web clap

リルジャの足枷

L.戦火(5)

 テントを焼いていた炎がいつのまにか庭園を出て、アインガスト中に広まりつつある。雲の向こうではとっくに陽が沈んだはずなのだが、低空に雨雲が滞在しているせいか、いつまでも空がぼんやりと明るい。その灰色のスクリーンは次第に赤を足し、古いシーツに血が滲むようだった。
「おい。見てみろ」
 ハーサットが指さした先に、黒い雲が踊っている。蝙蝠の群れのように見えて、よく見れば蝿の大群だった。ハディアの言う通りなら、あれらは全てこの戦いで死んだ者たちを媒介に力を増していくことになる。
「まずいな。どうする?」
「……」
 希望の持てそうな答えは出せなかった。正直なところ、この状況を打開する策は思い浮かばない。ヴェルゼルスの時も、どうやって助かったのかを記憶していないのだ。あの時のことはハーサットの方が詳しいはずなのだが、ハーサットがお手上げだという状況が全てを語っていた。
 街のあちこちでパレグレオ兵士と親衛騎士隊が戦闘している。もちろん、数で言えば、親衛騎士隊は一握りに過ぎず、パレグレオ兵が圧倒しているのは明らかだが、親衛騎士はそれぞれが闇から生じた蝿に操られて、互角以上の戦いをしていた。兵士が放つ火矢に射抜かれ炎に焼かれて悶える彼らを見るうちに、かつての仲間たちがやせて見えたのは、死んでいたからだとアヴェリーは理解した。
 そうした光景をいくつも見送っているうちに、フェリオ公の言葉の意味が分かってきた。フェリオ公が光の力で、皆の魂を奪ったということなのだろう。光の奴隷と化した仲間たちは、生きながらにして死んでいる。おそらく、このことを想定してそのように仕向けたにちがいない。親衛騎士隊は寄生虫の生贄になったのだ。
 火攻めにあう同僚たちを目撃するうちに、気がつけばフィルクスを探していたアヴェリーであったが、ようやく暗くなり始めた空とともに絶望感が押し寄せ、やがて感情とも別離を迎えざるを得なくなった。今は、フェリオ公を探すべき時だ。決別しなければならない想いをいつまでも引きずっていては、走ろうにも速さは出せない。アヴェリーは覚悟を体現すべく、その矢を持ってパレグレオ兵を支援しながら走った。
 二人は暗がりと戦火が埋め尽くす夜の街を駆け抜けた。ハイデンヒム街道につながる街の門は、一個隊の兵士により固められている。フェリオ公が街道へ逃げた形跡は見受けられなかったが、アインガストに留まっているとすれば、その目的は何だろうか。
 フェリオ公はハイメインの偉大な計画だと言っていた。フィオメインの野望とも言えたハディアの復活が果たされた今、この街に留まって成そうとするエネハインの野望とは何だろうか。並んで走るハーサットもエネハインの出身であり、さらに国を守る騎士という役をもらっていたのに、国の目論見など全く知らない。興味の片鱗も無かったわけではないが、一介の騎士には口の挟めたことではなかったことを熟知しているはずもない。統治は王族の仕事であり、それが差しさわりなく執り行われるように邪魔者を排し、平穏をもたらすのが剣を持つ者の定めだ。だから王を信じ、戦ってきた。しかし、今、その野望は他国を戦場に変え、罪のない者たちを戦火に巻き込んでいる。
 アヴェリーは次第に情けない気持ちになってきた。フェリオ公には啖呵を切ったものの、結局のところ、エネハインにもフィオメインにも、捧げてきた忠誠心を馬蹄で踏みにじられたことに変わりはない。
「一つ、気になることがある」
 唐突にハーサットが口を開いた。
「セオン紅石だ」
 確かにセオン紅石はエネハインのものだ。この地とエネハインをつなげるものがあるとすれば、それぐらいかもしれない。しかし、アヴェリーは、あの石がハディアの操る魔物の媒介となった時点で、その役目を終えたように思っていた。
「そんなものをどうするのだ?」
「分からんが、セオン紅石は導きの石であり、帰還の石。分かつ者は皆、母の元に還り着く」
「何のことだ?」
「知らん。だが、その母の元に還る“還元”っていうのは、もう始まっているらしい」
 アヴェリーは足を止めた。
「何処でそんな話を?」
「……連中だよ」
 ディアクク会だとハーサットは言ったのだが、声に張りが無かった。
 本当のところどこから得た情報なのかは気になったが、今の論点ではない。それに、ハーサットが気にかけた紅石という手がかりはもっともらしかった。還元がエネハインの野望だったのだとすれば、フェリオ公がセオン紅石を探しているというのはうなずける。
「石ならここにある」
