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リルジャの足枷

XL.双子の王女(9)

 ミアスには日課としていることがあった。街に出て旅人を捕まえ、情報のやり取りをすることだ。道楽ではない。リーニスにかかわる情報が公路に出回っているかどうかを調べるためであった。通りで注意深く耳を澄ましている間に、リーニスを詮索するような言葉を耳すれば、大急ぎで戻ってリーニスの身を護る策を練らねばならい。もっとも、監視院にいるミアスの元同僚がアインガストに潜入してきたとしても相手の顔は割れていて、逆にミアスが老人になっていることは知られていないのは好都合で、恰好の隠れみのを纏いながら、老人は何年もハイデンヒム街道の終端に腰を下ろし、世の中に網を仕掛け続けた。
 騒動の始まりとなったのは、三月ほど前の事だ。乾季の真っただ中の砂嵐の吹き荒ぶ日に、その男は現れた。
 先に声をかけたのはミアスだった。普通の旅人にはない気配を感じたためである。街道の行き止まりと言われるアインガストに入る者は、つねに何かを探し求めている。折しもリーニスが十六を迎えようとする頃だ。エリニスが外交の場に顔を出す時が迫っていることを意味すると同時に、フィオメインがリーニスに対して動きを見せる時期とも考えていた。ミアスは物乞いの振りをして男に近づいた。
 ミアスの予想は外れた。男が求めていたのはリーニスではなかった。男はアンクレット・アークの事を知りたいと言ってきた。安堵が一気に押し寄せて、饒舌になったのがいけなかった。十数年も集めた情報の中で知っている限りのことを男に教える代価としてセオン紅石を頂戴した時、左腕の包帯に気づいたが、引き下がれなくなってしまった。
「エネハインの出身であるアヴェリーなら、知っているでしょう」
 男はグレナード・ラスタニアだった。そして、その男から受け取ったのが、二つのセオン紅石である。
 初めてみる紅石にミアスは少なからず興奮した。ひとまずは家に収め、良い買い手が見つかったら高く売るつもりでいた。今は大公国に養われている身であるが、いつ、どのようなことが起こっても生き延びるためには貯蓄が必要になる。
 紅石は見れば見るほど見事な輝きだった。エネハインの王族にのみ与えられる石だと言われるだけのことはある。二つあるならば、一つは好きに使っても良いかもしれないと考えた。そうだ、リーニスに、この石をひとつリーニスに与えよう。自分の素性を知ってより機嫌が悪くなっているリーニスだが、いまより機嫌が良くなるかもしれない。ミアスにあったのは、姪っ子を手に余した叔父の心理だった。
 リーニスに紅石を見せると、眼は輝いた。宝石を喜ばない女はいないという俗説が何歳から適用されるのかなど知りたくもないが、間違ってもいないようだ。リーニスは直接的な喜びを表現しなかったが、紅石を受け取ると静かに部屋に戻っていった。リーニスが頭痛を訴えるようになったのは、それからである。
 ただの風邪だと思ったが、二日三日では治らず、その後も継続して痛むというので、医者に見せることにした。結果として医者は役立たずであった。薬草などを煎じてくれたが、効き目はなかった。その頭痛が日常化したころに、気づいたことがあった。リーニスの目もとに年増の女の化粧のような、地肌に不釣り合いな隈ができていて、目も赤い。紅石が移ったような色だ。寝不足を疑ったミアスは夜中に何かが起こっていると感じ、寝ずの番をしてリーニスの様子を見ることにした。
 鍵穴から見た光景は、ミアスの脳裏に焼き付くものだった。深夜を過ぎたころにリーニスは起き上がり、セオン紅石を眺めて不気味な呪文を唱えているのである。
 リーニスに法術の才能があることは分かっていた。二つに分けたとはいえ、一時は魔女の血と交わっていた体だ。王家の血が流れていなくとも、誰かに師事することがなくても、生まれながらに持っている力なのだろう。ミアスの目の前でカップを浮かせたことも数知れない。しかし、目の前の光景は今までと訳が違う。リーニスの口からあふれているのが何の呪文なのかを聞き分けようとしたのだが、それが分からない。人の言葉ではないのだ。そして、リーニスの眼の前にはもう一つの紅石が上下にふわふわ浮いている。いつの間にか、もう一つの紅石を持ち出したようだ。
