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リルジャの足枷

LII.魔性の力(2)

 稲妻に似たまばゆい光の後に続く闇は、あまりに暗すぎて握りしめた戦斧の重量さえ見失うほどだった。だが、次の瞬間には再び光に転じ、上下を見失ったハーサットは急に止まった馬車から放り出されるようにして、地面を転がった。
(ここはどこだ?)
 辺りを見慣れない壁に囲まれていた。土の上であることは確かだが、さっきまでいたアインガストの土ではないことはたしかだ。雨の降った後など少しも見えないし、判別できるものはと言えば、自分が転がった軌跡を示している血痕だけだ。その痕が示すように、左腕の感覚は失われている。
 急いで立ち上がろうとするも、体は悲鳴を上げていた。もはや踏ん張りがきかないハーサットよりも致命傷に見える目の前のフェリオ公は、背中に斧を突き立てたまま、苦しんではいるが、生きていた。
「あんたは一体何者なんだ? 俺の斧を背中に立てたまま、なぜ生きていられる?」
「光の旧約だよ。光とは生命の具現。光の旧約さえあれば、私は不死身でいられる。この瞳に旧約を宿している限りは、どんなに傷つけられようとも、決して死ぬことはない。故に私は久遠を生きることができるのだ」
 フェリオ公は左目に入った旧約の玉を突き刺さった矢ごと抜き取り、それを見つめた。光の玉にはひびが入り、旧約の輝きは芯だけを残した蝋燭の灯のように弱くなっている。
「しかし、その旧約の玉に傷をつけるとは、なんと恐れ知らずな愚か者だ」
「……悪道に堕ちた奴に使われるぐらいなら、光の精霊も旧約を砕かれた方が幸せだ」
「お前は旧約の恐ろしさを分かっていない。だが、まあいい。馬鹿を説いているほど私は暇ではないのだ」
 フェリオ公が光の玉から抜いた矢を捨てた。フェリオ公の左目の空洞の奥に見えるむき出しの野心が旧約の証によって蓋をされようとしている。だが、そのときに、横から現れた腕がフェリオ公の骨だけの腕をつかんだ。
 月光だけが頼りの視界の中で、フードに隠れた男の顔がハーサットには見えなかったが、その後ろ姿に見覚えがある。
「久しいな、じじい」
 唸るような声で、男が喋った。
「……どこで嗅ぎつけた。グレナード」
「貴様のセオン紅石が俺をここに導いた」
 グレナードが片手で腰袋を振ると中で石が跳ねる音がした。
「しかし、貴様の計画とやらも、ここまでのようだな。
 その左目に入ったシラクを引き抜き、旧約を断ち切ったらどうなる?
 二つに分断されたその体は、ひとたまりもないだろうな」
「止めよ」
 舌打ちしながらもフェリオ公は言葉にこそ余裕を残しているが、体は命綱を握られて硬直しているのが見て取れる。
「誰が止めるものか。あんたは隙あらばこのフィオメインさえ、戦場に変えるつもりだろう? エネハインでそうしたように。
 俺は同じ失敗を繰り返すほど、愚かではない。貴様の生き死にを決める光の玉は、もはや俺の手の中にあるようなものだ。この千載一遇の好機を逃すわけにはいかん」
 グレナードがフェリオ公の指から旧約の玉を引き剥がした。光の玉がグレナードの掌で鈍く輝く。ハーサットの目には月光を照り返した旧約の玉から、数本の光の筋が伸び、フェリオ公の体とつながっているように見えた。ちょうどそれは、菌糸が大地に延びるようであった。
「さて。冥土に旅立つ準備はいいか?」
 杖を奪われた老人のように縮こまったフェリオ公をグレナードが見下ろす。
「そんなことをして良いと思っているのか?」
 光の旧約の証に手を伸ばしながら、フェリオ公が脅迫した。
「何が言いたい?」
「私を殺せば、ヴェルグールの復活は止められんぞ」
 何がおかしいのか。グレナードは笑った。
「はっ。俺が何も知らないとでも思っているのか?
 貴様がハイ・メインの貴族共を生贄にして『血の解放』を使い、結晶封印を破ろうとしていることなどとうに知っている。貴様が此処に戻ってきたという事は、紅母石もここに運ばれているのだろう? そして、その過程で世界に散った紅母石の欠片は、全てここにあるようだ。だとすれば、もはや止める手立てはない。貴様を生かしておく道理はないという事だ」
「いや、判っておらんな。結晶封印を解くには、すべての欠片石の所有者が死に、石に魂を宿すことが必要なのは、今貴様が言った通りだ。だが、お前の持っている私のセオン紅石は、まだ『血の解放』が済んでいない。それはつまり、私が生きている限り、そのヴェルグールの封印は解けんということだ」
「それも判っているさ。そして、最後の欠片石の所有者が、結晶に閉じ込められた魔物の力を手にできることもな」
「……」
 ディオニールの眼窩に見え隠れしていた欺瞞が影を潜める。
「フェリオ・エネハイン。いや、ディオニール・ゼクソン。貴様の正体とその目論みは、貴様が殺した我が兄と、父に繋がり深きロキアンたちが教えてくれた。
 レフェスを狙った奈落の底の神ヘレと、魔族の王カディルが、旧約に敗れて数百年。ヘレはレフェス侵攻への二つの策を練った。一つは、旧約を破壊する事。もう一つは、人間を魔族の王に迎えることだ。つまり、旧約を無力化する手段と、人間にしか扱えない旧約を利用する手段だ。
 貴様は旧約が魔族を破った戦争において、ヘレと出会い、神の力に魅入った。そして、魔族の神と取引をした。貴様自身が魔性の力を手に入れることで魔王となり、レフェスを制圧したのちに神の力を授かるという愚かな取引を。
 闇の色濃い北レフェスで貴様は研究を重ね、その末に、目を付けたのがヴェルグールの結晶封印だった。そして結晶封印には二つの使い道があることを知った。一つは単純に封印した魔物を甦らせること。もう一つは『血の解法』と呼ばれる封印した魔物の力を手に入れる禁術だ。
 つまり、貴様の目的は――」
「もう良い」
 フェリオ公が荒れた口調で抑えた。
「概ねお前の言うとおりだが、それでは私が女神の言いなりになっているようで癪だ。少し訂正させてもらおう。
 我が女神の要望は魔性を持った人間を作り出すことだ。私自身がそうなることではない。だが、私は考えを替えた。見ず知らずの者を捕まえて魔王に仕立て上げるより、私自らがその力を得、レフェスを制圧した後に神の力をも得て、女神を従えた方が素晴らしい、とな。故に私はヴェルグールのもつ魔性の力を手に入れ、カディルとなることだ」
「そうはさせん。貴様は今ここで、この旧約に頼っていた命を終える」
「どうかな。そこまで嗅ぎつけているのであれば、もはや選択肢はないことぐらい気がついているだろう。知性のない魔竜をこの地に復活させるか。知性のある私に力を与えるか。お前たちが選べるのはその二つだけだ。
 ヴェルグールはレフェスに死をばら撒こう。しかし、私が魔族の王となり、世界の神となれば、人々に永久を与えることができる。それは多くの人間にとっての楽園なのだぞ?」
「楽園? 貴様のごとく淀みの塊のような輩の奴隷となり、生き永らえることのどこか楽園だ」
「人間のあるべき姿である神の統治に戻るだけだ。戦に怯えることのない、平穏な世界に生きたいとは思わんのか?」
「詭弁だな。貴様はただ、誰一人言いくるめられなかった愚論をまくし立て、自分が正しいと言いたいだけであろう」
「……お前には分からん。神に触れた者にのみ分かるこの感覚はな。
 他人に助けられて生きることがいかに無様であり、ひと時にしか生きられぬ存在がいかに無意味なものか。私もお前も所詮は人間。何かの支えが無ければ生きていかれぬ。そして、一度死ねばその存在は空となり、後には誰も覚えていない。
 だが、神は違う。永久を自由に生き永久に崇められる。その完璧なる肢体と崇高なる魂から成る、森羅万象の極致にある存在は、視線を交えた者のみが知れるのだ」
 狂っている――。ハーサットは正直にそう感じた。
 
