳飾りの場所をある場所に読み解いたそうです。
 パレグレオ大公国に聞き覚えはありますね」
「……アインガスト。そう言いたいのか?」
「ええ、もう一人の王女がいるいうアインガストです」
「……」
「情報では、アヴェリーさんが隊長の馬でアインガストに向かって逃げたとも聞きます。そして隊長はリーニス王女ともつながりがある、とも。
 もし、アヴェリーさん本人や隊長の馬に……」
「それはない」
 シフェルの言葉が殺気にまみれていることに気づいたのだろう。フィルクスは首をひっこめた。
「そんなことをして、俺に何の得がある?
 この際言っておくが、アヴェリーを逃がしたのは確かに俺だ。人のつてを頼らせるためにアインガストにも向かわせた。だが、それだけだ。耳飾りのことは今初めて知ったし、それ以上のことは知らない」
「……」
 しばらく考え込むような仕草をみせた後、フィルクスは『分かりました』と言った。
「今の会は、王家とのいざこざを嫌っています。そして、中枢の方々は……」
「俺を危険人物だと思っている」
「……そうです。
 事の次第によっては、隊長の命が危なくなります。今のところ隊長をどうこうする指示は出ていませんが、今後は……」
 そこまで言うとじっとしていられなくなったのか、フィルクスは一歩近づいてきた。
「隊長。その……、十六年前に何があったのです?」
「お前は知らない方がいい」
「しかし、協会の元老たちは口々にそのことを引き合いにして、隊長を……」
「わかっているさ。だが、もう済んだことだ。今さら振り返ることでもない。
 それより、いいのか? それだけのために危険を冒してお前がここまで来たのではなかろう?」
 フィルクスは大きく息を吐いた。シフェルの本心を聞き出せなかったことに落胆しているようだった。
「イミールの探していた『鍵』について、知っていることを教えてください」
 判然としない表情を一瞬に隠して、フィルクスは言った。
「……」
 シフェルは黙り込んだ。やがてゆっくりとフィルクスの目を見た。
「フィルクス。お前、独断でここへ来たな?」
「……」
「いまさら会が鍵のことを俺に聞く必要はない。耳飾りにしても、証拠が出たら俺を罰すればいいだけのことだ。
 どちらのことも、お前が知りたがっているだけとしか思えない」
 フィルクスが目を伏せた。
 沈黙の間に、囚人たちのいびきが地下牢を行き来する隙間風に運ばれた。
「うまく会を利用したつもりかもしれないが、過信するなよ、フィルクス。
 フィオメインは良い国ではないが、それでも祖国だ。王族はさておき、皆には母国としての繋がりや絆がある。しかし、ディアクク会は思想をともにしているだけの寄合所帯に過ぎない。目的のためのなら平気で人を裏切るぞ」
「そんなのは、わかっています!」
 突然、フィルクスが回廊に響くほどの声を上げ、いくつかの鼾が止まった。月光がフィルクスの影を大きく拡げる。
「わかっています」
 己に言い聞かせるように、再びフィルクスが呟いた。
「ですが、私には私の理由があるのです」
 視線が敵意なく交錯した。
 シフェルは何も言わずに、フィルクスの双眸を見続けた。
「フィルクス。あまり時間がない」
 二人のやり取りを見かねて、突っ立っていたもう一人の衛兵の男が言い、フィルクスもすぐに目配せをした。
「……では、私は行きます」
 答えを得られないまま、フィルクスが立ち上がった時に、シフェルが手招きして呼び止めた。
「フィルクス。知りたければ、お前もアインガストへ行け」
「……無理です。さすがに国外には出られません」
「無理じゃない。耳を貸せ」
 シフェルは声をすぼめると、もう一人の衛兵にも聞こえないようにささやいた。
(いいか。
 王女は十六歳になられた。これからは社交の場に主賓として招待されることになる。
 じきにアインガストで『聖なる禊の祭典』が催されるだろう。その場に堂々と居合わせることができるのは、親衛隊員であるお前だけだ。そこならば、国にいるよりも監視院の目を和らげることができるだろう。あとはお前のやりたいことをやれ)
(隊長……)
(その時は、アヴェリーによろしく頼む)
 そう耳打ちをすると今度は声を大きくして続けた。
「それから、忠告だ。
 監視院を甘く見るな。奴らは何処にでも紛れる。会にも、この牢獄にもだ。
 彼らの後ろ盾は王朝だ。そのことを忘れるな」
 無駄死にだけはしてくれるなという期待を込めて、シフェルはフィルクスの背中を送り出した。

続く