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リルジャの足枷

XXXI.古都へ(2)

 早朝の静けさの中を朝日が割って入り、風に押されて揺らいだカーテンが老人の頬をやさしく撫でる。老人はまだ、王女の寝室につながる廊下の壁にもたれて夢の中にいた。両腕に抱きこまれた旧約の杖が、彼に流れる時を止めたかのようだった。
 カーテンに二度ほど顔をはたかれて、ミアスは目を覚ました。一晩のうちに体が老いを認めたのか、穏やかな目覚めであった。
 リーニスの部屋からは何の音もしない。忍び入ってベッドを覗き込むと、王女は静かな寝息を立てていた。顔には普通の生娘の顔色が戻っている。
 ミアスは心の中でため息をつくと、静かに部屋を出て、埃も立たないほどに柔らかく扉を閉めた。昨日よりも扉が重く感じられるのは、老いのせいだけではないだろう。扉はこれからも確実に重くなっていくに違いない。
 下へと続く階段のすみには、まだ陽の照らぬ闇がはびこっている。それがどこまで延びようと、今には進む道しか残されていない。老齢ならばなおさら解ることだった。
 自室に戻ったミアスの眼に、光るものが映った。窓から差し込んだ光のようであったが、そうではない。パレグレオ銀貨が窓とさんの間に挟まっている。
(来たか)
 ミアスは大きく窓を開け、空気を取り入れるふりをしながら、通りを眺めた。すると、銀貨の持ち主はすぐにわかった。頭をフードにしまいこんだ男が大通りの角でこちらを見ている。ひと目に怪しげな人物であった。
 地の薄い外套を一つ羽織ってミアスが外に出ると、フードの男は姿を消した。ついて来いと影が語っている。ミアスはおとなしく男の背中を追った。
 角を曲がると、フードの男は噴水の前に座ってミアスを待っていた。
「場所を変えませぬかの?」
 ミアスは追いつくなり、男に申し出た。
「ついこの前、姫に見られてしまいましてな。怪しまれてはおりせぬが、気が引けます」
「左様か? ここが一番周囲の人を気にしなくて済むのだがな」
 噴水の音が会話をかき消してくれてちょうどよい、と男は言った。
「しかし、コルメニク卿。貴殿のそのフードはどうにかなりませぬのかな?
 まだ雨季の浅い時期に、その格好は目立ちますぞ」
「構わぬ。顔さえ割れねば良いのだ。
 それにこの場所なら、水を避けているだけに見えるであろう?」
 いささか無理のある言葉に、ミアスは苦笑した。苦笑に留めて咎めなかったのは、コルメニク卿と呼んだ男にただならぬ借りがあるからだった。何を隠そう、目の前に座る男は、リーニス王女の亡命を手助けした人物である。もっとも、大公国の政局からすれば、ミアスがコルメニクを助けたとも取れるが、ミアスは恩を与えたつもりは少しも無かった。
「では、手短に参りましょうかな」
 ミアスが言った。
 コルメニクは頷くと、開口一番に、
「動いたぞ」
と言った。
 ミアスはその一言を咀嚼するかのように何度も頷いた。貧乏ゆすりにも見えるその姿を見て、コルメニクはミアスの膝に手を置いた。
「ダブログに潜り込ませていた密使からの情報だ。禊の祭典むけて、フィオメインの王族が共和国入りを果たしたそうだ。そして、その中にエリニス王女の姿も認めておる。
 主の読み通りよ、ミアス。十六年という年月が、奴らに機をもたらした。祭典の賓客という公儀の名のもとに、奴らは計画を進めるつもりなのだ」
「コルメニク卿。声が噴水に勝ちますぞ」
 高潮したコルメニクは、慌てて口を塞いだ。
「すまん」
 時間が幸いして、周囲に人はいない。
「さて、ミアス。どう出る? 席に着くか? あるいは……」
「……少し時間をいただけますかな」
 席とは交渉のことだ。フィオメインとの交渉に乗らないという選択肢を聞く前に、ミアスは先延ばしを要求した。
「かまわん。大事な決断であろう」
 また少し声が大きくなりかけて、コルメニクは張った胸を押し込めるように背中を丸めた。
「儂はどちらでも構わんぞ。我が大公国にとって、主らは邪法国に対する最大の切り札。どこまでも御守りするゆえ、好きに致せ」
「ご面倒をおかけしますな」
「なに。長い付き合いよ。それに、政治を抜きにしても姫君は儂にとっても娘のようなもの。剣を持ったことはないが、気分はいつでも騎士のつもりだ」
 コルメニクは大きな笑い声を飛ばした。もはや噴水ではどうにもならないほど大きな笑いだった。
「ただ、祭典までには決めてくれ。こちらにも用意が必要になろう。
 ところで、お主また老けたか?」
「……見ての通りでございます」
 コルメニクの視線は自然とミアスの頭髪に行き、すぐに戻ってきた。
「左様か。これが、最後になると良いのだがな。
 お主が老けると、儂も老いた気になる。妻よりかは短い付き合いだというに、幼い頃からの知り合いのように感じるわい」
 姫の為にも長生きせい、と笑うと、コルメニクはフードの紐を締め直して立ち上がった。後ろ姿はやはり不審者であったが、国の重鎮とは想像もつかない出で立ちという意味で、うまく変装できているようでもある。
 コルメニクの縦より横に広い背中が街影に消えるのを見送った時、空砲がアインガストの空に轟いた。年に一度の祭事を待ちきれない古都の民によって五日おきに打ち上げられるその音が、ミアスに流れる時をまた一つ早めていた。
 
