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リルジャの足枷

LXII.流浪の騎士(1)

「アヴェリー殿!」
 眩暈を覚えて腰をかがめたところに、フィルクスが走り寄ってきた。
「すぐに手当てを」
「いや。大丈夫だ。それより肩を貸してくれないか」
「……構いませんが、どちらへ?」
「宝物庫に下りたい」
 グレナードがどうなったのか、それを先に確かめなければならない。いつの間にか大地の揺れが収まっていて、城も崩落していない。ヴェルグールの復活が阻止されたことは間違いがなさそうだが、グレナードは魔竜に打ち勝つことができたのだろうか。あるいはともに滅びたのか。戦いの結末を見届けるのは、生き延びたアヴェリーの責務だろう。
 アヴェリーはフィルクスの足を頼りに地下へと向かった。
 しがみ付いたフィルクスの肩は、しっかりしていた。たった二か月前に、ちょうどこの回廊で、板に乗せたイミールを運ぶのが辛いと弱音を吐いたフィルクスだったが、今覗き込んだ横顔からは青臭さが抜けている。アヴェリーの知らぬ間に何かを得たような、そんな顔だった。
「……驚いたよ。イミールの足止めをしたのはお前だっただな」
 フィルクスが砂海の方陣を使ってアヴェリーを救ったことを思い出し、静かに言った。王女の試練に手を貸したという行為の責めを負わされるとでも思ったのか、フィルクスは顔を落として口ごもった。
「すみません」
「何故詫びる。お前なりの理由があってのことなんだろう?」
「……」
 フィルクスは立ち止った。しっかりしていた肩が急に丸くなり、アヴェリーはふらついた。
「別に、言わなくてもいいぞ。尋問するつもりはないからな」
「いえ。いずれ、お話しするつもりでした。私が親衛騎士隊に入った理由を――」
 フィルクスは自らの生い立ちを語りながら、歩き始めた。両親に死に始まり、ディアクク会に入会するまでのこと。そこで、両親の死に関わる人物としてミアスとシフェルの名を知ったこと。しかし、その先の手がかりはフィルクスの元に訪れなかった。沈黙の時間が青年の好奇心を煽り、フィルクスはシフェルに接近する方法を考えた。丁度その時に耳にしたのが、親衛騎士隊の公募である。
 持ちうる全ての手段を利用して新鋭騎士隊に入り込んだものの、シフェルは簡単に懐を見せなかった。六年と言う長い歳月を経ても、両親の死に結びつく手がかりは一切つかめなかったのである。
 アヴェリーはその理由を知っている。シフェル自身が、王家から警戒されていたからだ。ミアスと言う最も重要な人物がパレグレオ大公国に亡命したことで、証拠というものが残されなかったとはいえ、シフェルは王家の計画を妨害した人物の一人であることは知れ渡っていた。そのために、十六年前のことについて、ひたすら口を閉ざして生きていたはずだ。
 フィルクスはそんなシフェルを観察しながら、親衛騎士隊とのしての務めをまっとうする日々を送っていた。そして、あの日を迎えたのである。
「あのとき、アヴェリー殿の横でエリニス王女の姿を見ていた私は、違和感に気づきました」
 エリニスからは人間らしい呼吸が全く感じられない。立ってこそいるが、持ち手を失った操り人形のようだ。
「どういうことかは分かりませんが、このままではイミールに殺されてしまうと思ったのです」
 アヴェリーと同じ焦燥を、フィルクスは感じていた。
 結果としてアヴェリーは信頼を寄せるシフェルに指示を仰ぎ、待機をしたわけであるが、シフェルにある種の疑いをかけていたフィルクスはそうではなかった。
「……もし、あの時、王女がなくなるような事態におちいれば、全てが閉ざされてしまう気がしました」
 王女の身に何かが起これば、親衛騎士隊のなかでも現場にいた二人と指揮官であったシフェルになんらかの処断が下される。どんな小さな処置であっても、シフェルとの繋がりは断たれてしまうことだろう。両親の死に関する真相を探る者として、それは避けなければならない。
 そして、フィルクスは砂海の方陣を使い、イミールを足止めした。
「とどめを刺したのも、お前か?」
「……あれはただ、一時的にイミールの体の活動を止めただけです。私にできるのはそれくらいですから。もっとも、あんなに早く目覚めるとは思ってもいませんでしたが……」
