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リルジャの足枷

XX.隊の死(5)

「……失礼ですが、貴方は?」
「ディオニール・ゼクソンだ」
 ディオニールは右手を差し出して、フィルクスとの握手を求めてきた。にわかに生じた警戒心と別れることはできなかったが、握手を断る理由もなく、フィルクスは手袋を払ってそれに応じた。
「フィルクス・レブナン、だね」
 堅くも柔らかくもない、普通の握手だった。
 レヴナンの姓は、実父母の死後に養子に出せれた先でもらった、フィルクスの今の姓である。レヴナンと呼ばれるようになってからの年月を考えれば、違和感などあるわけはなかったが、先ほどのような白昼夢の後では、どこか奇妙な感覚が拭えなかった。
「はい」
 緊張をひた隠しつつ、フィルクスは応じた。
「私に何の用でしょう?」
 意図せず不愛想になったのは、人との接触を歓迎できない彼の立場が強いたものだ。今のフィルクスは、外からの刺激を求めていない。
「そう警戒しなくていい。大した用事ではないから。本日付けで、親衛騎士隊長に任命されたのでね、その挨拶に伺ったのさ」
 フィルクスは固まった。ディオニールは日常会話に聞こえるほど軽く言ったのだが、その言葉に何と返せばよいのか、すぐに整理ができなかった。シフェルの死を受け止めきれていないフィルクスには、ディオニールを歓迎する準備ができていなかった。たとえ処刑死という事実を受け止められたとしても、フィルクスにとっての隊長はシフェルに他ならないのだ。
「……」
 すぐに必死になって言葉を探したが、反応の空白を埋めることはできなかった。
「まあ、それが普通だろうね」
 ディオニールは口角を上げて微笑んだ。
「申し訳ございません」
 取り繕って頭を下げると、ディオニールが「ふふ」と笑った。
「誰しも受け止めがたいだろうね。後任がこんな、線の細い男では」
「いえ、決してそういう意味では……」
 フィルクスがそういうと、急にディオニールの目が引き締まった。一瞬ではあるが、ディオニールの淡い緑色の眼の奥で何かがうごめいたような気がした。
「では、こうかな。親衛騎士隊長はシフェルを置いてほかにいない、と」
 ディオニールがフィルクスの心中に迫った。
「……」
 言葉尻にある圧力を感じて口を閉ざしたが、ディオニールはそれ以上踏み込んでこなかった。
「いや、隠す必要はないんだ。騎士たる者、正直さを失ってはいけない。それに、私は嘘が嫌いだ」
「……以後、注意します」
「注意する? 何故?
 君はシフェルを慕っている。亡くなった今も。その気持ちに嘘をつくというのかい?」
「……」
「そうだろう? 気持ちに嘘はつけない。その気持ちがある以上、隠し通すということも無理なんだ。人は、気持ちが前提だからね」
 ディオニールが満足そうに言った。
 そのまま頷いて話を終えることもできたが、なんだか恐ろしかった。正体がつかめないが、ディオニールという男には警戒すべき異常さがある。もし、今やり取りを、フィルクスがシフェルの処刑に対して否定的な感情を抱いていると自白させるために演じたのだとすると、これではディオニールの思うつぼだ。
「しかし……」
 フィルクスは否定の言葉を置いた。
 今ここで否定をしなけば、密告という恐ろしい結末が待っている。罪人への敬意が院に知られれば、シフェルとの深い関わりが認められ、何かしらの罪を着せられてしまうだろう。
「そうか。君は監視院を恐れているんだね」
 ディオニールはフィルクスの不安を言い当て、続けて不吉なことを言った。
「でも、それは手遅れだ」
「手遅れ? それは、どういうことでしょうか?」
「私の親衛騎士隊長は兼務なんだ」
「兼務?」
「そう。監視院との、ね」
 フィルクスの足が一歩引いたのは無意識だったが、目の前にいる男がその素性を監視院の人間だと伝えた事に対しての正しい反応であった。ただ、足を引いたところで逃げられるわけでもないし、あまりにも無防備な反応であることは、理知的に分かることだった。残ったのは、目の前の男に対する畏怖と気まずさだけである。
 ディオニールは続けた。
「ああ。間違えないでほしいのは、私は君を貶めに来たわけではないということだ。私は、君を無駄に刑死させないためにここに来たのさ」
 聞こえは良いが、言っていることは同じである。要するに、行動をわきまえろということに違いはない。この男は、フィルクスに釘を刺さんが為に発言したのだ。
