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リルジャの足枷

XXXVII.双子の王女(6)

 豪快に鼾をかき続けるハーサットを差し置き、アヴェリーはミアスに連れられて小さな部屋に入った。窓に机、そして二脚の椅子だけが二人を待っていたかのようにたたずんでいる。机には味気のない一輪挿しが一つあり、何かの植物が活けてあったが、花は開いていなかった。外の雨を拒絶するようにして枯れている。
 ミアスは静かに座り、ランタンを机に置いた。
「アヴェリー。扉を閉めてもらえますか?」
 指示をするミアスの口調は老人のそれではなかった。
「あなたは何者なのです」
 王女の事を聞く前に、老人の正体をはっきりさせておきたいという衝動が起こり、アヴェリーは聞いた。
「ミアス・ライアードといいます」
「ライアード……」
 その姓がシフェルと同じであることに気がつくまでもない。
「シフェルとは血のつながった兄弟です」
 アヴェリーはライヤード一族のことを事細かには知らない。シフェルが家族のことを話す機会はあまりなかったからだ。それは恐らく、祖国を失ってフィオメインに留まったアヴェリーに対して家族の話をすることを、ためらったせいだと思っている。互いに醸し出した雰囲気のせいで、二人の間では家族のことを聞いてはならないことだという不思議な共振があった。そのシフェルと兄弟だという老人が目の前にいる。シフェルとは親子ほどに年齢の離れている老人が、だ。血のつながったと言われても、同じ母親から生まれたとは思えず、アヴェリーは首をひねった。
「アヴェリー。私の姿は、まぎれもなく本物ですが、見た目を忘れてください」
「……どういう意味でしょう?」
「御覧のように老いぼれていますが、本当なら今年で四十です」
 アヴェリーは固まった。言葉は分かったが、納得できるものではなかった。来年には棺桶に入っていてもおかしくないほどの老人に、実は四十歳だと言われて信じる者がいるだろうか。それを一途に受け止められるのは、何もかも神の奇跡だと言い切る宗教家ぐらいのものだ。
「ふざけてはいません」
 ミアスの真顔に対峙し、アヴェリーは首に手を当てた。言葉に困っていた。ランタンに取り込まれた一閃の火が二人の間でぐずっている。
「しかし、それをどう信じろと」
 厭味なく遠まわしに伝えられる言葉が見つからず、アヴェリーはぶっきらぼうに言った。すると老人は、ゆっくりと杖を取り出した。
「これは、時の杖です」
 何かを見せてくれるというのだろう。アヴェリーは聞く姿勢に入った。
「窓の雨を見ていてください」
 ミアスはそういうと何やら呟き始めた。
 食い入るようにして窓を見ていたが、何が起こったのか分からなかった。雨は止むことなく窓に打ちつけている。何も変わらないではないかと言いかけた時、ようやく変化に気づいた。打ちつけているはずの雨粒が、よく見ると下から昇っている。雨が遡っているのだ。
「これは……」
 アヴェリーの反応とみるや、ミアスは腕を下ろして「ふう」と息を吐いた。額には雨に打たれてきたかのような汗が浮かんでいる。
「少しだけ時を戻しました」
「時を?」
「旧約を知っていますか?」
 すぐには閃かなかったが、スタインバードでのレドベグやハーサットとの会話を思い出すのに、あまり時間はかからなかった。
「レフェスのすべてに宿る精霊たちを操る力」
「そうです。そしてこれは、時の旧約の証。時を進めることも戻すことも、止めることさえも可能にする杖です」
 アヴェリーの視線は杖の先端から末端を何度も行き来した。古めかしい杖だが、とりわけて格式ばっているわけではない。形もありふれている。腰を悪くした老人なら誰もが突いて歩く、いわば三本目の脚だ。その杖から威厳を感じることはできなかったが、今、目の前で起きたことは疑い難い。認めるにも否定するにも根拠がなく、アヴェリーは時の旧約の存在を半ば疑いながら、話を進めることにした。
「……それとあなたの容姿に何の関係が?」
「旧約というのは、人が精霊と結んだ大昔の契約と思われていますが、それだけではありません」
 ミアスが問いに答えずに違う話を進める。
