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リルジャの足枷

XXXII.双子の王女(1)

 黒い夜空が巨大な円に白く切り抜かれていた。数多の恒星が群れを成しても、たった一つの太陽の照り返しに敵わないことを、月が証明する夜である。
 初めて訪れたその町は、獣道よりも不気味に思えた。月が大きすぎることが理由ではない。本当の理由は、敵意に満ちた獣の瞳よりも、異邦人に向ける民の眼差しの方が計り知れないからだ。道なき道を踏破し続けた男は、そのことをよく理解していた。
 フィオメインの夜道を歩く者は、一様にと言ってよいほどに顔を隠している。フードを深くかぶるも、仮面をつけるも、人それぞれではあるが、素顔をさらして歩いている者はごくわずかだ。おかげで、もともとフードをかぶっているグレナードに注目する人間は一人もいなかった。
(一体何がある?)
 好奇心にくすぐられ、グレナードは人の流れに沿って歩き始めた。求めた答えはすぐそこにあった。
 闇市である。グレナードがかつてどこかの街で見た市場とは賑わいも活気も違うが、そこで広がっているのは確かに市場であった。
 暗闇すらも盾にして、顔を隠した客と商人が品物をやり取りしている。客が素性を隠すのは、その手に握られた品物も、手渡している金銀宝石の出所も公にできないからなのかもしれない。余計な言葉を交わさずに外套の下から手だけを出してやり取りしている様を見ていると、そう思えてならなかった。
 置かれている品物やそこに出入りする者に少なからず興味を覚えたが、グレナードがフィオメインを訪れた目的はそれではない。レメティアの塔を上るためのルネア<ルーン遣い>かシラク<旧約>を手に入れるのが目的だ。こんなところにシラクを証す物が出回るはずもなく、ルネアに巡り会うはずもなかった。しばらくは闇市を見物していたが、自分の行動が意味のないものだと気いてグレナードが踵を返した時、何者かが懐に飛び込んできた。人通りを顧みずに急に振り返ったために、後ろを歩いていた人間にぶつかったのである。
「すみません」
 女だった。街灯の乏しい闇市でも青いと分かる澄んだ瞳をしている。
 グレナードはその女が触れかけた彼の左腕を慌てて引っ込めて立ち去ろうとしたが、不意に彼女の右腕に掛けられた篭の中身が気になって、足を止めた。
 視線に気づいたのか、グレナードが問うまでもなく女が言った。
「あっ。ただの石です」
「見てもいいか?」
「いえ。あの。……売り物ではないので」
「買うつもりはない」
 グレナードは女の返答を聞かないまま、篭の中をかき混ぜた。
 中に入っていたのは、山で採れる鉱石類ばかりであったが、その中に一つだけ違うものがあった。
「これをどこで?」
 グレナードは紅色の石を取り出した。
「それは、……言えません」
「……あんたにとって不都合だと?」
「いえ、その……」
 歯切れの悪い答えをする女に、グレナードの勘が働いた。これらの石は、たった今、何かを売って得た物だ、と。
 すぐに振り返ったが、怪しい動きをしている者は、そこにいる全員だった。
 グレナードは女に向き直って聞いた。
「この石は、今日の稼ぎか?」
 女は戸惑った後、ちいさくうなづいた。
「そうか。では、この紅い石を買いたい。千倍でどうだ?」
「千倍、ですか?」
 グレナードは懐を漁り、緑色の玉を取り出した。女の瞳と同じくらい澄んだエメラルド色の石に、女は目を見張った。
「この石はヘルメグレアという、魔除けの石の欠片だ。南レフェスでしか取れない。この辺りなら、人が買えるだろう」
「それは、頂けません」
「人を買うというのは、価値のたとえだ。そうしろというわけじゃない」
「そうではなくて、その、魔除けを頂いては、あなたが祟られます」
 だてに闇市に出入りする業者の娘ではないらしい。グレナードは納得した。
「……そうか。なら、他の物にしよう」
「なぜ、そこまでして、この石を?」
 たった一つの石を是が非でも手に入れようという男の行動に驚いたらしく、女は身構えた。
「……その石は不幸を呼ぶ。魔除けの意味を知っている者なら、さっさと手放すべきだ」
 つい目に力がこもり、女はおびえた。笑顔を造って説得する術を持たないグレナードは、そのまま睨み続けるしかなく、女の目には狂気の瞳に映った事だろう。
「じゃあ、差し上げます!」
 しまいに、女は篭を押しつけて走って行った。
「おい!」
 大声をあげて呼んだが、戻っては来なかった。周りの人間すら、こちらを見ようとはしない。誰しもが揉め事を避けている。
「ちっ」
 グレナードは舌打ちをしながら、篭から紅色の石を取り出した。
 間違いなくセオン紅石であった。中央に埋め込まれたような血の色をした淀みは、何度眺めても心地よい気がしない。嫌悪が悪寒に変わって体を駆け巡るのを感じる。
「……なるほど」
 石を懐に収めながら、グレナードはそう呟いた。
(さて、これをどうするかな)
 女の置いていった篭の処理に困ったが、良く見ると鉱石にカードが埋もれている。どうやら屋号を書いたカードを配って、客寄せをしているらしい。カードには、魔石の店『エンゲス』とあった。グレナードはカードが示す店の前に篭を置き、所持していたありったけの鉱石とヘルメグレアの石を載せて、闇市を去っていった。
 