 ミアスは意を決して扉を開けた。そのままの勢いで部屋に踏み込んだ、はずだったが、足は部屋から出ている。二度繰り返したところで、扉には人が入れないように魔法がかけられていることに気がついた。
 魔女の魂が目覚めている。そう理解して、ミアスは慌てた。十六年目にして、はじめてのことだ。一年おきにリーニスに施してきた時の旧約が、一年を待たずして打ち破られているということになろう。セオン紅石に問題があったのかは不明だ。単純に夢の旧約が一年も持たなくなっただけかもしれない。しかし、ああしてリーニスが――いやハディアが紅石を扱っている以上、何らかのきっかけを与えたのは間違いないだろう。
 寝室に入れないまま戸口から様子を見ると、リーニスがセオン紅石に何かを仕掛けるその周りで、十数匹の蝿が飛んでいる。やがて蝿たちはリーニスに群がり、二つの紅石を取り囲むと開かれた窓から空に飛び立っていった。
「言ったとおり、時の杖には危険があります」
 机に両肘をついてミアスが言った。
「すぐに夢の旧約の力を戻すこともできますが、どれほど持つかは分かりません。もしかすると、次の朝には解けてしまうかもしれない」
 旧約の代償となるはミアスの、残り少ない寿命であり、やみくもに時の杖を振う訳にはいかなかった。夢の旧約を手にする前に死ぬようなことになれば、リーニスは大公国が守ってくれるかもしれないが、封印をを護る者がいなくなってしまう。
「私は、早急に時の旧約に頼らない策を打たねばなりませんでした」
 それはつまり、夢の旧約を盗み出すことである。
 強硬策だった。フィオメインとミアスたちの均衡は崩れるが、耳飾りを手に入れることができれば戦いは終わる。追われる身になることは間違いないが、ミアスが死んでも大公国とディアクク会が守ってくれる。リーニス自信も、己に眠る魔性を恐れながら暮らす必要はない。ミアスはすぐに文を書き、シフェルに送った。
 シフェルはすぐに準備を始めようと返事をよこした。
「兄は、耳飾りの強奪と同時に王女の暗殺をもくろみました。どちらかに成功すれば、ハディアの誕生は防げる。そして、機会をエリニス王女に与えられる試練に定めました。結果はもう、知っているでしょう」
 アヴェリーは、イミールに対峙したエリニスに口が反魔の帯で塞がれていたのを思い出した。あのときに陰謀だと感じたのは間違いではなかったらしい。それがシフェルのたくらみであろうとは微塵にも思わなかったことだが、そう言われると積極的に動かなかったシフェルの態度には納得がいく。シフェルは王女の体を反魔の帯で巻くことで第三者の力が及ばないようにし、イミールの前に差し出したのだ。アヴェリーは、首を振ったシフェルの顔を思い返しながら、いたたまれない気持ちになった。
「何者かの邪魔が入り、肉体を滅ぼす計画は失敗に終わりました」
 あの場に怪しいものがいただろうかと考えた時、横倒しになったイミールの横で、死体の検分という役目を放棄して狼狽えていた神官を思い出した。何らかの術をイミールにかけた者がいたのだとしたら、至近距離にいた神官以外に当てはまる者はいない。出奔の元凶になった男でもあるが、あれは演技だったのかと考えると腹立たしかった。
 しかし、その後にイミールが生き返ったのはどう説明してくれるのだろうか。
「待ってください」
 アヴェリーは言った。
「あのイミールは仕組まれた魔物だったのですか?」
 話の筋をそのまま信じると、イミールに操魔の石を埋め込んだは、ミアスとシフェルだったという事になる。それでは話がおかしい。セオン紅石は魔女の手によって夜空に放たれたのだから。
「いえ。イミールを操ったのは我々ではありません」
 ハディアの仕業だとミアスは断言した。
「夜の間だけではありますが、リーニスの体を操ることを覚えたハディアがやろうとしていたことは、一つしかありません。夢の旧約を手に入れ、封印を解くことです。表の人格であるリーニスと入れ替わってしまえば、あの体はハディアのものになります。あとは、自力でアインガストを出て、肉体を取り戻せば、全ては魔女の望み通りになる。
 イミールの死後に操魔の石が働いたのは、エリニスを巻き込まない為でしょう。ハディアにとって、エリニスは自分の体です。傷付ける訳にはいかない」