「旧約は同時に新約でもあり、精霊の力を借りるためには、その代価を捧げる必要があるのです。私と時の契約は私の寿命がそれになっています。時を操るほどに私は老い、時間を失っていくのです」
 ミアスは杖を置いた。
「この話は、リーニスは知りません。どうぞ内密に」
 よろしいかと問われて、アヴェリーは失笑した。
「私には何が何だか……」
「安心してください。これから一つずつお話します」
「いや、待ってください」
 アヴェリーは手を挙げた。怖じたのである。今から岩のように重たくて堅い、どうしようもないものを落とされそうな気がしてやまなかった。背中に浮かんだ汗が、水を弾かないただの肌着に吸われていく。
「そんな話を何故私に?」
「……あなたが兄の使者だからです」
「使者?」
「あなたは、兄と私の目的のために、フィオメインからここアインガストへ遣わされた」
「……」
「あなたには関わりののないことかもしれません。ですが、私はあなたに事実を伝える責任があります」
「しかし――」
 アヴェリーは拒否する理由を探そうとしたが、ミアスは微笑んで言った。
「安心してください。あなたがここへたどり着いたことで、ほとんど終わっています。私はただ、我々の戦いがあったことを伝えておきたいのです。兄の、弔いのためにも」
「シフェル殿の弔い?」
 アヴェリーの口は無意識に開いた。餌を待つ子燕のように。
「兄は死んだそうです」
「シフェル殿が? 何故です?」
 アヴェリーは腰を上げた。
「恐らく、王家への反逆罪でしょう」
「そんな……」
 私を逃がした罪だろうか。その考えが頭を一往復した後、アヴェリーの思考は制御を失った。気持ちも、今考えるべきことも整理ができなかった。一つの結論も導けずに、アヴェリーは上げた腰を下ろした。
「私と兄の話を聞いていただけますか? アヴェリー」
 机に両肘をついて頭を抱えたまま固まったアヴェリーに、ミアスが言った。答えは知っていただろう。
「お願いします」
 アヴェリーはうなだれたまま、ようやく言った。
「十六年を、さかのぼります。私がまだ、フィオメインの監視院にいた頃の話です――」
 ロアンナというシフェルの婚約者であった女が、王宮に入った事が話の発端だった。当時のフィオメイン王には一人の妃がいたが、それも“いた”というにはあまり最近すぎる話で、王が妃を取ったのはほんの数日前のことである。正室との婚儀に沸いた王宮の熱が冷めやらぬうちにロアンナの王宮入りが決まったのだ。フィオメインの長い歴史の中で前例を探そうと思えば見つかっただろうが、普通に考えればあり得ないことである。王宮にとって悪しき噂が広まるのは必至だった。
「アヴェリー。あなたは監視院が何と呼ばれているか、知っていますか?」
 ミアスがランタンの火を見つめながら言った。
「……いえ」
「王の腹です」
 腹心という意味だけではない。王宮のためにならない要人を監視する役目を担う監視院だか、それは表向きの姿に過ぎず、王宮のためであれば、どこへでも潜入もするし誰でも殺す。王宮にとっての毒を飲み込み消化するという行いが、『王の腹』たるゆえんである。その『王の腹』に、悪しき噂を立てる者を抹消せよという命が下ったのは、ロアンナの王宮入りから月の満ち欠けを待たぬほどの間だった。
 抹殺命令は配属から間もないミアスの価値観を大いに揺るがした。王宮を護ることが民を護ることになると信じて入院を望んだのだが、やっていることは王宮重視の掃討作戦に他ならない。ミアスは従順に従う振りをしながら、その指示の背後にあることを知ろうと、働く影で情報をかき集めた。それは、一夜のうちに婚約者と無言の別れを迎え、失意のどん底にいた兄、シフェルのためでもあった。
 得られた情報は断片的なものになった。いくら監視院とはいえ、すべての情報が寺院の寄付の様に集まってくるわけではない。院の中枢に上がれば話が違ってくるだろうが、当時のミアスの様に遣われる人間に提供されるのはしごく限られた情報だけである。また、職業柄、自分自身も中枢の監視を受ける身だ。それでもミアスは数人の協力者を得て、王宮で起こっていることを知った。
「一言で言えば、王族の野望を知ったのです」
「野望?」
 ミアスは黙ってうなづいた。勿体ぶってというより、口にすることに恐れをなしているように見えた。

続く