 目覚めたのはハディアの仕業だろう。イミールの脳が眠ったっことで、額に埋め込まれていた操魔の石が効力を発したのだ。
「なるほど……」
 アヴェリーは一人呟いた。それがフィルクスにどう聴こえたのかは知らないが、フィルクスは安堵したような表情を見せた後で、しかし、再び顔を曇らせた。
「どうした?」
「さっきの女は何者です? エリニス様にそっくりでしたが……」
 アヴェリーは黙した。
 フィルクスは何も知らないのだ。アヴェリーに加勢したのも、ハディアに対する意識からではなく、アヴェリーを救うための行動だったのだろう。
 伝えるべきなのだろうか。シフェルが黙した秘密を。すぐに答えは出せそうになかった。
「……フィルクス。
 必要な知識は必要な時にその人の下にやってくる。慌てて求めるな。急げば害を生むこともある。待っていれば、きっとお前に届く日が来るだろう」
 いずれ教えるとは確約できず、アヴェリーは言葉を選びながら伝えた。フィルクスはしばらく黙った末に言った。
「フィオメインに戻る際、アウベス様にこう言われました。
 フィーレ家の女は魔を冗長し、男は魔を抑制する。姓は変わっても、私はフィーレ家の男。役割を果たす時が来た、と。
 私はその役割は果たせたのでしょうか?」
「……どうかな」
 アウベスの言葉の意味がアヴェリーには何となく理解できた。ハディアの肉体が急激に衰えたのは、アウベスがフィルクスを連れてきたからなのかもしれない。アインガストで別れた時に、もう一人連れて行かねばならないと言ったのも、そういうことなのだろう。
「アウベス殿に訊くといい。
 だが、お前があの場に現れなければ、間違いなく私は死んでいた」
 アヴェリーは微笑み、フィルクスの肩をつよく抱いた。
 それかは静かに回廊を進んだ。少なくとも宝物庫への道が途絶えるその時までは、一言もしゃべらなかった。
 二人を迎えたのは、大地が陥没したかのような巨溝だった。床も壁も天井もほとんどが崩落して、格子状に立ち並ぶ大黒柱は神殿の最下層の様だ。天井に空いた穴から差し込んだ朝の日差しが、穴の底をさらしている。
 アヴェリーはフィルクスの肩を離れて、巨溝の淵に立った。
「下りるんですか?」
 フィルクスが不安そうな声を出す。
「ああ。どうしても見ておかねばならない」
 不自由な足で下りていくには難があるのは承知の上だが、ここで引き返しては心残りだ。
「悪いが、もう少しだけ手を貸してくれないか?」
 フィルクスは固まっていた。面倒がられても仕方はないと思っていたが、その微動だにしない時間が長すぎる。
「フィルクス?」
 瞬きひとつせず、その視線はアヴェリーに向けられていたが、石像のようになっていた。
(――これは術か?)
 一度はしまったアヴェリーの警戒心が再起し、研ぎ澄まされた神経が人の気配を捉えた。それは殺気とは程遠い気配だった。
「驚かせたかな?」
 やってきたのはアウベスだった。地面に着いた時の杖が、フィルクスが制止した理由を物語っている。
「何故フィルクスを?」
「この先のことは、あまり広めたくはないのでな。さあ、降りるぞ」
 アウベスは杖をもう一振りすると、アヴェリーが体に負った傷を消した。体の時間を戻したのだろう。城を駆け回った疲労も、心なしか薄れている気がする。
 下りた先は城跡とさえ思えなかった。転がっている瓦礫の数と強い、割れた地面といい、まるで崩壊から何年も経った遺跡のような情景である。まだ見たことはないが、エネハインでも同じような光景が見られるのかもしれない。
 二人は瓦礫を蹴散らしながら巨溝の底まで下りた。高さとしては、宝物庫よりも低そうだ。城の基盤が目の高さにあるが、大理石が残っているのは、そのさらに上の階層からになっている。今立っている場所は地下洞のあったあたりになるが、湿っていたはずの土は丁寧に挽いた粉のようにさらさらとしている。
「土の旧約だ」
 土に触れながら、アウベスが細い眼をして言った。
「見ておられたのですか?」
「いや。私がたどりついた時には、もう終わっていたよ。
 あれを見なさい」
 目についたのは地面に突き刺さったベイレオハルトだった。そばに黒い鉱石が落ちている。近づいてみると、状況がより鮮明になった。鉱石は落ちているのではなく、埋もれているのだ。
