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リルジャの足枷

XXVIII.闇の遭遇(8)

「おい。アヴェリー」
 ハーサットは失神して横たわったままのアヴェリーの肩をゆすり起こした。
「うう」
 酒明けの朝のような頼りない声を出して、アヴェリーが応える。ごろりとこちらを向いた顔には大きな青あざができていた。
「しっかりしろ」
 ゆすり続けると徐々に意識がはっきりしてきたらしく、アヴェリーは薄目をあけてハーサットの顔を見た。そして、声の主をハーサットと認めると飛び起きて言った。
「ハーサット! ヴェルゼルスはどうした!?」
「死んだよ。死んだというか、もともと死んでいたが……。
 まあ、とにかく、終ったようだ」
 ハーサットは地面に広がる白骨を指さした。
「終わった? 意味が分からんぞ。
 ……俺は、お前はどうなったのだ?」
 アヴェリーは二人そろって蝿の中に埋まったことは覚えていたが、その後のことがはっきりしなかった。
「妙に顔面が痛むが、何があった?」
「さあな」
 ハーサットはやむを得ず殴ったことを言わなかった。笑いをこらえながら、落ちた時に打ったのだろうと言った。
「しかし、その後のことは俺もよく分からない。
 気が付いたら、そこに骨があって、蝿はいなくなっていた。
 何があったのかは知らないが、どうやら俺らは生きている」
 アヴェリーはちっとも釈然としなかった。だが、お互いの鎧が錆だらけになっているのは偽らざる事実であり、ヴェルゼルスに捕食されかけた証拠だ。それに、最初に夜営をしていた辺りから今立っている所に至るまで、空に向かって伸びている木は一本もない。まさしく、戦いの爪痕というべき光景がそこにある。竜の本領とはかくも恐ろしいものなのかと考えただけで、身震いがした。
「一体なんだったのだ……?」
 アヴェリーが呟くとハーサットが言った。
「……夢かもしれん」
「馬鹿を言え。こんなに痕跡のある夢があってたまるか」
「そうじゃない。
 正直、ヴェルゼルスに捕まって宙に浮いた時、俺は観念した。観念して、目をつぶったんだ。だが、その瞬間に森の奥に人影を見た気がしたんだ」
「人影?」
「そうだ。目をつぶった後に見た幻だったのかもしれない。この広大なアイシノイで旅人が通りかかることなんて期待できないからな。願望が見せた夢とも考えられる。だが、どうであれ、俺たちは助かった。全くよく分からないが、そいつに助けられたんだと思うことにするよ」
 その男がグレナードであったことは口にできなかった。下手な芝居がアヴェリーに見透かされないよう、背を向けて言った。
 しかし、アヴェリーはハーサットの様子がおかしいことに気が付いていた。癖に気づいていたのである。嘘をつく時に多弁になる癖に。
「そうか……」
 何かあるとは思ったが、アヴェリーは言及しなかった。簡単に話せない深い理由があると知れただけで、十分であった。
 視界に広がるベルゼルスの骨々が動く気配はない。ずいぶん前に死んだ獣の亡骸の様に、そこにあるだけだ。どうであれ終わったことは確かだろう。
 アヴェリーが安堵の息を吐くと、舌の上に何かが乗った。プッと吐き出してみると、飛び出したのは奥歯である。奥歯は地面を転げ、二人の間で止まった。
「なあ、ハーサット」
「……すまない。俺が殴った」
 アヴェリーにこみ上げて来たのは怒りよりも笑いであった。気を失う前のことを思い出したのである。あの時のハーサットの形相はしばらく忘れることができないだろう。
「気にするな。おかげで命拾いした」
 アヴェリーが言うと、ハーサットも笑った。
「さて、アヴェリー。
 今度はお前が寝る番だが、どうする?」
 見上げれば、開いた天井に無数の星が散っている。砂時計は片づけてしまったために時間が分からないが、夜はまだまだ続くだろう。
 何も食べていないのだが、ヴェルゼルスの腐肉や蝿の大群が頭から離れず、食欲はこれっぽっちもない。
「……寝させてもらうよ」
 寝ることを考えた瞬間に全身から力がぬけて、アヴェリーはその場に座り込んだ。
「ハーサット。居眠りするなよ」
 毛布を受け取りながら、アヴェリーはハーサットに忠告した。ヴェルゼルスとの戦いで互いに疲弊しているのは分かっている。
「ああ。まかせておけ。この森の怖さは身に染みた」
 横になったアヴェリーが寝息を立てるのはあっという間だった。
 周囲のロカアシが燃やされ、あるいは薙ぎ倒されたおかげで、さっきよりも遙かに星明りが注ぐ場所ではあるが、アヴェリーが寝るとにわかに心細くなり、ハーサットは火を焚くことにした。
 辺りには十分な数のロカアシの枝が散乱している。その中から手ごろな枝を選定して拾い集めていると、意外なものを見つけた。
 アヴェリーの巾着であった。縛り口からは、一つのセオン紅石がはみ出している。どうやら、ヴェルゼルスの体から抜け出して、逆さに落ちた時に懐からこぼれたらしい。
「おい。アヴェリー」
 つい呼びかけたが、アヴェリーは夢の中だ。
(しまっておくか)
 ハーサットが拾い上げると巾着からもう一つの紅石がこぼれ落ちた。良く見れば布には焦げたような跡がある。どういう経緯で燃えたのかハーサットには分からなかったが、手を入れてみると底から中指が突き出した。焦げた所から穴が広がってしまったらしい。
 これではもう役に立たないだろう。そう思って破れた巾着をいじっているうちにあることに気づいた。
 布が二重になっているのである。そして、その二重になった布と布の間に指を滑り込ませると、何かが指先に触れた。
(む……?)
 ひんやりとした金属である。傷を受けるほどではない凹凸があり、細かな装飾が感じ取れた。巾着には見たことのない紋章が刺繍されているが、それを支えるためのものではなさそうだ。
 ハーサットは指の腹と爪を駆使して、それを摘まんだ。中で布と絡めてあるのか、なかなか引き出せない。それでも前後左右に揺さぶり続けているとプツプツと糸が切れる音がして、金属製の何かは巾着から剥がれ出た。
 それは七つの金属からなりたっていた。いずれも細かな造形で、爪の大きさほどもない。
 女性の横顔が描かれた小さな円盤が二枚に、十字の星が三つ。そして細かな針と鎖のつながりが二つ。円盤に書かれた女性の片方は嬉々としているが、他方は悲しんでいるように見える。良く見ると悲しむ女性の円盤は右上が欠けていた。
 装飾に疎いハーサットがその装飾品の正体を理解するのには時間がかかった。
 しばらく睨んだ末に、それが耳飾りであることを気付いた。満月と欠けた月を象った価値のありそうな代物である。
 ハーサットは直感的にその耳飾りが王女への献上品なのではないかと察した。装飾の細かさもそうであったが、年代を感じたためだった。フィオメイン王家の歴史ある耳飾りを届ける役目を担っているのかもしれない。そのような話がアヴェリーの口からは一言も出てきていなかったのは気になったが、それならばこうしていつまでも眺めているのは拙いことなのだろう。
 ハーサットは耳飾りを元の様に布の間に押し込むと、二つのセオン紅石を入れ、破いた腰布で巾着ごと包んだ。
 その一つの耳飾りと二つの石がレフェスの運命を握るものだとは、この時のハーサットはおろか、アヴェリーでさえ知るはずもなかった。

続く