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リルジャの足枷

XXXVIII.双子の王女(7)

「王家が進めていた計画は、人と魔族の間の子を生むこと。正確に言えば、闇の王カディルの血肉を母子に与え、魔女ハディアを生み出すことです」
 普段は耳にしない言葉が老人の口からぽろぽろと零れた。
 カディルの名は知っている。魔族の大地カレトヴィアを統べる闇の王と言われる者だ。北レフェスに住むものなら、どんなに俗世を離れた者でも、カディルの名を聞いて笑っていられる者は居ない。魔族たちが氷の支配するカレトヴィアから、豊かな大地を求めてレフェスに迫ってきたのは、消されることのない焼き付けた黒い焦げ跡のような歴史である。今の平和が示すように、最終的にカディルの率いた魔性の軍勢は北レフェスを手に入れることなく滅んだものの、彼らの爪痕は北レフェスを中心に生き続ける魔物として今も残り続けている。北レフェスが南レフェスに比べて繁栄しないのは、そうした魔物のせいでもあるのだ。そういう次第で、カディルの名はこの先も色あせず、創世神話と同じか、それ以上に語り継がれていくのだろう。
 もう一つのハディアとはなにか。ミアスは簡潔に、リュテア語を操ることができる魔女だと言った。リュテア語が魔族の言葉であることを思い出すのに時間はかからなかった。それは、闇の王と同じぐらいの畏怖とともに、悪魔の言語だと伝えられている。古き民の遣う言葉と異なり、人がリュテア語を使えば一足飛びに地獄に落ちるというのが俗説だ。リュテア語には言葉の一つ一つに悪魔との契約がかかっている、と。
「母子とは、ロアンナ様とおなかの子でした」
 ミアスは付け足した。
 話を整理するとフィオメインは、ロアンナにカディルの血肉を与えることで、古来から続く王家の血に魔族の血を混入させ、リュテア語を使える人間を造ろうしたということになるだろうか。アヴェリーが確かめると、しかし、ミアスは首を振った。
「王家の血は、流れていません。もとよりフィオメイン王家に流れていた祈祷師の血は既に薄れて、血統など無いに等しかった。ロアンナ様が身ごもっていたのは陛下の子ではなく、兄の子です」
 アヴェリーは驚嘆した。驚きはすぐに怒りへ変わった。自身の事ではないが、他でもないシフェルの子を婚約者ごと奪うとは、人道を踏み外したどころか、人心を踏みにじる行いである。
「王家は伝統などどうでも良かった。絶大な力だけを望んだのです」
「何故そんなことを……」
「おそらくは、レフェスを手に入れるため」
「手に入れる? 人の大地を支配して何をしようというのです」
「……少なくとも、レフェス南北の力関係を覆すことができます」
 思い出したのはハーサットの話であった。南レフェスにあるアメレシアやリュティードが北に目を向ければ、小規模国家で成り立つ北レフェスは太刀打ちができない、と。
 しかし、魔族のリュテア語が遣えたところで、国と国の力関係を変えることができるのだろうか。アヴェリーがそれを訪ねると、ミアスは頷いた。
「リュテア語は、魔族の証。レフェスの散らばる魔物を統べることも可能になる。数千、いや、数万の竜を従えて国を襲えばどうなるか。想像するだけで十分でしょう」
 アヴェリーは夜の荒れ地に放り出された気分になった。
 もちろん、今のはミアスの推測にすぎない。王家には王家の違う目論見があったのかもしれない。しかし、それ以上の情報を仕入れることはできなかった。模索する前に、ミアスに情報をもたらした協力者たちは、一人残らず王宮に粛清されてしまった。それが返ってミアスの危機感に火をつけた。国の暴走を止めるには、私しかいない、と。ただ、それまでに突き止めた事実をもってシフェルを説得するのは簡単でも、二人だけではどうにもならない。
「兄の伝手でした」
 ミアスは独白するように言った。
「兄と私は、フィオメインをけん制することのできる組織、ディアクク会に助力を願ったのです」
 二人の前に現れたのは、アウベス・エル・ドニアムという壮齢の男だった。エル・ミリードと呼ばれる宗派の筆頭に立つ男だったというのは後で知ったが、それを語られるまでもなく、アウベスの眼光にはシフェルもミアスも、無条件にひれ伏してしまうような力があった。出会ったのが、暗室であったにもかかわらずにである。