 ミアスの説明を聞いて、アヴェリーは理解した。あの時、あの場には何人もの思惑が入り乱れていたのだ。エリニスを殺そうというシフェルと、それを阻止する神官、そして夢の旧約を奪い取ろうというハディア。純粋に任務をこなそうとしていたのは、アヴェリーとフィルクスだけだったということか。
 とにかく、暗殺は失敗に終わった。しかし、想定外だったイミールの復活が、好機をうむことになった。騒動のおかげで、隙ができたのである。イミールとの戦いでアストロイが犠牲になったために一部の衛兵が持ち場を乱した。
「兄は、衛兵が掃けた隙を狙って忍び込み、耳飾りを盗みました。そして、それをあなたに託し、アインガストへ仕向けたのです」
「私に?」
「そうです」
 突拍子もなくミアスの言葉がアヴェリーに向き、長槍を突き付けられた気分になった。何の冗談かと言いかけたが、ミアスの眼はあまりに真剣だ。しかし、必死になって出奔した夜の事を思い出しても、紅石以外に思い当らない。
「私は何も……」
 子供の言い訳に苦笑する親のような顔で、ミアスは微笑んだ。
「巾着です。兄は貴方に渡した巾着に細工をして夢の旧約を入れたのです。
 兄は、あなたを送り出した後で、私に文を宛てました。手っ取り早く、文に旧約を入れなかったのは、検閲を避けるためです」
 検閲にかかれば、アインガストに到達する前にフィオメインの王家へ戻ってしまう。捨て身の覚悟で盗んだ旧約を確実にアインガストに届けるためには、最も信用できる人物に託すのが一番であった。そのことをアヴェリーに伝えなかったのは、アヴェリーに対する配慮からだろう。仮にも王女の親衛を務めるシフェルが、王宮に汚名を着せられて国を出るアヴェリーに対して、王宮から盗み取ったなどと騒ぎになる。
 いろいろ考えるうちに、アヴェリーは理解した。
 ハーサットがたかだかイミールの死を見誤ったぐらいで国を追われるか、と疑問視していたが、それは間違いではなかった。あの時のシフェルの慌てた様子からすると、アヴェリーは王女暗殺の容疑を掛けれられていた可能性が高い。窮地に陥ったエリニスの目の前に居て、何もしなかったのだ。疑われるのは自然だ。
 旅路でヴェルゼルスに狙われたのも、ついさきほどハーサットではなくアヴェリーの夢に魔女が出現したのも、これまでずっとアヴェリーが夢の旧約を持っていたからなのだ。夢の旧約がミアスの手に渡れば、ハディアの邪な心は二度とリーニスの体を乗っ取ることができなくなる。それはつまり、魂の終わりだ。老婆にとって、必死の抵抗だったということだ。
(謀られた――)
 考えの末にそう思った。ただ、シフェルに対する怨恨の念は沸いてこなかった。付き合いの長さがそうさせたわけではない。一度は祖国を失った騎士に新たな祖国を与えくれ、親衛騎士隊の枢軸が務まるように育ててくれた恩恵は、簡単に返せるものではないと思っている。全く意図していなかった形でシフェルとの別れを迎えることになったが、それで恩師の役に立てたというのなら、望むところである。
「参考までに、これがその文です」
 ミアスが差し出したのは、昼間にシフェルの印をを見せるために差し出した一通の文だった。開くと文章が途中から始まっている。最初の一枚を抜き取ったようだった。
「始まりがありませんが……」
「差支えない部分をリーニス様に見せようとして、破り捨てられてしまいました」
「なぜ、そのようなことを?」
 リーニスにシフェルの情報を与えるのは禁忌のはずである。
「……あの子は本当の両親を知りません。そしておそらく、これが兄の最後の肉筆。どうしても読ませておきたかったのですが……ね」
 老人の顔は、深い皺を拵えて沈んだ。
 アヴェリーは、書面にシフェルの字が埋まっているのを確かめると、すぐに畳んで封筒に戻した。何故だか踏み込んではいけない領域のように感じ、汚す前に遠ざけようとした。それだけ、ミアスの言葉が耳に重かった。
「鍵を渡していただけますか」
 ミアスが言った。何度も聞かされ、その度に嫌気を覚えた言葉であったが、今ばかりは何故か嬉しかった。この短い時間に負わされた重荷から解放されようとしているのだと感じる。
 アヴェリーは無言で椅子を引いた。

続く