 荷馬車は細かな振動を起こして田舎道からハイデンヒム街道へ入った。アインガストへとつながる歴史ある道である。荷台に積まれた藁はその振動に合わせて獣が身震いをするように震え、バラバラと路上に散って、すぐに行き違いの馬車に轢かれていった。国々をつなぐ街道だけに、行き交う人や馬の数も多い。アイシノイに入る前に使っていたディアクク修業路とは比にならない通行量であった。
 灰色の空に覆われた視界の先に、アインガストの街影が見える。街道から見たアインガストは中央にかけて隆起しているようで、その真ん中らしき辺りに塔がたっているのが見えた。古都だと聞いたことがあったアヴェリーは、それが見張りの塔に見えた。
「アヴェリー」
 藁の上に陣取るハーサットが地面を指さした。
 隠れろというのだ。アインガストでアヴェリーが手配されているかは定かではない。街道に騎兵が闊歩している可能性は十分ある。
 アヴェリーはすぐに藁に潜り込んだ。出入りがしやすいように、隙間が空けてあるのは農夫の好意である。日は要したが、彼の村に出没していた野盗を追い払ったことが功を奏していた。
 藁の隙間から見送る街道の土は茶色が濃かった。わだちの深さを見るかぎり、さっきまで雨が降っていたのは確かだ。農夫の言葉によれば、次の乾季が訪れるまでが藁の売り込み時らしい。この先のアインガストは雨季真っただ中となり、物を乾燥させるには苦労するからだと言っていた。農夫とは、売り時を把握する商いの才も必要な職業のようだ。
 アヴェリーは荷馬車が呼び止められた場合を想定して、手荷物を握りしめた。持つべき物は金銭に獲物とシフェルから渡された巾着である。レドベグから受け取った食料や古地図はハーサットに譲ることにした。
「いいぞ。素通りした」
 頭上からハーサットの声が聴こえた。
「外門までは、あとどれくらいだ」
「もう見えている。しかし、入らない手筈だろう? なあ、爺さん」
「あい。この道は街の中心まで達していますが、あの門をくぐれば足元は石畳。荷馬車の似合う路ではございませぬ。別の門から入って、中央市場の裏にある倉庫街に止めますよう」
 老父がそう答えた。
「だ、そうだ」
「わかった。着いたら教えてくれ。ひと気が無くなるまではこうしている」
「構わんが、のぼせるなよ」
 ハーサットの忠告はすぐに実体験になった。藁の中は非常に保温性があり、湿気も強い。雨季の湿気も相まって、アヴェリーはすぐに汗だくになった。軽装だったのはせめてもの救いであったが、それでも馬車が止まった時には、アヴェリーの指先は汗でふやけていた。
「出ていいぞ」
 待ちに待ったハーサットの言葉に、アヴェリーは荷馬車を下りた。初めて吸ったアインガストの空気は、古い骨董店のようであり、待ち構えていたのは霧の雨であった。藁性の温室から出たばかりのアヴェリーには、心地の良い天候だ。二人は荷馬車から人が降りたことを隠すために、あえて水たまりに下りた。
「世話になりました」
「いいえ。こちらこそ」
 短い握手を交えると、農夫は馬に鞭をいれて荷馬車を走らせ、倉庫街へと消えていった。

続く