 しかし、周囲を見回しても、グレナードらしき影は何処にもなかった。足元にはたった今アヴェリーがつけた足跡が散らばっているが、それより大きいはずのグレナードの足跡は一つも残されていない。地面に突き刺さった魔剣がグレナードの墓標の様に映る。
「触れるでない!」
 そっとベイレオハルトに手を伸ばすと、アウベスが大声をあげて走り寄ってきた。
「この剣は人間の血を吸うために造られた物だ。触れれば、今度はお主が犠牲になる」
「では、なおさらこの剣をどこかに隠さねば」
「案ずるな、アヴェリー。じきに流砂に飲まれて地下に沈むだろう。我々以外、誰も知らぬところとなる」
 そう言われて、アヴェリーはアウベスがフィルクスの時間を止めたことを理解した。もう一度、魔剣に目をやると、ベイレオハルトは自身の重みでずぶずぶと沈み始めている。
 アヴェリーは再び、今度は注意深く辺りを見回した。グレナードが流砂に飲まれてしまったのではないかと、そう思った。しかし、やはりその痕跡もなかった。彷徨ったアヴェリーの視線は、やがてアウベスに止まった。
 アウベスはその視線の意味を察して、首を横に振る。
「残念だが、彼はもうこの世におらん」
「……」
「そこに埋まっているのは、土の旧約の証だ。土の旧約は、血と引き換えに万物を吸収する力を授ける。グレナードはその力を使ったのだろう。ヴェルグールを自身の体に飲み込んだのだ」
「そんなことができるのですか?」
 アヴェリーは顔をしかめた。
 あれほどの脅威になった魔竜を旧約の力一つで吸収してしまうなど、にわかには信じがたいことだ。しかし、アウベスは大きく頷き、こう付け足した。
「既に目にしているはずだよ。その鉱石がなんであるか、よく見てみると良い」
 アヴェリーは膝をついて、鉱石をいろいろな角度から眺めた。
 黒い鉱石だと思ったが、よく見るとそれは透けて見えた影の色で、実際には清水のように透明感にあふれている。フィオメインの夜市で見かける高純度の水晶石のようだ。
「分からぬかな?」
 石の表面に触れて気がついた。
「……セオン紅石?」
「その通り。ヴェルグールを封じ込めていたのは土の旧約なのだ。ヴェルグールの封印がなぜ人間の血で解かれたか、よく分かるだろう。ディオニールは王族たちの血を代償に土の旧約を目覚めさていたのだ。それが『血の解法』の正体だよ。
 その気になれば、グレナードにもヴェルグールを元のように土の旧約の証の中に閉じ込めることもできたはずだ。しかし、彼は自身の体に取り込むことを選んだ。己の体が魔剣の呪いにより朽ち果てることを見通していたからだろう。魔竜を後世に残さず、共に滅びる道を選択したのだ」
「しかし、アウベス殿。彼は自身に旧約を扱う資格が無いと言っていました。旧約は人間にのみ許された力だ、と」
「旧約は扱う者の肉体を選んだりはせん。彼の体が魔族と化そうと、石と化そうと、持っている魂が人間であれば、その役割を果たす。私自身が良い例だ。他人からすれば、私は寿命という概念を失った化け物だが、こうして時の旧約を操っておる」
「……あなたは一体?」
「ディオニールと同じ、死線を越えてしまった者だよ。あるいは、陽に疎まれし者。古い言葉で<ドニアム>だ。陽の元では暮らせぬ、悲しい体だ」
 アウベスは蔑んでそう言った。
「それは、闇の旧約――?」
 そんな旧約があるのか知らないが、もっともらしいと思い口にしてみると、アウベスは見事に笑い飛ばしてくれた。
「ははは、そんなものはないよ、アヴェリー。
 完璧な存在である神は闇を抱かない。あらゆる生物の中で、闇を生み出すのは人間だけだ。私のは、言うなればただの呪いだ。死ぬこともできず、ひたすら闇を渡り歩くしかない」
 アウベスは自身のことについて、それ以上は語らなかった。
「アウベス殿。私は、風の旧約を契りました。何を捧げることになるのでしょう」
 唐突に不安になった。寿命を捧げる時の旧約。血を捧げる土の旧約。ディオニールが手にした光の旧約が何を犠牲にしているのか聞いたことはないが、無限の命を生む秘宝が何の代償もなく使えるとは思えない。風の旧約を手にしたことで、アヴェリーがどのような罰則を受けるのか。知るとすれば目の前の人物からでしかない。
「……お主の居場所だ」
 荘厳な口調で、アウベスが言った。

続く