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リルジャの足枷

XXVII.闇の遭遇(7)

 ハーサットの目はアヴェリーに泳いだ。アヴェリーが戦える状態にないことぐらい、見るまでもなく分かっている。
「こちらに戦意はない」
 ハーサットが手放した斧は地面に突き刺さることもなく、どさりと倒れた。
「ほう」
 グレナードが柄を握る手を緩める。
「戦局を見る目はあるようだな。
 ……いいだろう。何が知りたい?」
 グレナードは木に寄り掛かってハーサットの言葉を待った。
「貴様の目的は何だ? 何故、エネハインに来た? エネハインで何をした?」
 まず一つを聴くつもりであったが、得体のしれない勢いに押され、ハーサットの口からはいくつもの問いがあふれだした。
 問いが多いとグレナードは鼻で笑ったが、目つきはすぐに鋭くなった。
「ある男に用があって訪れた。俺が何かをしたわけではない」
「……ある男というのは?」
 グレナードの視線が下がった。
「フェリオ様か?」
 答えを聞く前にハーサットが切り出した。言葉の駆け引きなどは考えていなかった。先ほどから気になっているのは真実のみである。会話を楽しむつもりはないし、駆け引きで何かを引き出そうと考えている余裕もない。
「その通りだ」
 グレナードの発言が淡泊になった。
「目的は何だ?」
「さて……。犬には関係のないことだ。
 それより、あのくそ爺はどうなった?」
 グレナードがその言葉尻から間柄を伺わせる。発言をうのみにするのならば、よほどの因縁がありそうだ。しかし、行く末を知らないという事は、二人の間に会った何かしらの行く末を見届けはしなかったという事か。
「亡くなられたよ」
 ハーサットの言葉に、グレナードは唖然とした。
「死んだ? そんなはずがあるか」
「貴様が殺したのではなかったのか?」
「俺が何かをしたわけではない、といったはず」
「では誰がエネハインをあんなことにしたというのだ」
 ハーサットの知りたいこととはまさにこれである。祖国を滅ぼした人間が誰であるかを知ることが、あの日の出来事に直結するのだ。
 グレナードは、おそらくハーサットのそうした視線に気づいただろう。自らの得物を足元の転がした男が引き抜いた真剣に応じぬ訳にはいかない、と。
「爺だよ。
 あの爺が城を瓦礫にして逃げたんだ」
「なんだと?」
 フェリオ公は何を考えているか分からないところがあるのは確かだった。エネハインの中でも良い噂は耳にしたことが無い。ただ、己の命を掛けてまで危険な行為に及ぶことは想像がつかなかった。護身のためならまだしも、自己犠牲の精神など持ち合わせない人物だと思っていた。
「そんなはずはない」
「くそ爺が命を犠牲にすることが無いと思っていると、そういうことか?
 だとしたらそれは見当違いだ」
 グレナードは天を仰いで言った。
「あの爺は死んでいない。死ぬわけがないんだ」
 そう呟いたグレナードの心情を察するには情報が足らなかった。細めた眼の奥底で何を考え、何に想いを寄せたのか、はた目から見るしかないハーサットには謎でしかない。だが、フェリオ公の死を見届けた以上、グレナードが何を考えようと間違っていることには違いなかった。
「残念だが、フェリオ様は俺の目の前で逝去された。貴様がどう感じているかは知らんが、まぎれもない事実だ」
「いや。それこそが間違いだ。城を犠牲にし、死んだふりをして逃げたに過ぎん」
「……貴様がどう考えようと知った事ではない。俺はこの目で見た。息を引き取り、皆の前で埋葬されたのを」
 勝手な考えを展開するグレナードが面倒に思え、ハーサットはそう言い切った。
 言い疲れたのかグレナードも黙り、二人は互いを目で差した。
 ハーサットはグレナードの目的を知りたかった。話をそらされてしまったが、引き出す機会は今を除けばいつになるか分からない。偶然居合わせただけのこの機会は、互いに背を向けたときが幕切れとなる。
 次の言葉をどこからつなぐか、そう考えているとグレナードが先に口を開いた。
「……セオン紅石は知っているか?」
 セオン紅石。アヴェリーの国を襲ったイミールに続き、さっきまで戦っていたヴェルゼルスの額から出てきたその石の名前がグレナードの口から聞けるとは思ってもいなかった。
 鼓動が一瞬にして高まり、何か大きな事実を聞かされそうな予感がする。しかし、ハーサットはそれを匂わせない様に当たり障りのないところから答えることにした。会話の間に挟まったさきほどの沈黙が、ハーサットに冷静さを取り戻させていた。
「もちろん。エネハイン王族の証しだ」
「なるほど。隠すのが下手な男だ。口より額で物語るとは」
 とっさに額をぬぐったハーサットであったが、汗などかいていなかった。そもそも、互いの目鼻立ちしか判別できない真夜中に、額の汗など見えるはずもなかった。今の所作でハーサットはグレナードの鎌にまんまとかかってしまった。
