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リルジャの足枷

XIV.再会(5)

 縄が払われると、レドベグは大きく息を吸い、足を崩して後ろ手をついた。
「ふう。はなっから、こうしてくれりゃいいんだ」
 悪態をつくレドベグに、ハーサットは舌打ちで応えた。
「で? 何が知りたい?」
 レドベグはアヴェリーを見たが、アヴェリーはその視線をハーサットに渡した。
「……旧約の証を知っているか?」
「旧約?」
 ハーサットの言葉がピンと来ないのか、レドベグは首をほぐしながらあちこちに目をやった。
「旧約……。ああ、シラクか」
「シラク?」
「旧約の事さ。古い言葉でシラクって呼んでたな」
「……詳しいな」
 なぜレドベグのような賊が古い言葉を知っているのか、ハーサットは怪しんだ。
「なに。俺たちは、物を一般的な言葉で呼ぶことは少ない。知られていない言葉を使うのさ。ひとえに、ばれないようにだ」
「ということは、旧約をシラクと呼んだことがあるのだな? 旧約の証を狙ったことがあると」
「落ちつけよ旦那」
 レドベグがハーサットをからかう様にして横になった。
「俺自身は、そう呼んだことは無い。だから思い出すのに時間がかかった」
「どうだかな……」
「疑われても困る。俺はもう足を洗ってんだ。仮に狙ったっことがあったとして、今さらどういうこともない。俺から話すことは何も……」
 ない、と言いかけたところで、レドベグの表情が固まった。
「どうした?」
「……」
 レドベグがのそりと起き上がった。ごつごつしたその手で顎を掻くと、無精髭がジリジリと音を立てる。
「一つだけ、古い話がある」
 掻く手を止めて、レドベグが言った。
「古い話?」
 ハーサットがにじり寄った。
「なんだ、それは?」
「伝説だよ。シラクをすべて集めた者は、レフェスを手に入れる、ってな」
「レフェスを? 手に入れる?」
「そうさ。
 シラクってのは、つまり、レフェスに棲むそれぞれの精霊との契約の事だ。火のシラクを持つ奴は何処にでも火を起こせると云われている。見たことはねえが、それは確からしいじゃねえか。じゃあ、レフェス中に散らばっているっていうその証を、全て手に入れたらどうなる?」
「……いろいろな精霊の力を操ることができるようになる、ということか」
 アヴェリーが口をはさんだ。
「その通り。全てのシラクを手に入れれば、すべてが思い通りにできるっていいうことさ」
「ふん。子供騙しだな。手から火が生まれようが、空から火が降ろうが、操れるのは精霊に過ぎん。世の中はそれが全てではない。人の魂が操れるなら話は変わってくるかもしれんが、レフェスを統べるというのは大げさだ」
 立ち聞きしていたハーサットが壁に寄り掛かった。
「ごもっとも。普通はそう考える」
 勿体付けるようにレドベグが言う。
「何が言いたい?」
「その馬鹿げた伝説を信じて、熱心に証を集めている奴らがいると聞いた」
「……どこの馬鹿だ?」
「ディアクク会」
「……」
 初めて耳にする名前だった。このスタインバードの街を貫いているディアクク修行路を知らないはずはないが、それにまつわる会合があったことなど聞いたことがなかった。
「聞き覚えがないが、それも賊の中での言い回しか?」
「いいや。正式な名称さ。だが、まあ、普通は知らない。国にも民にも関わらない、影の組織だからな。ましてや旦那方のように、王族や貴族に従属して生きている人間の耳には、届く訳もないだろう」
 レドベグの言う嫌味に、ハーサットの眉が反応した。
「ふん。まあいい。
 それで、そのディアクク会とやらの情報はあるのか? あるのだろうな?」
 にらみを利かせるハーサットを一瞥して、レドベグはにやりとした。
「さあ、どうかね。それは旦那の心がけ次第だな」
「何?」
 レドベグが挑発している体で、駆け引きをしよう、と言っている。
「……貴様、金をせびるつもりか?」
「いや、金は要らない。困っちゃいねえしな」
「では、なんだ?」
「俺は今の生活が気に入ってる。これを最後に、俺に付きまとわないと約束してくれたら、全部話してやってもいいぜ」
 今度の発言は、ハーサットの眉ばかりでは済まなかった。
 アヴェリーが押さえつけるよりもハーサットが壁を離れるのが早く、辛うじて腕を掴んだが、ハーサットはそれにかまわず、レドベグの左ほほを殴りつけた。岩をも砕かんばかりの剛拳にレドベグの体が積み上げられた藁の上で弾む。
「貴様。何を言っているか分かっているのか!」
 馬屋に怒号がとどろいた。
「幾度となく盗みを働いて、今さら平和に生きたいだと?
 罪を償いもせず、そんな横暴な振舞いが許されると思っているのか!」
 血の滲んだ唾を吐きながらレドベグが起き上がる。
「罪を償うって何だ」
 殺気立った眼でレドベグが言った。
「俺が長年抱き続けた疑問に、あんたが答えられるなら、ぜひ聞かせてもらいたい。
 平民から税を巻き上げる王族が許されるのに、やつらから金を取り戻すのは罪なのか?
 やつらは一枚の金貨をトランプのカードのように捨てやがるが、俺たちはその何百分の一の価値しかない一枚の銅貨で、その日一日の食費をやりくりしてんだ。使いもしない王族の財産を生活の糧に宛てて何が悪い?」
「屁理屈を捏ねるなよ、レドベグ!
 どんな理由があろうと、人の物に手を出すのは罪だ。皆が精いっぱいに働いて飯を食べている中で、何も失わずに利を得るなど、あってはならん」
「はっ! あんたは何も分かってねえな。俺たち盗賊がのうのうと生きてきたと思ってんのか?
 俺はこの命を、この寿命を天秤にかけて稼ぎを得てきた。王族は何を失って税を得る?
 人の物を取るのがあってはならないというのなら、やつらこそ、それそのものではないのか!」
「税が何だ!
 土地や民に平和をもたらす為には、金が必要になる。強制的に徴兵しない分、税をとり、平和を取り持っているということが分からんか!」
「平和って何だ?
 戦いが無いのが平和か?
 あんただって散々見てきたはずだぜ?
 エネハインの郊外に蔓延していた飢餓! 病気! 墓のない屍!
 そのすべてを含めても、エネハインが平和だったというのか?」
 ハーサットは、答えに詰まった。自身の幾度とない遠征で目し、その度に目を瞑ってきた光景がにわかに蘇ったのである。
「やめよう、ハーサット」
 二人の衝突を見かねて、アヴェリーが後ろから止めに入った。
「口をはさめた立場ではないが、この歳になって分かってきたことがある。
 他人には他人の背景があるということだ。今はそれで十分ではないか。それに、そこに執着している場合でもないだろう」
 何度も頭をかくハーサットの気持ちも、アヴェリーには良く理解できた。
 へき地遠征が主だった第二騎兵隊のハーサットにとって、賊の討伐は生業であったのだ。そのハーサットが盗みの妥当性を認めると事は己の仕事を否定することであり、騎士として過ごした人生を否定することにつながる。言い負かされることに耐え難い葛藤があるのは、当然のことであった。
「くそっ!」
 ハーサットはアヴェリーの腕を振りほどくと、埃を巻き上げるほどの勢いで、その場に座り込んだ。

続く