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リルジャの足枷

XLVI.戦火(1)

 いかにしてリーニスをハディアの手から奪い返すか。それを考えた時にちらりと時の旧約が頭をよぎった。しかし、それをどう生かすべきなのかが分からない。ミアスが雨を遡らせた時に呟いていた呪文のようなもが耳に残っているわけがなく、おまけに杖は瓦礫の中だ。床板が崩落し、燃えた後に水びたしになった部屋で木の杖を探す作業は想像しただけで骨が折れる。
 とっかかりのない手段を考えるよりも、ハディアを見つけるのが先決だ。ハディアの目的は、その肉体であるエリニスを見つけ出し、本来あるべき姿になることだ。間違いなく今頃エリニスを探していよう。とすれば、空すら自由に行き来する魔女を見つけるより、エリニスを探したほうが早い。つまり、フィオメイン王家の一行を見つけるということだ。
「コルメニク殿。フィオメイン王家の一行がいつ到着するか、ご存知ですか?」
 壮年の男の鋭い視線が、アヴェリーを眺めみた。大公国にとってアヴェリーが害を成す人物かどうか、推し量っているのだろう。
「……今朝方、到着なされた」
「今は何処に?」
 コルメニクは返事をためらった。祭典に招かれているのはフィオメインだけではない。大公国にとって親交の深い国もある。そうした国々が等しく滞在するその場所はむやみに口にすべきではないことは、聞かなくとも分かる。
「……アヴェリーと言ったか」
「はい」
 アヴェリーはコルメニクが寄せた疑いの眼差しをまっすぐに受けた。
「何を企んでおる?」
 大公国の重鎮が知りたがっていることを話す事は出来る。しかし、話せば長くなるし、その時間は惜しい。それに、余計な心配ごとを振りまくのは、風邪をうつして歩くのと同じだ。できるなら、身内に留めておきたいのが本音だ。
「……今は言えません」
 コルメニクは顎を尖らせて、そうかと言った。いたく不満げな面持ちだったが、怒っているようではなかった。
「まあ、よかろう。ミアスがお主に預けた信の字だ。儂が疑ったところで始まらぬ」
 そう自分に言い聞かせるように呟いた後で、コルメニクが告げた。
「ここより西のネラク庭園に居る。今夕に催される前夜祭の来賓者として、大公国陛下とまみえる予定だ」
 コルメニクが指さした方角には、日も向かっている。
「分かりました」
 アヴェリーは応えながら、大公国陛下に避難するように申し入れた。余計な者たちを巻き込みたくないという思いと、大公国筋の衛兵を退けたいという計算があった。しかし、コルメニクはアヴェリーの助言に対して、検討しようというにとどめた。
「では、ミアスの遺言、しかと頼んだぞ」
 コルメニクは不機嫌な顔のままアヴェリーの肩をたたいた。
 ミアスの亡骸が大きな布で包まれ、コルメニクの従者によって運ばれていく。コルメニクの顔は最後まで崩れず、その分だけ、アヴェリーの腹が据わった。
「それで、何だって?」
 皆が去ったあと、ハーサットが聞いてきた。
「西の庭園だ。もうじき前夜祭が始まる」
「……そうか。あまり時間が無いな」
「ああ。早いところけりをつけなければ、取り返しのつかないことになる」
 エリニスが人前に出れば、ハディアは己の体を見つける。そうなれば、ディアクク会が恐れた魔女の誕生は免れない。エリニスをハディアより先に見つけて肉体を滅ぼす、つまりはエリニスを殺すことが急務だ。肉体を壊してしまえば、本当の意味でのハディアはこの世に生を受けることはなくなるはずだ。
 勿論、肉体が滅んでもリーニスの体を奪ったハディアは残り、ミアスの願いどおりにリーニスを解き放つ使命がアヴェリーには残る。いずれはハディアの魂をどうにかしなければならない。今現在、リーニスの魂はどうなっているのかは分からないが、もし今後、魔女として生きるのであれば、その魂は浮かばれないだろう。万が一、リーニスを元の姿に戻す方法が見つからなければ、その時は……。
(手を掛けざるを得ないかもしれん)
 その覚悟はまだない。しかし、今は、それより先にやるべきことがある。
 エリニスの周りに取り巻いている親衛騎士隊を出し抜き、体を始末するという行動の困難さは、騎士隊の面々を知るアヴェリーにはよく分かる。その作戦の間に、今後のことを考える余裕は微塵もないのだ。今は、魔女の肉体を滅ぼすことに専念するべきだ。