 アヴェリーはシフェルから受け取った巾着を取り出した。ハーサットが夢の旧約を持ち去ってから、手放すことが怖くなり、ずっと懐にしまっていたものだ。
「渡っていないという事は、まだ探している可能性はあるな」
「とすると、フェリオ公は……ミアス殿の家か」
 家に残されているとは、まずはじめに考えそうなものだが、部分的に瓦礫になってしまった家で小さな石を二つも探すのは至難の業だ。そして、今や空は完全に暗くなり、月も星もない夜で灯りとなるのは、街中で燃える戦火だけである。創作に手こずって、未だに留まっている可能性は高いだろう。
 二人は、蝿まみれのアンデッドと戦う兵士たちをすり抜けて、街を奔走した。彼らが剣を向けるアンデッドは、つい先ほどまではともに戦っていた仲間だ。兵士たちの中には号泣し、剣を落とす者もいた。恫喝が蹂躙する街を通り抜けるのはつらいことだった。その一つ一つの辛さが、確実にフェリオ公に対する怒りへと蓄積されていく。
 たどり着いた焼け跡はもぬけの殻であった。長い間放置されていた瓦礫であるかのように、雨を受け入れてそこに存在していた。その中にも外にも生き物を抱えてはいなかったが、廃墟の前に立ち尽くす二人の背後でゆらりとした気配が動いた。
 素早く振り返ると、フェリオ公はそこにいた。
「フェリオ!」
 ハーサットは叫びながら先手必勝と斧を投げた。が、次の瞬間にフェリオ公は風に吹かれた灯のように消え、二人の背後にある瓦礫の頂きに立っていた。ハーサットの投じた斧が空しく飛んで近所の石垣を崩す。いつの間に付けたのか、ハーサットの斧から伸びた鎖が重く張り詰める。
「しつこいぞ」
 目が合うなり、フェリオ公は言った。
「フィオメインの狼はハイエナになったのか。嘆かわしいことだ」
「紅石が目的か?」
「話が早いな、アヴェリー。
 では、その言葉に甘えて、セオン紅石を渡してもらおうか」
「この石で何を目論む?」
「教えれば渡すとでも? 王家に仇を成すとは、騎士を名乗る資格もない」
「……ならば、渡せん」
「後悔するなよ」
 そう言い残すと、フェリオ公はいきなり目を見開き、再び姿を消した。
 火のあおりが照りかえる夜の街で、暗闇に棲む野獣を探す緊迫感が漂う。二人は燃えた木が弾ける音の中に耳を澄ました。
 突然、アヴェリーの目の前に短剣が現れ、すさまじい速さでアヴェリーの喉元をめがけて突き進んできた。もし長剣であったら喉を貫かれていたほど危ういものだったが、ハーサットが鎖を引いて飛ばした斧が細い金属の刺客を遮り、短剣は再び闇に消えた。
 二人が背中を合わせたようとした所で、フェリオ公が再び姿を現した。
「気は変わらぬか?」
「断る!」
 ハーサットが拒絶すると、フェリオ公の標的はハーサットに向いた。
(俺がひきつける間に、見抜いてくれ)
(……やってみる)
 アヴェリーは、ハーサットが作る短い時間を利用して、フェリオ公の動きに何らかの法則が無いかを探った。
 必ず仕掛けがある。どんなに早く動けたとしても、視界から忽然と消えることはできない。それは人間に限らず、魔物だって同じだろう。空を飛ぶ魔女でさえ、姿を消すことはなかったのだから。
 では、これが何らかの術だとすれば、フェリオ公にできる術とは何だろうか。
 フェリオ公の剣の腕前はエネハインでも有名だったが、術に長けていたことは聞いたことが無い。そもそも、エネハインは武の国であり、術はフィオメインだ。それが兄弟国の大きな特色でもあった。もし、フェリオ公にその類の力を与えているとすれば、それは光の旧約に他ならない。
 アヴェリーが探る間、ハーサットは斧で応戦していたが、その戦い様は雲をつかもうともがく男の様であった。フェリオ公は何度となくハーサットの目の前に姿を見せ、じわりじわりといたぶっていく。まるで、この暗闇自体がフェリオ公で、体に見える指先に翻弄されているかのようだ。ハーサットの一撃は振りが大きいわけではないのだが、捉えきれずにいる。
 やがて、ハーサットが多量の血を流してうずくまった。フェリオ公の短剣は命中していなかったがはずだが、さきほどハーサットが肩の拵えた傷口が開いたのだろう。ついにハーサットが膝をついた時、フェリオ公は楽しげにハーサットの顔面を蹴り飛ばし、大男は足元の瓦礫ごと山から崩れ落ちた。
 ハーサットの体が土埃に埋もれ、フェリオ公の妖しく光る左目がこちらに向いた。
 光の旧約とは、光とは何か。アヴェリーは太陽を思い浮かべた。温かく、強く、優しい光。そして、光のあるところに影はある。
 影――?
