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リルジャの足枷

XVI.隊の死(1)

 第一に、王女に対する殺害未遂。イミールの死をアヴェリーに偽らさせ、緊張が解けた王女を狙おうとした。結果的に二人の勇敢な衛兵の犠牲により、王女に危機が迫ることなく処理されたが、道を誤れば王女が命を落としていたに違いない。
 第二に、証拠の隠滅。イミールに埋め込まれた操魔の石が罪人の手によって持ち出され、紛失したのは紛れもない事実である。
 第三に、混乱に乗じた耳飾りの窃盗、および国外への流出。本来ならば親衛隊を待機させるべき王女の居室に一般衛兵を置いたことは不可解な点である。しかし、罪人自身に疑いの目が当たらないように、親衛隊を外させ、関係のない人間を配置したと考えれば、それも説明が可能である。つまり、この行動は罪人が自らの身を護るべくして取ったものであり、ゆえに耳飾りの窃盗に対する関与を、暗に認める行為である。
 また、宮廷占星術会は、耳飾りの行方をパレグレオ大公国領アインガストに見定めた。これは、ダブログ共和国から報告されたアヴェリーの旅路と一致しており、アヴェリーが罪人の馬を使用していることは、本国の馬屋の主が証言している。これは、罪人がアヴェリーを遣って耳飾りを運び出したことに他ならない。
「いずれの罪も大罪というには及ばないが、エリニス王女の親衛騎士隊長ともあろう者が犯したという事実は非常に大きいものである。よって、罪人を極刑と定める」
 外に対して閉ざされた法廷にその言葉を響き渡った。法廷などと呼ばれても、そこに第三者の裁定はない。あるのは飾り物の十字架と、クロークに身を包んだ神官たちの薄い影である。その銀色の十字架さえ、中の木がどれほど腐っているのか、知れたものではなかった。
「異議はあるまい? シフェル・ライアード」
「……」
 反論の余地はある。罪状のほとんどはねつ造できるものなのだ。しかし、シフェルは『口糸の術』を施されて、鼻で呼吸をするのが精いっぱいだった。顎は甲冑で締められ、首を振ることもできない。
「潔く罪を認めるとは殊勲。
 執行は明朝。今宵の夕餉に君の望むものを提供しよう。
 では、これにて閉廷とする」
 腹の底に響き渡るような鐘の音が、一回、二回鳴った。それでもシフェルの口はまだ開くことができない。にわかに輝く光に目をやれば、それは夕日ではなく、斬首台の刃が返す反射光であった。
 死――。
 その存在を肯定したのは、人生の中でこれが初めてである。牢へ戻る道を一歩踏むごとに、それが己の心をむしばんでいくのがよく分かる。地下へと延びる真っ暗な階段を前にしたとき、シフェルは足の震えに立ち止まり、その場に崩れ落ちた。
「シフェル殿。しっかり」
 横に立つ法廷直属の兵が言った。言葉がやさしいのは、過去にシフェルが目をかけた兵士だからである。その兵士には、法廷に就きたいという希望の半分をシフェルに叶えてもらった恩があった。
ロイドという名の青年だった。
「歩けますか?」
 肩を貸そうというロイドの手をシフェルは払った。
 罪人の烙印を押された以上、シフェルは雑多にあしらわれるべき存在である。彼の手を借りることは、彼を巻き込むことに他ならず、それは絶対に避けるべきことだった。
「つまづいただけだ。気にするな」
 ようやく口が開いた。
「しかし」
「後で、水を持ってきてくれるか? のどが渇いた」
「……はい」
 精いっぱいに突き放すと、シフェルは煉瓦のくぼみを掴みながら自力で立ち上がったが、まだ膝が震えている。その姿を情けないとシフェルは思ったが、ロイドの眼はそうではなかった。シフェルはロイドの顔を見ない様にして歩き始めた。
 先に続く回廊が暗闇に飲み込まれている。一歩を進めば進むほど、引きづりこまれていくような感覚が恐ろしい。
(いっそこのまま死ぬことができたなら、これが楽に感じられるのかもしれん)
 ふと、そんなことも考えたが、すぐに忘れることにした。まだ、執行までの猶予はある。その瞬間までは、せめて健常に居たい。
 牢に入ると、ロイドが下ろした錠の音が、妙に重たくシフェルの心臓にのしかかった。
「すぐにお持ちします」
 ロイドが駆け足で出ていくと、シフェルは毛布を積み上げてそこに座った。ひび割れた天井の隙間からは、夕日に染まった空が見える。
(あいつら、今頃何をしているかな……)
 思ったのは、アヴェリーとフィルクスの事であった。身内よりも友人たちよりも先に二人の元配下のことを思い出したのは、今回の件に深く関わっていたからだ。
