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リルジャの足枷

XXIII.双子の王女(2)

「街中の様子は?」
 雨合羽を羽織りながらアヴェリーが聞くと、ハーサットは大きくうなづいた。
「衛兵は多い。その……なんだ?」
「聖なる禊の祭典か?」
「そうだ。その警備らしい。
 がしかし、あまりピリピリした感じはしなかった。手配人を追っているという感覚はなさそうだ。普段通りに歩いていれば、問題ないだろう」
「そうか……」
「これから、どうするつもりだ?」
「うろついても仕方はない。シフェル隊長の言葉通りに王女の家を訪ねるよ」
「場所は?」
「……」
 実をいうと聞かされていなかった。リーニス王女を訪ねろと言われ、焦って城を出たが、何処で落ち合うとも話していない。尋ねて歩けばいいとは考えていたが、アインガストがこれほどの街だとは考えてもいなかった。大声を出して探すには無理がある。
「……王女がいるという話は本当なんだよな?」
 ハーサットが怪訝な顔をした。
「シフェル隊長が嘘をついたことはない」
「では、信じて探すか?」
「当たり前だ。探す当てはなくとも、今の俺にはそれしかないんだ」
 アヴェリーは店を巡って情報を集めることにする、と言った。
「お前はどうするのだ? ハーサット」
「そうだな。俺も義弟の情報を集めなけりゃならん」
「そうか」
「では、しばらくは同じ行動をとることになりそうだな」
「ああ」
 霧雨のさなか、二人の第三幕はとぼとぼとした始まりになった。
 フィオメインなら外出をためらうような雨だが、古都の民は遠慮なく出歩いている。雨季の始まりを祝うという風習が示す通り、彼らにとっては喜ばしいものであり、避ける必要が無いのだろう。アヴェリーやハーサットの様に合羽を着ている人間は三人に一人ぐらいのもので、そのほとんどが年寄と幼児であった。
「脱いだ方がいいな」
 道行く人の視線が二人に集まる理由が合羽にあることに気づき、アヴェリーが言った。濡れることを過度に気遣う必要のない年齢の二人が合羽を纏うというのは、旅人であることを触れて回るようなものだ。今はまだ衛兵に出くわしていないが、出会えばいずれ問われるだろう。
 二人は合羽を脱ぎ、屑入れに捨てた。霧雨ではあってもまとっていた服はあっという間に変色した。
 それからしばらく歩いて、たどり着いた街通りは大河の様であった。街の中央から外に向けて緩やかな傾斜があるために、雨水が流れ落ちていくせいだ。雨季に入れば毎日が雨というアインガストでは、水を吐くために必要なのだろう。石畳は雨粒を跳ね返して光りながらも、その勤めをこなしていた。
「手分けをしないか」
 終端が見えない大通りに古都の広さを感じたのか、ハーサットが提案してきた。
「確かに。やはり古都とはいえ、元は大公国の都だな。この雨でもこれだけの人がいる。二手に分かれた方が、成果はいいかもしれない。
 その前に、宿をとってしまおうと思うが、どうだろう?」
 夜明け前に村を出て、昼をずいぶん過ぎている。移動中に昼を取ったために、空腹ではなかったが体は疲れていた。そのうえ、生ぬるい雨に濡れて心地が悪い。
「そうだな……。では、まずは両替か」
 パレグレオに入った以上、その国の銀貨を持たなければ物は買えないし、公路を外れたために出番を失った共和銀が懐に眠っている。ダブログでしか値打ちがない共和銀とはいえ、交易で繋がる大公国ならば、多少値踏みされても、ある程度の両替はできるだろう。
 市場に入ると、すぐに天秤の看板が目に入った。国は違えど目印は同じである。公路に広がった商人たちがトレードマークをそろえたに違いない。
 アヴェリーはハーサットの助言に従って、共和銀の言い値をダブログで振り替えた額にしたが、それはあっさり却下になった。共和銀一枚の価値を振り替えた時に払ったフィオメイン通貨で計ったのが間違いだったのか、単に手数料として見合った値だったのか、あるいは共和銀の価値が変動したのかは、説明してもらえなかった。結果的に、だいたい二十食分の損失を被ったが、それはアイシノイへ向けてレドベグが用意した食料と合致する。アヴェリーはそれほど損した気分にはならずに済んだ。
