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リルジャの足枷

XXXIV.双子の王女(3)

 老人の口から語られたリーニスの名前は、かえってアヴェリーを緊張させた。一つの目的が果たされたにしてはあまりにあっけない。二人の間に立ち、ハーサットは互いの顔を交互に確認しているハーサットのように、疑って掛かるのが正しそうだった。ダブログ同様に、パレグレオでもアヴェリーの手配書が出回っているのだとしたら、用心は捨てられないだろう。
「失礼ですが、なにかそれを示す物はありますか?」
「リーニス様とのつながりかの?」
 アヴェリーは頷いた。
「ふむ。それは難しいが、これなら、いかがかな?」
 ミアスは一通の封筒を差し出した。その封筒の示すところは、手に取るまでもなく読み取れた。印璽(いんじ)に使われているのは、シフェルの物だ。立場上、何度が密書を預かったことのあるアヴェリーにとって、間違えようが無い。懐かしいものに触れたせいか、アヴェリ-の緊張は吐息とともに出ていった。
 しかし、力を抜きかけたその肩に、ハーサットが手を置いた。
「会ってからだろう。手紙なんかいくらでも偽装できる。王家の従者だというなら、王女に会って確かめるべきだ。双子の王女だというのなら、なおさらな」
 的を得た助言だった。どうやら、見知らぬ人間との駆け引きは、盗賊相手に成熟したハーサットのほうが適任らしい。
「もっともじゃな」
 アヴェリーよりも先にミアスが眉をひそめた。
「そもそも、爺さんはどうしてアヴェリーを知っている?」
「その文に書かれておった。目印は、弓とセオン紅石と、のう。
 弓を担ぐ騎士は少ない。そのうえ、紅石に反応を示した。そこまで合えば十分じゃ」
 ミアスの言い分にハーサットは鼻息で答えた。今のところ、ミアスの言葉に矛盾はないが、やはりリーニスに会うのが正しい判断だ。皺が深くて機微の少ないミアスの瞼から敵意を感じるのは難しいが、いきなり窮地に立たされるような危険は感じられない。アヴェリーがミアスに案内を願うと、ミアスは喜んでと言った後でハーサットを見た。
「おぬしは?」
「ハーサット・キベックだ。エネハインから来た」
 腕組みをしてハーサットが答える。
「アヴェリーとは――」
「古い友人かの」
 先回りしてミアスが言った。
「わしがアヴェリー殿の名を呟いてから斧を取るまで、見事な反応じゃった。付き合いの浅い関係なら、そうはいくまいて」
「なるほど」
 ハーサットは閉口した。たったあれだけのやり取りで人間関係まで見抜かれたことに、これ以上の問答は自分の立場を悪くするだけだと考えたようだ。
「ところで、今エネハインと言ったかの?」
「……言ったが、何か?」
 ミアスが顎を撫でる。
「ふむ。気になったまでじゃ。
 少し前にここを訪れた若者と関係があるのか、と。なにしろ、エネハイン国旗を纏っていた故」
 ハーサットの顔色は見る見る変わり、アヴェリーを押しのけてミアスに迫った。まるで村長に詰め寄る山賊の様相だった。
「どんな男だ?」
「お前さんよりは若かったかの。レメティアの塔へ向かったが、丸腰で帰ってきた」
「レメ……」
 ハーサットの頭の中では、その若者と義弟が一致したらしい。
「そいつは今どこにいる」
「残念じゃが、もうこの街にはおらぬ。エネハインに帰ると言って旅立った」
「いつのことだ?」
「十日ほど前かの。何なら、そこの武具商に聞いてみると良い。出立の前に剣を仕立てたのはあそこじゃったそうな。今の話も、あそこの主から聞いたものじゃ」
 ハーサットはアヴェリーに目配せをして、武具商に入った。店の主人とハーサットのやり取りは事のほか短く、すぐに戻ってきてアヴェリーに対して頷いた。確かな手がかりが得られたということだ。
「まあ、慌てなさんな。今から追いかけた所で、追いつくのはエネハインじゃ。旅の疲れもあろう、しばし休息されるがよい。部屋ならわしが用意しよう」
 今にもエネハインに向けて立とうというハーサットを止めたのはミアスだった。そのままハーサットの返事も聞かずに、歩きだす。二人は顔を見合わせたが、老人のまっとうな申し立てに逆らう理由も無く、後に続いて歩くことにした。