「ふふ。まあ、いいさ。お前が何を隠そうと勝手だ。互いに利益を生まない会話を勧めるつもりはない。いや、それ以上に、お前が抱えていることに興味はない」
「何が言いたい?」
「主張はないさ」
 ただ一つ、教えておく。そう、注を挟んでグレナードが言った。
「セオン紅石は導きの石であり、帰還の石。分かつ者は皆、母の元に還り着く」
 その言葉はハーサットには理解のできないものだった。
「何を言っている?」
 ハーサットにかまわず、グレナードが懐を探った。取り出したのは、宝石である。ついさっき、ハーサットが自らの手でヴェルゼルスの額から取り出したものと同じセオン紅石であった。
「それは……」
「その通り、セオン紅石だ」
「なぜ貴様が?」
 紅石を持つ者は王族のみ。その暗黙の常識がハーサットの脳裏をよぎったが、持つことなら誰でもできる。現に今、アヴェリーは二つも所持しているのだ。持つ資格があるかどうかとは質の異なる話である。だが、出所は確かめねばなるまい。
「まさか、貴様。王族たちを手に賭けた時に奪い取ったのか」
 紅石はエネハイン王族の身代とも言われる。石を奪うとは首を掲げるようなものだ。
「少し違う。が、エネハインで手に入れたことには間違いがない」
「誰の石だ?」
「俺が会ったのは一人さ」
「フェリオ様か?」
「そうだ。これは、あの爺のものだ。お前に違いが分かるかな?」
 そう言うとグレナードは紅石を投げてよこした。
「違い?」
 石を受け取りはしたものの、グレナードの言っていることはいまいち分からなかった。
 セオン紅石はエネハインの城の地下に埋まるセオン紅母石から得られる削岩石である。形の違いがあるにせよ、それ以外の違いはないに決まっている。そして、宝石の形がそれぞれ異なるのは至極当たり前のことで、勿体付けて言うほどのことではないのだ。
 触れて確かめてみたが、ひと目にやはり形以外の違いは分からなかった。ヴェルゼルスの額を切開して取り出したものと、重さも大きさも石質も同じと言ってよかった。
「淀みだよ」
 グレナードが言った。
「その石には血の淀みが無い」
 答えを出されて、ハーサットはより迷走した。紅石に血の淀みがあっただろうかと考えてみるが、振り返ってみるとヴェルゼルスの額にあった操魔の石は、汚れたままアヴェリーに手渡している。宝石の中の淀みなど、確かめた記憶はなかった。
「それが何だ?」
「セオン紅石は持ち主が死ぬと濁る。赤い石の中に淀みを宿すのだ。血の淀みを。だが、爺の石はどうなっている?」
 改めて見てみたが、淀みと言われるようなものは見当たらなかった。夜の暗さと相まって宝石越しに辺りを見通すことはできないが、少なくとも石に濁りは見えない。
「ない」
 ハーサットは石を投げ返した。
「そうとも。この石はまだ淀んでいない。だからあの爺は、まだどこかで生きて居やがるのさ」
 グレナードはそう言って紅石を懐に収めた。
「ずいぶん詳しいようだな」
 エネハインの民であった自分よりも紅石に詳しいことが引っかかり、ハーサットが嫌味の様に言った。
「……」
 グレナードは何も言わず、野良犬を追い払うような仕草を見せると、木を離れて背を向けた。
「おい!待て!
 どこへ行くつもりだ! 貴様は何をしようとしている!」
「言ったとおりだ。お前に教えるつもりはない、と。
 知りたいのなら、追ってくるなり好きにしろ。犬ならば、追うことぐらい容易かろう。
 だが、俺を追ったところで国は蘇らん。俺を仇と思うのも間違えだ。諦めて新しい飼い主でも探したほうがいい」
 グレナードの背中を森の闇が取り巻いていく。大剣を背負ったその男は瞬く間に人影になった。
「グレナード・ラスタニア!」
 去りゆく男に聞こえるように、ハーサットは声を張り上げて名を呼んだ。
「感謝はしよう。
 貴様が敵なのかどうかはよく分からんが、奇くも俺は貴様に救われた。
 友の分も含め、感謝はする。
 が、次に犬呼ばわりをしたら、貴様の首に噛みつくぞ」
「首を洗っていろと。そう言いたいのか?」
 森の奥からグレナードの声が響く。
「面白い。いいだろう。お前の名は?」
「ハーサット・キベックだ! 覚えておけ!」
「しかと心得た。お前の首輪を用意して待つ。名前入りの牛皮の首輪をな」
「貴様!」
 ハーサットは足元の斧を拾ってグレナードめがけて投じたが、どういうわけか斧は空中で錆びついて、そのまま土に還ってしまった。黒い波動でヴェルゼルスが一瞬にして朽ちたのと同じ光景だった。
「ハーサット・キベック」
 斧の赤さびが舞い散るその向こうにグレナードの影が見える。
「セオン紅石は導きの石であり、帰還の石。分かつ者は皆、母の元に還り着く。
 お前も石に関わるものならば、いずれまた会うことになるだろう。
 出遅れるな、ハインの子狼たちよ。もう還元は始まっている――」

続く