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リルジャの足枷

XXXIX.双子の王女(8)

 準備は整ってもパレグレオ大公国への亡命も簡単ではなかった。ミアスには時の旧約を駆使して、ハディアの封印を守る役目が残されている。封印のために己の時を犠牲にし続ければ、人より先に老いてゆくのは目に見えていた。もし、身の回りに自分の倍以上の速さで年を取っていく人間がいればどうなるか。嫌でも好奇の目を浴びることになる。ハディアという爆弾を抱えた少女を連れている以上、それは好ましくないことだ。
 熟考の末に、ミアスは大胆にも変装という行動に出た。詐称が知られれば危険を招く行為であったが、潜伏だと思えば監視院の経験が生きてくる。
 亡命後は、大公国が大喜びで用意しようと進言した豪邸を断り、ミアスはリーニスとともに民衆の影に潜った。隠者として過ごすために、ミアスはアインガストの中央議員を退職した老人という役を大公国から頂戴し、古都に溶け込みつつも周囲との交流は絶つ。息の詰まる生活だと感じることはあっても、真相を大公国に伝えて楽になろうと考えたこと一度もはなかった。シフェルがフィオメインの動向を探り、ミアスはリーニスを護る。それが、禍の種であった赤子を殺さずに生かした二人の宿命だと理解していた。北レフェスはおろか、全ての人間に厄災をもたらす元凶を生かした以上、己の自由など求めてはならない。計画に判を押したアウベスの言葉でもある。
 大公国の支援により不自由はしなかったが、気の抜けない毎日は長かった。時を操る力を持ちながら、なかなか経過しない時に疲弊している己に苦笑する日々が続いた。時間という監獄の中で、リーニスの成長をみることだけがミアスの癒しになった。
 ミアスの変装はリーニスが十歳をすぎた頃に必要がなくなった。苦心の甲斐あって、変装は最後までばれなかった。たまに会う大公国の重役はもちろん、リーニスにすら隠し通すことができた。本当はばれていたのかもしれない。しかし、大公国の内部にも進出しているディアクク会の権力が庇護したのか、それが露見することはなかった。
「勿論、その後も旧約の力は使いました。しかし、ある程度歳をとると、見た目には分からなくなります。多い皺が少し増えても誰も気付かない」
 変装を解くことで、ミアスはひとつの安心を手にしたものの、虚しいものだった。
「そうして、今に至りますが、未だに正体が見破られた時の夢を見ます」
 ミアスは苦笑した。
「私の言葉と顔が一致しないことには、目を瞑ってください。歳を偽っていた時間が長すぎて、老いた演技をする必要もないのに、普段は老人の言葉でしゃべり、一人になればフィオメインにいた頃の私に戻っている。もはや、本来の私がどうあるべきか、分からんのです」
 老人の顔はやれやれといった表情をになった。言葉尻に外見に似合った言葉が出てきていることに気づいていない。
 アヴェリーは背もたれに体を投げ出し、机に乗せていた両腕をそのまま組んで考え込んだ。理解できない話ではなかったが、アヴェリーに説明する理由に繋がらない。フィオメインからアインガストへ招いた理由とは何なのか。
「話を続けましょう」
 話の終着点を知りたいということがアヴェリーの顔に表れているかように、ミアスは再び口を開いた。
 アインガストに溶け込んだことで生活は落ち着きができた。しかし、ミアスに課せられた責務がそれで終わったわけではなかった。時の旧約でハディアの封印を延ばすということが、暫定的な手段だというのは最初から分かっている。どう運んでも、封印の鍵を握るミアスはリーニスよりも先に死ぬ運命にあるからだ。時の旧約に捧げた寿命は元に戻すことができないという制約があるため、ミアスの老いを止める方法はない。
「仮に第三者の手で私を若返らせてもらうことができたとしても、正直私は、宿命を振りかざして他人の寿命で生きるつもりははありません。
 他の手段の一つとして、誰かにこの杖を操っていただきリーニス様を護っていただくという策があります。しかし、それは、結局他人の寿命を喰らって生きるのと同じです。もちろん、アヴェリー殿にそんな役目を願うつもりはありません」