 崩落する城壁に逃げ惑う人々。そして泣き叫ぶ子供の声。
 最悪の夢と呼ぶ以外に表現のしようがなかった。
『城はどうなっている! 部隊長は? 編成は?』
 ハーサットは首がちぎれるほどに周囲を見回しながら、悪夢の中をひたすら駆け抜けていた。
『ハーサット! ここはもう駄目だ、早く外へ逃げろ!』
『何を言うか! 騎士が城を離れて何とする! 隊を編成するんだ』
『編成など無理だ! 北と東の塔が王宮に向かって倒れて、中枢は壊滅状態だ! 駆けつけて行った者たちも散り散りに撤退しているぞ!』
『撤退など、騎士にあって堪るか!』
『ハーサット!』
 引き留められた腕の先に握っているのは斧だったのか、汗だったのか、とにかくハーサットは退くことなど考えたくはなかった。
『離さんか!』
 同胞を引き剥がそうとした時、大地が揺れるほどの爆裂音が響き渡り、西の塔が土煙を上げているのが見えた。頂上部は既に傾き、積み上げられた石塊の一部がこちらに向かって降り注いでくる。そのうちの一つが二人のいる建物の屋根を直撃し、屋根は轟音と共に崩れ始めた。
『うわっ!』
 回廊を支えていた五十余りの石柱が、積み木のようになぎ倒されていく。二人は逃げる暇もなく、その巨大で残酷な処刑器具に埋もれた。
 
「ハーサット?」
 アヴェリーの声に目覚めると、そこは荷馬車の上だった。干し草を敷き詰めた荷台に乗るうちにまどろみ、そのうち眠ってしまったらしい。
 二人は八十九域の森を出た先にあった村から、アインガストへ向かう荷馬車に便乗させてもらっていた。
「大丈夫か?」
 苦笑いしながらアヴェリーが覗き込んでいる。
「ああ。何のことはない。昔の夢だ」
 妙に生々しかったのは、荷馬車が揺れるせいだろう。
 ハーサットがそう言った時に、落雷のような音が空を裂いた。
「何事だ?」
「空砲だよ」
「空砲?」
「ああ、年に一度のお祭りに向けた歓喜の音のようだ」
 アヴェリーの言葉を待ったのか、再び二つの空砲が響いた。どうやら先ほどの悪夢が今まで以上に生々しかったのは、揺れのせいだけではないらしい。
「何の祭りだ?」
「聖なる禊の祭典だ」
 アヴェリーが言った。
「アインガストの風物詩さ」
「詳しいな」
「親衛騎士隊で耳にした。パレグレオ大公国の伝統行事で、親交国の王族を招いて宴をするんだ」
「ふうん。……お前が耳にしたということは、フィオメインにも招待が?」
「そういうことだ」
「妙だな。パレグレオとフィオメインはそれほどの仲ではないはずだが……」
 ハーサットが首をかしげる。
「それは俺も気になった。お前の話では相容れない国だ。宴に呼んで騒ぎ合うようには思えない」
「うむ」
「しかし、外交と内情は別物だと聞く」
 パレグレオがフィオメインを煙たがるのは、レフェス南部の超大国を意識しての事であって、この近域だけを考えた時に害を成す関係とは言い切れない。今を見るに、パレグレオはフィオメンと戦争をしたい訳ではないのだろう。もしそうならば、とっくに開戦している。
「探り合いの場を設けている、ということか……」
 ハーサットが言った。その言葉通りだとアヴェリーはうなづいた。
「それで、お前は行ったことがあるのか?」
「いや。俺は王女の親衛隊だ。王女はいつも留守番だった。王女を大事にするフィオメインでは、成人と認められるまで、王女が国を出ることは許されない」
「なるほど」
 しかし、エリニスはついこの前、十六歳となり、与えられた試練を突破した。その試練の時に起こった事故により、アヴェリーが放浪の身となった経緯は語り直すまでもないが、エリニスが外に出る許可を得たのは確かである。そうなると、アインガストにエリニス王女とその親衛騎士隊が現れる可能性は高い。
(シフェルさんやフィルクスと会うことができるのだろうか)
 フィオメインの状況を知りえないアヴェリーは、わずかでも期待を抱かずにはいられなかった。
 その一方でハーサットは、ついさっきの白昼夢を思い返していた。エネハインが滅んでより、何度も見てきた夢であったが、一つだけ異なっていたことがあった。
 城が崩れゆく瞬間に見た同胞の顔がグレナードだったのだ。もちろん現実ではない。そもそも、ハーサットは城に居なかった。あの時に外に出ていたことは、今でも悔いているのだ。
 さっきの夢は城で活躍したかったという願望と、混乱していた城下の光景がまじりあった夢に過ぎない。しかし、その夢の中にグレナードという男が現れたのは心外だった。
(あの男も、城に居たのだろうか)
 夢に答えは求められないが、例えそれが占術の類でも、知れるものなら知りたくある。
 肩が触れるほど近くに居ながら、二人は異なる思いを抱いて、まだ見ぬ古都へと運ばれていた。

続く