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リルジャの足枷

XVIII.隊の死(3)

 フィオメインの城下に、活気という言葉は似あわない。人々の生活は粛々としたもので、ある種の儀式のように執り行われているのである。路には、まるで戦時下のように衛兵が徘徊していた。外人の目からすれば異様に映るだろうが、民衆は緊張を強いられているわけではない。それが、フィオメインの平時というものなのだ。
 しかし、今のこの男には例外であった。
(誰かが、見ている)
 人々が他愛のない会話を交えながら歩く大路も、猫一匹通らない日陰の小路も、フィルクスは誰かに見られている気がして仕方がなかった。追い回されている罪人のように、数歩ごとに背後を振り返り、あるいは建物の窓に目をやって、独り忙しなく移動しいている。正面がおろそかになって、人にぶつかるのもしばしばだった。気を落ち着けることができるのは、壁を背にしたときだけである。
 監視院に目を付けられているフィルクスが日頃から出歩いているわけではない。もともと内向的な性格で、家にこもっていることの方が多かった。さすがにあの日以来、扉を施錠して窓を閉め切る癖はできたが、それが生活に大きな影響を及ぼすことはなかった。だが、その分、今日のように職務以外で外出する時は注意が必要になった。監視院がどのように追い詰めてくるつもりかは分からないが、フィルクスに隙があれば、それを元に揺さぶりをかけてくるに違いない。特にシフェルがこの世を去った後のフィルクスの行動は、監視院にとって非常に興味深いことだろう。
 シフェルの訃音は、昼夜をまたがずに届いた。ディアクク会の筋からの情報ではなく、正当な親衛騎士隊の旧隊長の死として、もたらされた報せであった。その時に、合わせて伝えらえた事が二つあり、一つは、後任は後日決定するとのことで、もう一つは、行動を慎む様にとのことだった。後者の伝令を、喪に服せ、と理解した者は少ないだろう。多くは、騒ぎ立てるな、という意味に捉えたはずである。
 それ以前に問題視されているフィルクスだが、その指示には従えなかった。騒ぎ立てる訳ではないが、やらねばならないことがあったのである。
(間に合えばよいが……)
 フィルクスは左を見ながら右に曲がり、出会いがしらに人とぶつかった。
 何処を見ている、と罵声を浴びせる男に頭を下げながらも、考えているのは監視者のことである。
 先ほどから、角を曲がる度に窓を気にしていた。窓から覗き込む人間ではなく、窓に写り込む人影の方である。尾行は標的が角を曲がった後に距離を詰めるのが習癖があり、それを見つけるには鏡か窓を使うのが良い、と親衛隊の教育で学んでいた。王女の身を護るために習得した技術が自分のために役立っているのは皮肉でもあったが、こだわってはいられない。
(まただ)
 フィルクスは自分が角を曲がると必ず一人の影が現れ、ゆっくりとこちらへ向かってくることに気づいていた。それが一体誰なのか。そして、本当に自分が標的になっているのか。どちらも気になるところではあるが、ゆっくり見物しているわけにはいかない。窓の反射を利用するのは諸刃の刃でもあり、此方の方が影になっているとはいっても、勘づいていることがあちらに知れ渡れば、その後どうなるか知れないからだ。
 フィルクスはすぐに壁を離れ、再び視線を散らしながら路を進み始めた。
 城を中央に配した城下には北以外の三方に外門があり、それぞれの門から城門にむかって渦を巻くように路が伸びている。小路を除けば直線的な路がないのは、騎馬よりも法術に重きを置くフィオメインの戦力がそうさせたためだ。
 そうした曲り路はただ逃げるだけであれば有利になるが、尾行の正体を知ろうという場合には不利であった。そのためにフィルクスは、何度も無作為に路地を曲がり、城下を縫うように歩いていた。ただ、尾行に気を取られるあまりに、気が付くと同じ道を歩いていることもあった。
(くそっ)
 例の影はピタリとついてくる。