 一瞬、話の流れから時の旧約を渡されるのではないかと、アヴェリーはひやりとしたが、顔に出ては失礼だと気持ちを締め直した。
「この役目の重みは十分に分かっているつもりです」
 ミアスはそう付け足した。
 ハディアにかけた封印を他人にゆだねるつもりがない以上、やることは一つしかない。エリニスに与えられた王家の証、夢の旧約を奪い取り、リーニスに与えることである。それを言うのは易いが、話は簡単ではない。
 フィオメイン王家には王家の情報網があり、魔女の血肉を胎児に与える実験が植物状態の赤子を産んで失敗に終わったとは思っていない。精神体がリーニスという名の器に入って大公国に渡ったことなど百も承知のはずだ。監視院にいたミアス自身の経験が、そう告げている。
 それでも王家がリーニスの事を追わないのは、政治的な要因が大きかった。国家関係が穏やかでない大公国に正式に亡命したリーニスを追ってアインガストに踏み入れば、不必要な争いが生まれるらためである。フィオメインには魔女の力でレフェスを制圧する野望があっても、準備の揃わないうちに戦いを起こすほど無謀ではない。それに、国に必要な王女という点では、エリニスがいる。魔女の外見だけの人形だが、王宮魔術師たちが力を合わせれば生きているように装うことも可能であり、生気はなくても、国の偶像としての役割は十分に果たしている。そういった利害関係において、王家と大公国には均衡が成り立っているのだ。
 しかし、その均衡は王女の耳飾りという一つの物をフィオメインの皿から取り除いただけで天秤が大きく揺れる。根本的な問題は、夢の旧約が第一王女であるエリニスに与えられた王女の証となっていることだ。旧約とはいえ、ただの王宮に眠っている財宝が盗まれただけならば、兵士を派遣する以上の手は打たない。だが、王女の証が盗まれたとなれば、事は大きい。偶像として生きているエリニスから、王女の身分証明書が盗まれるのだ。それは王家にとって大きな失態となり、フィオメインは賊討伐という名義を掲げてアインガストに押し寄せるだろう。
 均衡を一度崩すと修復は難しい。多くの場合、天秤の揺れは第三者の手によって止められることはあるが、フィオメインとバレグレオには仲介する国がいない。ダブログは指をくわえてみているだけだろう。そして、天秤を支えていた者たちがその大きな揺れに巻き込まれ、民衆という犠牲が生まれる。夢の旧約を奪い取るにはその覚悟が必要であった。
 そうは言ってもミアスたちが無策だったわけではない。亡命する時に持ち去ることを断念した夢の旧約だが、いずれリーニスの手元に渡るように手配しなければならないことは考えにあった。封印と赤子の命を守るために、満たさなければならない絶対条件なのだ。手っ取り早くエリニスを殺害し、ハディアの器を滅ぼすという手段もあるが、そうなればフィオメインが意地になってリーニスを連れ戻しに来ることは、想像に易い。
 大団円を迎えるために立てた計画は、実に長い年月を費やすものであった。ミアスたちが実行すべき計画の主点は、フィオメインを触発することなく、静かに夢の旧約を持ち出すことである。それは、王女の身分証明としての役割が終わった時に耳飾りを盗むことであった。
「王女が十六歳になると、国外に出ることが許されるというのは知っていますね」
 アヴェリーはゆっくり、言葉を促すようにうなずいた。
「それが何を意味するか、分かりますか?」
「……いえ」
「正装を仕立てることになります」
 王女の正装、つまりは冠と錫杖である。いずれも王女を身分を示すものだ。それが王女の手に渡れば、王家の耳飾りに求める価値はほとんどなくなる。
 ミアスたちはそれを狙った。ひたすら時の杖を振いながら、その時が訪れるのを待った。その一方でシフェルはエリニスの周辺を探るために親衛騎士隊に立候補し、隊長を務めるに至った。砂時計と会話をするごとく沈黙の時を紡ぐ計画は、気が遠くとも順調に進んだ。セオン紅石がミアスの元に転がり込むまでは。

続く