「前進あるのみ、か」
 ハーサットが言った。
 その声がやけに心に響いて、アヴェリーは苦笑した。なんだかんだで、この男が隣りに立っている。
「しかし、よく戻ったな」
 アヴェリーが聞くと、ハーサットはふてくされたような顔をした。
「好きで連中に従ったわけじゃない。義弟さえ解放されれば用はないんだよ」
「義弟?」
 あの時は何も言わなかったが、一足先にアインガストを出たというハーサットの義弟に何かあったというのだろうか。
「気にするな。こちら事だ」
 気になったが、ハーサットはそれ以上の言及を退けた。
「しかし、まさかこんなことになっているとはな。
 お前はこの大事な時に何処にいたんだ? アヴェリー」
「言うな。俺も悔いてる」
「……お互い様だな」
「そうだな……。だが、後悔はもう御免だし、今はそんな暇もない」
「うむ」
 二人はそれぞれの得物を担ぎ、ネラクの庭園に向かった。雲の向こうを走る太陽は地平へ向けて加速度を上げている。二人はその速度に引かれるようにして駆け足になった。庭園に着いた頃には日暮れの橙色と夜の紺色が邂逅するまで、幾ばくもなかった。
 コルメニクが示したネラクの庭園にたどり着くのに、案内は要らなかった。乾季明けのせいで庭園というには粗末な緑であったが、樹木よりも目印になるフィオメインの見慣れた旗が立てられていたからだ。フィオメインだけではない。ダブログで見かけた旗もあり、十種類以上の旗が夕風に煽られている。庭園の入り口にはパレグレオの兵が立ち、揺らめく旗と相まって戦陣のような光景であった。
「どうする?」
 ハーサットの目がそう語っている。火事場から得物を担いで出てきた二人は重々しい恰好で、顔には黒ずみがある。まさしく戦帰りのような体だ。このまま庭園に入るのを、衛兵が許すはずがない。かといって、ここで丸腰になるわけにもいかない。雨にぬれた顔の炭は、拭えば拭うほど酷く見える。正面が無理なら迂回して忍び込むしかないのだが、それには中の様子が見えないことには話にならない。
 見回したアヴェリーの目に留まったのは風見の塔であった。
「登れるのか?」
「駄目なら外からよじ登るさ。お前はここに居てくれ。すぐに戻る」
 二本の戦斧を背負っているハーサットよりもアヴェリーの方が身軽だ。アヴェリーはハーサットを置いて、塔に向かった。
 南北から吹き込む風が渦を巻いて、塔は風を纏っていた。風見の塔というよりも竜巻に近い。塔の外壁を覆うイヴァの蔓草が風に煽られながら、必死に塔に掴まっていた。霧雨も交じる外を上るのは困難だったが、幸いにも入り口はあった。ただ、塔の中は中で、風向きを知らせるために設けられた隙間から轟音が鳴り響き、そこここでつむじ風が起きるほどに気流が乱れている。足を踏み入れた途端に風に煽られて側壁に叩きつけられながら侵入した。
 塔の内部に階段はなく、五段につき二段の割合でへし折れた木製の梯子だけが頼りなくそこにあった。踏むたびに軋む嫌な梯子である。おまけに強風のせいでどこを向いても空気が薄くて息苦しい。どうにかして五階ほどの高さまでたどりつくと、息切れがした。
 壁の隙間から流れ込む風の圧力に負けじと顔をのぞかせると、雨粒が舞う白い霞の向こうに庭園が見えた。中央に見えるの泉のあたりが、祭場だろうか。祭壇というべきものが整備されていて、周辺を街の役人とおぼしき者たちが忙しそうに右往左往し、兵士や神官に指示を出している。そこから街のひと区画ほど離れた所に、円形のテントが乱立しているのが見えた。二十人以上が入れる大きめのテントだ。各国の王族とその従者たちが待機している場所とうかがえた。警護のためか国旗は見えないが、装いの良い者たちが出入りしている。コルメニクに伝えた退避の願いは、この様子を見る限り取り上げられなかったようだ。所詮、手配された人間の言葉など取るに足らないものなのだろう。むしろ兵の数を増えたというのなら、逆効果だった。
 そんな思いを抱きながら周辺の様子を伺っていると、テントを出入りする兵士の中にアヴェリーの眼を引く者がいた。エリニスの十六歳の儀式で事の始まりをともに経験した、フィルクスであった。

続く