「感謝しなければな」
 アヴェリーがレドベグの事をそういうと、ハーサットは身震いの様に首を横に振った。
「お前。あいつのせいで俺がどれだけ苦しい生活を強いられたと思っているんだ?」
 盗賊に持ち逃げされた分だけ騎兵隊の給与が減らされているのは聞き及んでいることであり、アヴェリーは苦笑した。
「あいつは罪滅ぼしのつもりなんだよ。何も言わずに受け取って置け」
 ハーサットは分かりあう友であるかのように、そう言い切るのだった。
 店を出ると、水滴が水面を叩く音が一層激しくなっていた。この短い間に雨脚が強まったのかと思ったが、そうではなかった。音の正体は噴水だった。看板を探していたために気がつかなかったらしい。噴水は時に結構な高さに上り、雨に交じってアヴェリーたちに降り注いだ。
「見事だな」
 アヴェリーは感嘆した。
 フィオメインの市場で見たものよりも高くて荘厳だった。あちらは頂に置かれた瓶をもつ乙女の像から水が垂れているだけであったが、こちらは水面から水が噴出し、泉には設けられた段を一つずつ下るように造られている。
 水を操るというのは相応の技術を要すると聞かされたことがある。市場の目立つところに噴水を置くのは、街を設計した者たちの誇りを表しているのだ、と。思い返してみれば、建造より鉄鋼鍛冶に傾倒していたエネハインは噴水などはなく、動き出しそうな騎馬隊の銅像ばかりが並んでいたものだ。今、目の前の噴水は、『この高さが出せるのか』と言わんばかりに反り返っている。
「もし」
 しばらく噴水を見つめていると、声をかけてきた者がいた。
 老人だった。曲がった樫の杖をついて必死に立っているように見える。老人の腰に紐で結ばれている銀飾の小皿が目についたが、何に使う物なのかは察しがつかない。
「旅の者かの?」
 老人が聞いた。
 どうやら、両替に入った者を捕まえているようだった。
「だとしたら何だ?」
 喧嘩腰で応えたのはハーサットである。後で聞いたところ、皿を腰に下げるのは物乞いの装丁だそうで、この時のハーサットは老人を乞食だと思って対応したのだった。
「宝石を売らぬか?」
「宝石?」
 二人の脳裏にセオン紅石が光ったのは言うまでもない。
「そうじゃ。そこらの宝石商より、高く買うぞ?」
 老人は銀飾の小皿を差し出して言った。
 アヴェリーはハーサットと顔を見合わせた後で、
「あいにく、持ち合わせていない」
と答えた。
「そうか。持っておらぬか。残念じゃのう」
「すまない」
 そう答えて去ろうとしたその時、老人が言った。
「セオン紅石なぞ、高く買うのじゃがなあ」
 二人は、特にアヴェリーは反応をごまかせなかった。ほんのわずかだが、歩幅に乱れが生まれた。
 老人の強い視線が背中へ刺さる。
「アヴェリー・オルフ殿かの?」
 老人が呟いた。
 とっさに右手が腰の剣に伸びたが、柄を握ろうとした手は老人の杖によって制されている。
「待て、ハーサット」
 アヴェリーに遅れず手斧を引き抜いたハーサットであったが、その刃が返る前にアヴェリーが諌めた。
 素性の知れない老人を相手に、いきなり交戦するのは危険に思えたのである。仮に老人が大公国の手の物であれば、なおさらだ。会話で回避できる戦いなら避けた方が無難だった。結局戦いが避けられなかったとしても、人数を考えればこちらの方が有利だろう。周囲に通りすがった何人かは三人の緊迫した様子を見守っているが、幸い衛兵は一人もいない。
「良い判断じゃ」
 老人は笑った。その笑い声にアヴェリーは、腹立たしいという印象を抱かなかった。老人は笑顔のままあっさりと杖を下げた。
「兄上が惚れ込んだとは、まことのようじゃ」
「……あなたは?」
「失礼。わしはミアス。リーニス王女にお仕えする老いぼれじゃ」
 お待ちしていた、とミアスは言った。

続く