 向かっているのは、城下を抜けて丘陵を上ったところにある郊外の寺院である。目的はディアククの月例会に参加するためだ。もちろん、出席するには、執拗なこの尾行を巻かねばならない。シフェルの言葉にもあったとおり、ディアククのことをよく思っていない王宮が会とフィルクスの関係を知れば、フィルクスの処分は平穏に片付かないだろう。
 月例会は正午過ぎに、寺院の地下にある暗室で行われる。月例と言っても誰かが何かをするわけではない。ディアクク会は強制力をもたず、全ては会員たちの自発的な行動に任されている。会員達が起こそうとした行動に会として協力すべきことがあれば、援助の手を差し伸べるし、そうでなければ静観するだけだ。会の中枢に座る人物たちは月例の日になると各地の協会を訪れ、会員たちに神託としてお告げを残し、去っていく。要するに月例会とは、相談を持ちかける日に他ならないのである。
 そのようなことをわざわざ暗室で行うのは、会の機密性を保つという目的があってのことである。互いの顔はあくまで見せないことが会の規約であり、話はすべて筆談と決まっている。書いた紙もその場で燃やす念の入りようだ。会の歴史が何百年も保たれているのは、そうした隠匿性によるものだが、そのせいで会員が実際に何人いるかを知る者は居ないとも言われている。結果的に月例では、出席も取ることはできないし、遅参者を待つ習慣もなく、暗室の扉は正午過ぎに締め切られて入れなかった者は引き返すしかない。
 壁に映るフィルクスの影は、まだ少しだけ西に寄り掛かっているが、ほとんど北に向いている。陽の南中がもう始まっていた。ここから直線的に寺院に駆け込めば、正午過ぎの到着はぎりぎりだろう。だが、後ろの影はやはり角を曲がると出現する。
 フィルクスが相談したいこととは、率直に今後の身の振る舞いについてだった。シフェルという精神的な支えを失って、この不安な気持ちを誰かに話したかったというのが、情けないが事実である。幼少の頃に家族を失ったフィルクスの話し相手は、養父母しかいない。しかし、養父母には監視院のリストに入っていることを話してない。あまりに気が重く、伝えられなかったのである。その二人に、今さら何を相談できるだろうか。フィルクスは会からの明確な援助を望んでいるわけではなく、ただ、相談したかったのである。
(……今日は無理だな)
 正午を迎えてまっすぐに立った影と向かいあって、フィルクスは観念した。
 諦めはしたが、このまま真っ直ぐに帰るのは不自然だと考え、その足で市場に入った。賑わい時を通り越した市場は人も品も少なく、ひさしの下に残っている物は傷物ばかりで、片づけを始めている店も多い。その中をあえてゆっくりとした足取りで歩き始めた。もはや巻くことは考えていないが、相手の顔を見ることができればしめたものである。
 しかし、フィルクスの背後はそれっきり平和になってしまった。どうやら、付け回すのではなく、待ち伏せるつもりらしい。市場は百軒近くの店舗が軒を連ねる大きなものだが、出入り口は東と西の二つしかないのだ。
 期待が外れて拍子抜けしながらもフィルクスは市場を突き進んだ。
 フィオメインの市場では取引される物は二つある。朝から昼にかけての青果に、夕から夜にかけての術具である。朝は人々の暮らしのために開かれ、夕は国外の客を相手にした交易のために開かれる。二つの顔が入れ替わる今の時間帯は、業者の出入りが中心だ。夜の顔を持つ店の主は、業者から金に宝石、蝋などを買い、魔除けや装飾具を熱心に造るのだ。
 国外からは魔術市とも呼ばれるフィオメインの風物だが、フィルクス自身が夜の市場に来たことは数えるほどしかない。騎士としては無用のものがほとんどであるし、本物は出回らないという噂が外国人のした揶揄でないことを知っているからである。
 そんな行商人の目立つ市場を歩き続けるうちに中央広場に出たフィルクスは、巨木の近くに腰を下ろすとそのまま横になった。
 いくつかの雲の塊が空を流れて、時折木々のざわめきが割り込んでいる。いろいろと今後のことを考えなければならなかったが、その空気に任せていると、次第に人の話し声が心地よく聞こえてきた。

続く