 成熟した大人のアヴェリーが旅路で困ることはないだろうが、法廷で話されていた通りに王宮がアヴェリーの行方を掌握しているとなると、追っ手の不安は拭いきれない。もし王宮が近隣諸国に要請して騎兵隊を遣い、公路をしらみつぶしたとすれば、捕まるのは時間の問題だろう。シフェルの知る限り、アインガストにたどり着ける道は公路しかない。人が行き来するには危険の多い森や山を避けてできたのが公路なのだ。
 アヴェリーはきっと、シフェルの言いつけに従って大公国の古都アインガストに踏み入るに違いない。この状況下でパレグレオ大公国に入るのは非常に危険だ。そこが彼の人生の終着地点になってしまうことは、どうあっても避けてほしかった。
 そして、アヴェリー以上に問題を抱えているのがフィルクスである。
 フィルクスはまだ若い。本人の望みだったとはいえ、隊に抜擢したことを後悔した時があったほど、騎士として未熟であるし、落ち着きのないところがあった。そんな彼が監視院のリストに載ったままで生きていけるのだろうか。シフェルの忠告を無視して地下牢に会いに来た先日の件は、どうやら無事にやり過ごしたようではあるが、今後も同じようにいくとは限らない。
(リストに記載された者の死亡率が九割を超える現実を、もっと伝えるべきだったかもな)
 二人の顔をもう一度空に浮かべた所で、シフェルは横向きになって毛布をかぶった。
 うす暗闇の中で、次々に友人や親類たちの顔が思い浮かぶ。どうしたことか、こういう時に思い浮かぶのは皆一様に笑顔で、シフェルの心をこれでもかと締め付けてくれた。自分で蒔いた種だと言われれば違いはないのだが、なぜこの結末になってしまったのかを考えると、目頭が熱くなった。
『兄さんの為じゃない。ロアンナ様の為だよ。
 今の兄さんには、命を懸けて働くほどの魅力はないもの。
 だから、もう一度聞くよ? 王宮と戦う勇気はある?』
 急にその言葉が暗闇に浮かんだ時、シフェルはハッとした。
 幻聴などではない。ずいぶん昔に言われた言葉が、そのままに浮かんできたものだ。
 何故その言葉が、今浮かんできたのか。その理由をシフェルは分かっていた。己が歩んできた道が間違っていなかったことを信じたいがために、その始まりの言葉を思い出したのだ。
(そうだったな……。ミアス。
 これが俺たちの行く末だ)
 シフェルは一人、思った。
「シフェル殿」
 声に振り返ると、そこには青ざめた顔のロイドが立っていた。
「……夕餉です」
 盆を持つ手が震えている。
 置かれた皿の上には縄があり、カップの水は泡を立てていた。
 執行は明朝――。夕餉に望むものを――。
 神官は刑の執行方法を述べていなかった。
 表立って処刑するつもりがないことは感じていたが、斬首だと思っていたのはシフェルの思い込みにすぎなかったようだ。おそらく、騎士隊長まで上り詰め、顔が広く知られているシフェルに対する刑の執行によって、何らかの事態が起こるのを王宮は恐れているのだろう。そのために、獄中で首を吊るか、毒を飲むか、とにかく人知れず死ぬ方法を好きに選んで、朝までに死ねということらしい。
(……)
 シフェルはぞくりとした。自分の手で自分の命を終わらせるほど覚悟のいることはない。喉を鳴らして生唾を飲まざるを得ないような決断が、いま目の前にある。
「……それと、これを」
 鉄格子の隙間からロイドが差し出したのは、水とナイフだった。
「髭を剃るためにお持ちしました」
「……すまん」
 シフェルは一言だけ添えて受け取った。
「何か、他にお手伝いできることはありますか?」
 震えた声でロイドが言った。
「馬鹿を言え。自殺を手伝う奴がどこにいる」
「……では、遺言などは?」
「……」
 問われて考えたが、親類は身近にいない。すぐに思い浮かんだのは、やはりあの二人だった。
「もし、アヴェリーとフィルクスという二人の男が、俺と同じような窮地に立たされたら。
 ……その時は、お前が力になってやってほしい」
「分かりました」
「それと、俺のことを気にかけている奴がいたら、先に行っていると伝えてくれ」
「……はい」
 ロイドはシフェルの言葉を懐深くにしまいこむ様にしてうなづいた。
「それでは……」
 ロイドの目が赤い。
「おう。ご苦労だったな」
 シフェルは廊下で見送るかのように軽く応じた。
「……」
「どうした?」
「申し訳ありません。お言葉が見つかりません」
「難しく考える癖は相変わらずだな。簡単に、旅立ちだと思えばいい」
「……では、また、お会いする日を、心待ちにしております」
「おう。またな」
 ロイドの涙が牢獄の床を濡らす。ロイドは何度も頭を下げ、最後にはシフェルと目を合わせないようにしながら回廊を走り去っていった。

続く