 アヴェリーはそっとフェリオ公の足元を見た。月明かりもない漆黒の夜にあって、そこに影など見えるはずもない。だが、近くで燃える炎が膨れ上がった一瞬、光の足が伸びてフェリオ公の足元をさらした。
 影が無かった。
 今、目の前にいる公の姿はまやかしであり、実像ではない。恐らくフェリオ公は、接触の時だけ姿を見せ、それ以外の時では虚像を残して消えているのだ。旧約のもたらす光の力を遣い、アヴェリーたちの目に実際とは異なるものを見せているに違いない。本体はどこか別の場所にいる。フェリオ公の性格から考えて、それはアヴェリーの死角をおいて他にない。
 アヴェリーは暗闇に紛れて目を閉じた。フェリオ公の湿った埃のような臭いがそこから漂いだしている。
 勝負を決めるのは一瞬だ。そこを逃せば、フェリオ公を取り逃がすことになるだろう。背後の気配に気づいていることはおくびにも出してはならない。アヴェリーはフェリオ公の虚像を睨みながら、慎重を期した。
 汗に濡れた手が滑らない様に、矢筒の中で何度も握り直し、二本の矢を掴んだ。そして、無言のまま、不意を打つようにしてフェリオ公をめがけて射た。
 フェリオ公は、アヴェリーから放たれた矢が飛んでくるとにやりとして再び姿を消した。
(来る――!)
 アヴェリーは弓を構えたまま、背中を無防備にさらし、攻撃を誘った。命を張ったというよりも、命を掛けた。
 暗闇から短剣が雨粒を弾く音が聞こえた。振り返ったアヴェリーの眼に、薄笑いのフェリオ公の顔が映る。アヴェリーはその切っ先と邪悪な瞳を同時に捉え、一瞬たりとも目を離さずにぎりぎりまでひきつけた。
 短剣が耳を刺しても、アヴェリーは目を離さなかった。自身の右手には、ついさっき放ったふりをして小指に挟んだまま保っていた一本の矢が収まっている。フェリオ公がアヴェリーの握った一矢に気づき、顔から余裕が失われていく。アヴェリーは蒼白になった顔の隅にある左目に白羽の矢を刺した。
 暗闇にフェリオ公の悲鳴がこだまする。
「おのれ!」
 大きな声でフェリオ公が叫んだ。骨身だけの体のどこからそのような声が出るのか不思議なぐらいの強さだが、恐ろしさはまったくない。アヴェリーの一撃がフェリオ公の左目に入っていた光の旧約を打ち砕いたとは思えなかったが、傷をつけるには十分だったはずだ。実際にフェリオ公の全身はガラスのようにひび割れている。左目の奥に見えていた虹色の光はひどく色あせて見えた。
「覚えておれよ」
 死神が急にしおらしくなって、捨て台詞を吐いた。
 逃げおおせるつもりだ。
 アヴェリーは急いで矢を継ごうとしたが、矢筒には一本も残されていなかった。夢中でつかんださっきの二本が、幸か不幸か最後の二本だった。
「さらばだ、アヴェリー」
 フェリオ公の体が足元から消えていく。うっすらと背景が透けて見え始め、空中にフェリオ公の苦笑が空中に遺されようとした時、その影をさらに大きな影が覆った。
 戦斧を担いだハーサットだった。
 無言で振り下ろされた金属は、フェリオ公の背中で光との邂逅を生んだ。そこから稲妻が八方に発生しエネハインの王族は断末魔の悲鳴を上げた。そして、次の瞬間にフェリオ公は消えた。同時に、ハーサットも消えた。
「ハーサット?」
 アヴェリーの呼びかけは空に飲まれた。返事もなければ、木霊もない。そこにあるのは燃え盛る炎の雄叫びだけである。
 一人で白昼夢を見ていたかのように、アヴェリーはそこに立ち尽くした。ハーサットの傷口から生まれた血だまりに、古都に溢れる戦火が写りこんでいた。

続く