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リルジャの足枷

XIX.隊の死(4)

『ほう。君がフィーレ家の跡継ぎか』
 ぼんやりと明るい視界の中で、中老の男が言った。それが夢であることはすぐに分かった。
 声の主はディアクク会の最高位にいる、アウベス・エル・ドニアムである。レフェス北方宗派のひとつであるエル・ミリード<聖なる白き鷹>の司祭長を務めている人物だった。月例会で話すことができなかったフィルクスの願望が、彼を夢の中に招いたようだ。
『はい。フィルクス・フィーレと申します。会員の志は、亡き祖父より継ぎました。以後、よろしくお願い申し上げます』
 フィルクスは自分の名前を復唱した。忘れもしない、初めて月例会に参加した時の記憶である。
『うむ。アウベスという。よろしく頼む』
 アウベスは優しい声をしていた。小動物を住まわす巨木のような柔らかい雰囲気は、初対面というフィルクスの緊張感をすぐにほぐしてくれた。
『ご両親のことは聞いておる』
 アウベスが言った。
『しかし、それもフィーレ家の宿命でもある。受け止めねばならんぞ』
『……はい。分かっているつもりです』
『ふむ。今はそれでよい。だが、ゆくゆくは受け入れねばならんぞ。その時までは、時間をかけて君の命の遣い方を考えよ。それが、フィーレ家の宿命であり、運命なのだ』
 夢はそこで終わった。出会った時と、両親を亡くした時にアウベスから頂いた言葉が混じりあった白昼夢であった。
 打って変わって青い空がフィルクスの視界に広がる。
「宿命であり運命、か」
 同じ言葉と実父から聞かされていた。フィーレ家に生まれた人間だけに許された権利であり、同時に背負うべき定めなのだと。その話を聞かされたのは、まさしく物心がついたころだった。
 フィーレ家はフィオメイン王家に次ぐ旧家であった。古来より類まれな魔力で人心を掌握し、繁栄の中心に立ったフィオメイン王家だが、その巨大すぎる力は時に暴走を繰り広げ、多くの犠牲を強いてきた。その犠牲を軽減するために王家の枷となったのが、王家筋と血の源を同じくするフィーレ家である。フィーレ家は常に王家を支え、近年までは国の歴史の中心で生きてきた。
 古くのフィーレ家を知る者たちは、その旧家を『魔を抑える一族』とも『魔を育む一族』とも、あるいは『魔を滅ぼす一族』とも呼んだ。しかし、王家筋の魔力が廃れ、フィーレ家という枷が不要になった今では、それらの呼び名も聞かなくなった。使わない鎖に居どころが無いのは、家畜小屋で知ることができよう。
 しかし、そうであってもフィーレ家には、特にフィルクスの両親には、アウベスの言うような何かの宿命が感じられていたようだった。フィルクスという下の名前の由来が、『終焉』と『不死鳥』と言う二つの相容れない言葉から来ているのも、その証拠だろう。それが時にはフィルクス自身をひどく悩ませるのだった。
 もはや知ることもできないことを考えていたところに、影が覆いかぶさった。視線を下げると、目の前に荷馬車の幌が見えた。
「フィル」
 すぐに幌の中から声がした。その愛称で自分を呼ぶ人間は一人しかない。
「ノールーか?」
 目を凝らすと幌の中に良く知った女の顔が見えた。
「気を付けて。見張られている」
 ノールーが言った。
 フィルクスは、ゆっくりと巻き戻すようにして横になった。
「どうしたんだ? こんなところで」
「月例会に来ないから、様子を見に来たのよ」
「……よくここが分かったな」
「人の少ない昼過ぎの市場に見張りが立つことなんて、そうそうあることじゃないからね」
 ノールーが監視院の人間を知るはずはない。しかし、彼女には他人の攻撃的な神経をとても敏感に感じ取る力があった。幼少の頃に父親から虐待を受けていた記憶がそうさせると、彼女自身が語っていた通り、身を護るためのものなのだろう。時に鋭敏すぎることもあるが、ノールーの勘はフィルクスにとって信じるに足りるものだった。