 そのアウベスに対し二人はディアクク会の協力を要請したわけが、最初から断られる覚悟はできていた。二十代そこそこの若造が二人でわめいたところで現実味がないし、証拠といえる物も何一つ手にしていない。それに話の中心にいるロアンナがシフェルの婚約者だったという事実は中々に厄介で、シフェル個人の怨恨にも映るために最初は伏せざるをえなかった。二人がアウベスに密告した時の静寂は、思い出の中でも長かった。
 諦めかけた時に、アウベスは承諾した。それどころか、感謝されたのである。簡単に運びすぎて拍子抜けした二人は、ディアククがハイ・メインの動向を探り続けていたことを知らされた。そして、こう言った。ようやく負の遺産を闇に葬ることができる、と。ハイ・メインとは、エネハインとフィオメインの兄弟国のことであるが、それ以上のことは聞き出せなかった。
 ディアククの協力を得て、王家の謀略を止める話は一気に進んだように思えたが、実際にはそう簡単ではなかった。ディアクク会はこの誕生を待たずにフィオメインを襲撃し、ロアンナもろとも殺すべきだと訴えたためである。もちろん、シフェルとミアスはそれを認めなかった。襲撃などすれば、無関係な民衆をも巻き込むことになる。たとえ二人がロアンナと無関係だったとしても、フィオメインの者ならば反対してしかるべきところだ。ただ、アウベスはというと、会の中でも穏健に進めるべきだと考えていたようで、そこまでの事は求めず、誕生とともに子を殺すのが良策だと言った。
 アウベスの案にシフェルは反対しなかった。ミアスの口からは、ロアンナの抱く赤子がシフェルの子だと伝えることができなかったから、シフェルは赤子を殺すことに異論を唱えなかったのだ。代わりに、ミアスが反対した。ミアスはロアンナが身ごもっているのがシフェルの子であることをひた隠しつつ、生まれる子供に罪が無いことだけを主線にして、ひたすら二人を説得した。その甲斐あってか、あるいは教会の長という者には元々慈愛の精神が備わっているのか、やがてアウベスが折れた。
「我々は三人はさらに作戦を練り、一つの計画にたどり着きました。その一つが、『離体の法』と呼ばれる法術です」
 赤子を魔族の血肉と人間の血肉、つまりハディアと人間に分け、人間の肉体の方に魔女の悪しき精神を宿すのである。そうすれば、一人の完成された魔女はこの世に生まれない。そして、それぞれを一生涯そのまま封じてしまえばよいのだ。
 魔女の肉体を封じるのは簡単だ。魂のない体は、でくの坊にすぎない。それに比べ、人の体に移した精神体の方は少し厄介だ。歳を重ねればやがて魔女の本能が目を覚まし、肉体を取り戻す法を身に着けてしまう可能性がある。それは何としても避けねばならない。
 その事態を避けるための鍵となったのが、『夢の旧約』であった。精神を宿した赤子に別の人間の魂を与えて『夢の旧約』を使い、ハディアの魂をその人格の背後に沈めてしまうのだ。『夢の旧約』による封印は永遠には続かないが、『時の旧約』を使えば、彼女が死ぬ時ぐらいまで永らえることができよう。
「私は『時の旧約』の番人となりました。時の精霊と杖を介して誓いを交わし、ハディアの魂をリーニス様の夢の中に封じ込めてきました。その結果がこの姿です」
 ミアスの弟と言いながら、その親ほどの年齢に見える体躯は、そこに起因しているのだ。アヴェリーはそのように察すると同時に、エリニスの顔を思い浮かべていた。蒼白で人間の肌の色を失った不気味な風体。生きているものとは思えないと感じたあの時の事を。そして、考えた。リーニスの雰囲気がエリニスと違ったのは、同じ血脈から生まれた双子ではなかったからなのだ、と。
「精神を宿した赤子に別の人間の魂を与えた。そう仰いましたね」
 アヴェリーはミアスの言葉が気になって尋ねた。ミアスはゆっくりとうなづく。
「どなたです?」
「ロアンナ様です」
 二人を生んだ時、魔族の肉という異物を与えられ続けていたロアンナは死に際だった。墓から出てきたという表現の方が適していたほどに痩せこけ、シフェルには過酷だった。だが、それは予想外の事ではなく、絶命する寸前のロアンナの魂をリーニスに宛がうことも、また計画であった。ロアンナの魂は、アウベスの『移魂の法』によってリーニスに宿った。
「その時に、すべての知識を消しました」
 王宮の事もシフェルの事も。
 その後すぐに、ミアスはリーニスを連れて出奔した。ライヤードという姓からシフェルを思い出さないよう、ファーストネームだけを残し、ディアクク会とのつながりがあるパレグレオ大公国に亡命したのである。

続く