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リルジャの足枷

XXXV.双子の王女(4)

「着きましたぞ」
 二人が立った場所は貸家街とみられる場所であった。結果的に街を半周したことになるだろうか。斜陽はもう夕日に変わっていた。
 ミアスに通された部屋は貧相と言っても過言ではなかった。かび臭いのは時期的なものだろうが、置かれている物に装飾はなく、騎士見習いがかき集めて使う家具ばかりだ。王族が住むにはあまりにわびしい。そこには明らかにこだわりが欠落しているのだ。雑に置かれた家具と家具の隙間も乏しさを如実に表していた。とはいえ、アヴェリーは露骨に疑うようなことはしなかった。想像とまるで違う部屋の様相に驚きはしたものの、冷静になってみれば今のリーニスは王女ではない。絢爛豪華な家具をそろえるような財はないだろう。大公国の建築技術がいかに優れていようと、異国の王族崩れには縁のないものだ。そう考えれば、納得がいく部屋である。
「リーニス様は?」
「上に。さっそく参られるかな?」
「ええ」
 ハーサットは「行って来い」と左手で送っている。アヴェリーはミアスの後ろに着いて上った。階段を踏む足は妙に重かった。二か月前まではエリニス王女の身の回りで働いていたというのに、その時以上に緊張している己がいた。王族に謁見するのは初めての事ではないが、王宮で会うのとはわけが違うのだ。例えそれが都落ちした人間でも。歩みの遅い老人の案内が、なおさら一歩を重くしてくれる。
「……王女とお呼びした方が良いのですか?」
「……」
 ミアスは黙った。そして、階段を上り切った時に、“様”だけにしてほしいと言った。
「リーニス様。入ります」
 ミアスが扉の横で呼んだ。
「いいわ」
 扉の向こうから若い女の声が聴こえた。雨音に負けるほど華奢な声であった。
 アヴェリーの心臓は激しい音を立てた。階段を踏む前からの緊張にごまかされて、それが胸騒ぎだと気づくことはできなかったが、感情と切り離されたところにある本能が、不思議な冷静さとともに騒いだ。この扉はどこか別のところに通じている。心して踏み入れよ――と。
「失礼いたします」
 ミアスに続いて入ったアヴェリーは、ベッドに座る少女の顔を見た。病的な白さを帯びた顔色がエリニス王女と似ていた。
 ただ、それだけだった。双子であっても、生活環境の違いで顔が変わってくることはあるらしい。しかし、そう考えてもリーニスとエリニスの顔はかけ離れている気がする。もちろん、気のせいかもしれない。エリニスの顔をまじまじと見たのはイミールを相手にしたあの時が最後で、彼女は目隠しをしていたのだから。今、目の前にいるリーニスに少し肉を与えて、反魔の帯を目に当てたら、同じ顔になるような気もする。
 リーニスもしばらくの間、アヴェリーの顔を見つめた。いくつもの分胴を載せ替えて、天秤が水平になるのを待つかのように、長い間を挟んだ。その間にアヴェリーは、いままでに感じたことのない頭痛を覚え、顔をしかめそうになったところでミアスが間に入った。
「わしの友人で、しばらくここに滞在することになりました。今日は、御挨拶にと」
 アヴェリー殿と促されて、アヴェリーはようやく口を開いた。
「アヴェリー・オルフと申します」
「リーニスです」
 リーニスはベッドの上から会釈をした。
「お体はいかがですかな?」
 挨拶の後に戸惑うアヴェリーを横に、ミアスが口をはさんだ。
「少し、楽になったわ」
「それは宜しゅうございます」
 ミアスはリーニスに近づいて簡単に触診すると、容体を聞いたり、薬を勧めたりした。二人の会話から、リーニスが健常者でないことは分かったが、アヴェリーにはそのやり取りを見守る他になく、話を記憶するのも失礼に思えて、半ば呆然と立ち尽くしていた。
「アヴェリーさん」
 ミアスとの会話の終わりに、リーニスが呼んだ。
「はい」
「ここは良い街です。気のすむまで滞在なさるといいわ。力になれることはありませんが、困ることがあれば、ミアスに聞いてください」
「承知しました。ありがとうございます」
「では、これにて」