「月例会はどうした?」
「中止よ。シフェルさんが死んで、エル会長も慎重になっているみたいね」
 エル会長とは、アウベスのことである。エルとは古い言葉で『聖』を意味し、アウベス・エル・ドニアムとは聖ドニアムという意味になる。周囲がアウベスを神格化するために付けた符号のようなものだが、アウベスを名指すには都合が良く、会ではエル会長という呼び方をしていた。
「そうか……」
 ノールーの話を聞いて、フィルクスは浮かない返事をした。
 今日の月例が無くなったというのは、ほっとしたようでもあり、気がかりでもあった。参加できなかったことに焦る必要はなくなったが、シフェルの処刑を会長がどのようにとらえているかを聞く機会を逸してしまった。もともと個人の秘密を漏らさないのが会の決まりであるために、ディアクク会にとってのシフェル・ライヤードの存在価値を確かめるのは難しい。聞くならば、今回が最後のチャンスだと考えていたが、もはやその機会を得ることはないだろう。ただ、シフェルの死を利用することに少なからず嫌悪感を抱いていたフィルクスにとっては、ちょうどよかったのかもしれない。
「親衛騎士隊はどう?」
 悶々と考察するフィルクスにノールーが聞いてきた。
「どうもしないよ……。王女の周りは当番制で固めているけれど、それ以外の活動は自粛するように言われている」
 それ以外の活動とは、非常時の想定訓練などのいわゆる騎士の活動である。
「シフェルさんがいなくなっても、皆は平気なの?」
 ノールーがシフェルのことを知っているのは面識があるためであった。実を言えば、牢獄に忍び込んだ時にフィルクスとともに衛兵に扮したのが彼女である。彼女だけではなく、今フィルクスの横で荷馬車の馬を休めるふりをして周囲を警戒している彼女の義兄も、その協力者であった。
「平気を装っている」
 数人の隊士が除名を申し出ている事実があるが、それは隠した。
「フィルは、まだ続けるの?」
 ノールーはフィルクスが隠したことをあっさりと見抜いていた。
「……聞くな」
 辞める訳にはいかないことをノールーは知っているはずだった。ここで逃げれば、監視院からは逃げられるかもしれないが、シフェルやアヴェリーの被疑は晴らせないままになってしまう。事実を知る最後の隊士として、最も王家の懐近くにいる地の利を生かさねばならない。
「言ってみただけだよ」
 幌の中からくすくすと笑い声が聞こえた。
「もう行けよ。奴らも馬鹿じゃない。お前はまだしも兄貴に迷惑がかかるぞ」
「はいはい」
 ノールーが、じゃあねと言うと、義兄が荷車に飛び乗って馬に鞭を入れた。栗色の二頭が鼻息を噴き出してゆっくりと蹄を打ち鳴らす。フィルクスは木の枝から見え隠れする空を見つめたまま、彼らが広場から出ていく音を聞き届けた。
(……帰るか)
 腹の虫が帰路を誘っている。起き上がるきっかけを空や木の枝に求めてみたが、なかなか見つからず、フィルクスは十を数えてから起きて、広場を離れた。
 通りすがりの店に入っていた業者の馬車に紛れて市場を出ると、  すぐに影がついてきた。
 さっきと違って、今立っているのは帰路である。その影を無視してまっすぐに帰ることはできたが、そうすると午前中の不審さが際立ってしまう。フィルクスは帳尻を合わせるようにして、再び城下街をジグザグに歩いた。角に立つたびに窓を見ると、午前中を再現するように影が映っている。ばかばかしくなって、苦笑が漏れた。
 家の前まで来ると、玄関前の階段に誰かが座っているのが見えた。フィルクスには養父母がいるが、屋敷は別である。背格好から見ても、二人には該当しない。近づくと、その誰かは男で、シフェルと同じか少し年上の様相だった。
「やあ。遅かったね」
 面識のないその男が優しい声で言った。立ち上がるとフィルクスよりも大きいが細身で、軽そうな体つきだった。更けた顔に反して若々しい声をしている。腰に下がる細身の剣に施された青銅と白銀の装飾が、その身分の高さを示していた。

続く