「……」
 フィルクスの緊張は最大に達し、絶句した。
「そういうわけだから、君がこれからどんなにシフェルへの忠義を隠していたとしても、もう私が知っている。したがって、監視院を恐れるのは手遅れなんだよ。いいかな? フィルクス君」
 ディオニールに呼ばれた名前にひどい嫌悪感を覚える。あたかも親密さを偽装するかのような発言だ。
「まあ、現時点では私は聞かなかったことにしておく。罪人であれ何であれ、誰がどんな故人を尊ぼうと、それは自由だ。君の本音がそうだというのは、いささか残念ではあるけどね。ただし、気を付けることだ。私ら監視院はそれほど寛容ではないし、君のその思考が行動に及ぶようなら、私も考えなければならない」
 ディオニールが近づきも離れもしない壁のある言葉を吐く。気が付けはフィルクスはこぶしを握っていた。
「……私へのご挨拶というのは、以上でしょうか」
 こぶしを後ろに隠しながら、フィルクスが言った。ディオニールがわざわざ訪れてきた目的が分かったのだから、これ以上の関わりは遠慮したいところであった。このまま話を続けていては、こぶしの中に鋼鉄の柄が入りかねない。
「そうだね……」
 ディオニールは眉を垂らして微笑んだ。フィルクスと正反対の顔であった。
「と言いたいのだけれど」
「何でしょう」
「一つだけ。君が職にかける覚悟のほどは、本物だと思ってよいのかな?」
「職にかける覚悟、とは?」
「そう。君は王女の親衛騎士隊だね。間違ってもシフェルの親衛隊ではないはずだ。
 君は王女のために命を賭して戦う誇らしい部隊の一人だ。その覚悟はまがい物ではないか、それを確認しておきたい」
「……」
 深く考える必要はなかった。確かに今の環境には大きく振り回されているが、騎士としての意地はある。本当のことを言うと、フィルクスの頭の中にあるのは王女の生き死ではなく、王家の生き死にそのものだったが、親衛隊員で居続けることはシフェルとの約束でもあったし、アヴェリーに対する無言の責任でもあった。なんとしても隊に残り、事を完結させねばならない。
「はい。親衛騎士隊としての務めは、必ずまっとうします」
 フィルクスはディオニールの眼を射抜かんばかりの眼光を持って答えた。
「ふむ。では、よろしく頼む」
 そういうとディオニールは再び手を差し出し、握手を要求した。
 妙な揺さぶりを受けたが、再び自分の目的を確認できた時間であった。フィルクスは少しの安堵とともにディオニールとの握手に応じ、手を放した。
 その瞬間、ディオニールがフィルクスの手を掴んだ。
「何を……」
 ディオニールの眼はフィルクスの掌を見ている。自分の掌を見て、フィルクスは青ざめた。そこに浮かび上がっていたのは、たったいま考えた親衛隊への意気込みである。
 『表心の術』とよばれる、拷問の手間を省くために考えられた自白の魔法だった。顔や体に文字を浮かばせるのがその術であるが、ディオニールは最初の握手でフィルクスの手に仕込んだらしい。警戒していたはずなのに、見破ることができなかった。
「……お前は王女の事ではなく王家の事を考えたな。それも、少し危険な事を」
 ディオニールの言葉にフィルクスはたじろいだ。なまじ魔術に関する知識があるために、何かの間違いだという言い訳が出てこない。せいぜい、手を引っ込めて後ろに隠すことぐらいしかできなかった。
「残念だな」
 そう言い放ったディオニールの眼の奥で、何かが蠢いた。瞳孔が拡縮したわけではない。それが目の色であることにはすぐに気づいた。揺らめく炎のようにディオニールの眼の色が虹色に移ろっていくのだ。
「……あ」
 フィルクスが声を漏らす間に七色が眼に入り込み、目に映っていた午後の光景のなかに虹色の幕を押し広げた。
「どうやら、君は王家にとっての危険因子らしい」
 淀みともいうべきものがフィルクスの角膜を浸食して、意識の中に入り込んでくる。フィルクスは必死に抵抗しようとしたが、得体の知れないそれを払いのける術が分からない。手で目をこすることしかできなかった。
「……う、う」
「お前を殺すのは簡単だが――」
 七色の世界が焦げる様にして黒に変わっていく。フィルクスは上下の感覚すら失って、ついに地面に崩れた。
「由緒あるフィーレ家の血をこの場で絶やすのも考え物だ」
 ディオニールはしゃがみこむと、地面に寝そべるフィルクスの髪を掴んで頭を持ち上げ、その耳にささやいた。
「お前には元通り王女を警護してもらおうか。人形には人形が相応しい」

続く