「それが、ディオニール・ゼクソンという男の本性であり、存在だ。
 あやつがハイ・メインを根城にし始めたのは数十年の昔のこと。光の旧約を使って見た目を替えながら、潜み続けた。本物のフェリオ・エネハインという名の男は、おそらくとっくに殺されていよう。
 あやつはフィオメインでハディアの復活に着手する一方で、エネハイン王族の血を生贄にしてセオン紅石の還元を推し進めた。しかし、ラスタニアの王子に追い詰められ、エネハインを潰して逃げた。光の旧約で幻覚を引き起こし、兵士同士で争わせるという卑劣極まりないやり方でな。
 フィオメインの王族は、すでにディオニールの手に堕ちている。先に訪れた時には、もはや皆、亡者の仲間入りを果たしていた」
 アヴェリーはエネハインのフェリオ公を知っていたが、フィオメインのディオニールは知らない。その男が王家を蝕んでいたことなど、初めて耳にする。しかし、親衛騎士隊の豹変ぶりを思い出して、それも考えられない狂言ではないことを知った。心技体を兼ね備えた屈強の騎士たちですらあのような始末なのだから、貴族社会の頂点であぐらをかいている王族がどうなるかなどは、想像に易い。
「そのディオニールはヴェルグールの封印結晶に注目するより先に、カディルの手に目を向けていた。カディルの手というのは、先の大戦で人間が闇の王から切り落としたものだ。先を言ってしまえば、その時に燃やすべきだった。しかし、先人たちはそれを戦利品として残していた。
 ディオニールがその存在を知ったのは、内密に処理されていた結晶石より、戦利品として知れ渡っていた手の方が有名であったからだろう。五指の中の一本を手に入れたディオニールは、その血肉から魔族と同じ力を得る方法を考えた。だが、いきなり己に試すには不安材料が多すぎる。そこで、始めたのが人に投与するという人体実験だった。
 ……実を言うと、ディオニールとヘレが交わした取引はもう一つあった。ヘレがレフェスを自由に飛び回るための体を用意することだ。その取引を守るために、ディオニールは近くの農村からさらってきた農家の娘に魔王の血肉を与えてハディアを造り、ヘレに捧げた。そして、ヘレはその魂の一部をハディアに写したのだ。
 しかし、最初のハディアはすぐに死んだ。魔王の血肉を受け入れるに十分な力を備えていなかったためだ。ディオニールは新たな策を練ることになった。農民などではない、由緒ある血筋の人間が必要になったわけだ」
「それが、フィオメイン王家」
「その通りだ。そして、今日、新たなハディアが生まれた。
 あやつの今の目的は、ヴェルグールの力を得ることだけだ。本当はお主の持っている紅石を奪って帰るはずであったろうが、思いもよらずに追い詰められて撤退したというわけだ」
「一体どこへ?」
「フィオメインだ。ヴェルグールの結晶石はそこへ運び込まれている。ハディアも向かったことだろう。ディオニールが魔族の王にふさわしい力を身に着けたかどうかを確かめるために」
 アウベスの視線はフィオメインの空へと向き、アヴェリーもそちらを見上げた。薄く伸びた雨雲の向こうでぼんやりと光る月が浮かんでいた。

続く