 そういうとミアスはアヴェリーの買ったばかりの服を引っ張り、退室を促した。アヴェリーは老人の手に助けられた気分になった。
 結局、“様”をつけて名前を呼ぶことすらなく面会は終わった。再び閉ざされた木の扉は、地面に根付いているかのように堅強に見えた。安堵という名の小さなため息をついたところで、ミアスがほほ笑み、下りましょう、と言った。
 二人は無言で階段を下りた。もはやミアスに対する不信感はなかった。その代わりに今度は失望を感じていた。協力してくれるというシフェルの言葉を信じて遠路はるばるアインガストまでやってきたのだが、リーニス本人の言葉は頼れるものではなかった。突き放すような態度を取られたわけではないが、アイシノイという死線を越えてたどり着いたにしては少なすぎる応報だと思えてならない。ここが住みよい街なのは半日歩いて十分に身に染みたが、アヴェリーは住処を求めて旅してきたわけではないのだ。甘いのはシフェルの言葉か、己の考えか。いずれにせよ期待はずれに終わった。
「期待はずれでしたかな?」
 アヴェリーの考えを見透かしているのか、ミアスは笑っていた。
「なぜ、そう思われます?」
「お顔に」
 はっきりとそう言われて、アヴェリーは頭をかいた。
「こんな時に人を頼ろうというのが、考えてみれば愚直でした」
 アヴェリーが己を恥じると、ミアスは笑うのをやめ、急に張り詰めた顔をした。
「人を頼ろうとしているのは私の方です」
「……?」
 今、明らかに口調が変わった。とっさにミアスの顔を覗き込んだが、ミアスはさっきの温和な表情に戻っている。
(何を考えておいでなのだ?)
 飄々とする老人の腹の底を探り損ねたアヴェリーは、疑惑を抱いて階段を降りた。階下では、ハーサットが台所の机で頬杖をついたまま眠っていた。
「この奥に空き部屋がある。そこを使いなされ。夕食はお運びしよう」
 ミアスはそう言って、廊下の奥にある部屋を指さした。
 二人はは体を引きずって部屋に入った。ベッドと椅子と窓だけでつくられた、簡素な部屋であった。窓から入る夕日が雨雲の灰褐色に交じって部屋を紅色に染めている。アヴェリーの長い影の先は、無機質なベッドへ先に横になったハーサットにかかっていた。
 アヴェリーが荷物を確かめてから横になると、廊下から夕餉の匂いが漂い始めた。
(一人ですべてをやっているのか)
 世話役という肩書きのとおりなのだろうが、杖が無ければ歩くこともままならないような老人である。体をいたわることはあるのだろうか。アヴェリーの先々の予定は今のところ考えられていないが、すくなくともミアスの手伝いは欠かせないだろう。
 台所の物音が静まると、階段を上る音が聞こえた。膳と杖を持って手すりのない階段を上るのはとても危険に思えたが、手助けをしようと部屋を出た時にはミアスの足音が頭上から聞こえるようになっていた。
(こうしては居れんな)
 リーニスの分はさておき、自分たちの夕食ぐらいは自分で運ぶべきだ。そう思ったアヴェリーは、部屋を出て台所へ向い、二人分の夕食をミアスから受け取った。
 野菜のスープから湯気が昇り止まぬうちに、夕餉は空になった。旅すがらでは、何かしら相談をしながら取ってきた夕食であったが、一つの目的を達成した今日に限っては、無言だった。
 夕食を済ませる間に夜が訪れ、外の光は徐々に失せて雨音だけが残された。禊の宴を過ぎれば、先半年は雨が続くと聞いている。アヴェリーがいわゆる雲一つない快晴を味わったのは、アイシノイを出た直後くらいで、近くの村に入ってからは必ず雲に覆われているといってよかった。次に青空を見るのは半年後か、それともフィオメインに戻った時になるのか。今はまだ分からないが、その時には晴れた気持ちで胸を張っていられるようにしなければならない。アヴェリーは雨水が滴る窓に向かって誓った。
 ハーサットはベッドに横になるとすぐに寝息を立てた。アヴェリーは半日近く雨に打たれていたこともあり、今さら水浴びをする気にもならなかったのだが、窓を叩く雨音にさいなまれて寝つきが悪く、結局水浴びを済ませてから就寝した。
 再び横になるまでにいろいろなことが頭をよぎったが、ひとしきり考え尽きて横になると、暗闇に体を預ける時間はすぐに訪れた。

続く