 降り続く霧雨が風にあおられて上下に舞う。二人のまとう服は細かい水滴で覆われて、次第に水を吸いきれなくなった布はひたすら雨水をたらすようになった。
 アインガストの街は丘陵地帯に設けられたのか、平たんなようで実は上っている。足元を流れる雨水を見れば明らかだ。急な坂を作らない様にしたようで、道は右に左に良く折れ、少し狭い道に入ると見通しが悪い。フィオメインの曲りくねった道に慣れたアヴェリーにしても、アインガストの街路は慣れないものだから、直線を交えて作られていたエネハインで育ったハーサットにとっては悪路としか思えないのだろう。一歩後ろを行く男のため息が聞こえた。
「もう戻れんな」
 振り返ったが、噴水はとっくに見えなくなっている。アヴェリーは、そうだな、と答えた。
 ミアスは二人にかまわず、道を進んでいく。一つの長い坂を上り切ると、荷馬車から見えた塔の前に出た。
「この塔は?」
 アヴェリーより先に聞いたのはハーサットである。
「風見の塔じゃ。先人たちが砂嵐を予測するために建てた塔じゃよ」
「砂嵐? あれで分かるのか?」
「最上階に方角によって幅の違う隙間が設けられておる。街の上空を流れる風向きによって、砂嵐が来るかどうかを予測するわけじゃ」
「なるほど……」
「残念じゃが、レメティアではない」
 笑いながら言うミアスは、ハーサットの心中を察しているようだった。
 一方でアヴェリーは、先ほどの噴水を思い出して、あらためて大公国の持つ技術の高さを知った。町全体がこの塔に向かって隆起しているのは、丘陵地の真ん中に塔を建てたのではなく、人為的に塔を中心として傾斜を造ったのかもしれなかった。そして、そんな街が街道の終点にある。だが、それすらも古都だ。大公国の新都には、いったいどれほどの建造物が建ち並んでいるのか、興味を抱かずに居られなかった。
「合羽を脱いだのは間違いでしたな」
 急にミアスが言った。今や、二人は川に落ちたような濡れ方をしている。そこまで濡れれば、不快を通り過ぎて痛快であった。
「着ていると目立つもので」
「いやいや。ここの者が纏っている着物は、みな、濡れても染みない様に施された物じゃ。異国の着物で歩く方が目立ちますぞ」
 言われてみれば、ミアスの服は濡れている感じがしない。取り繕って服を絞っても際限なく垂れる雨水に、アヴェリーは頭を掻いた。
「少し、寄り道をしますかな」
 着替えようと言うのだ。
「いえ、気にすることでは」
 アヴェリーは先に王女を確かめて、安心を得たかったが、そのような格好で謁見を許すわけには行かないというミアスの言葉を受けて、また頭をかいた。
 大公国の衣料は質素であった。エネハインほど無機質ではないが、フィオメインほど華美でもない。ミアスの示した服にいたっては、色もデザインも皆同じで、揃って着れば囚人服のようにもなりかねない。建物と比べれば意外であったが、どうやら、その水の染みない繊維は一つしかなく、どうしても同じになってしまうとのことだった。仕立て屋の主人はその素材を孵水蛾の繭から紡いだ絹糸だ明かした。孵水蛾は、幼虫期を沼の底で過ごした後、水を弾く繭をまとって浮き、水面で羽化する珍しい蛾だそうだ。水を弾く糸だけに色が付けられず、その稀少さもあって無駄にもできない。そのために、同じ色の同じデザインになる。なぜ、そんなことを知ったのかといえば、主に値段の理由を聞いたからである。それだけ、その服は高かった。
 アヴェリーが採寸してもらっていると、ハーサットが辺りを散策すると言い出した。
「お前はいいのか?」
「俺は謁見しないし、ここにも長くは居ない。土産にしては高すぎる」
 ハーサットにはエネハインへの旅立ちの準備がある。首を回しながら店を出て行くハーサットの背中を見て、互いの目的を追うための道のりが変ったことを、アヴェリーは痛感した。明日には、今よりも遥かに重たい見送りが待っている。スタインバードでの再会からずっと感じていなかった寂しさを、再び背負って歩くことになるのだ。
 再び路地に出たアヴェリーに降り注いだ雨水は、岩瀬にぶつかる滝のように霧となった。ミアスはその様を見て、織り立ては羨ましく思えると呟いたが、アヴェリーの興味はそこになかった。同じことを考えているのか、ハーサットは口を尖らせて、難しい顔をしていた。

続く