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リルジャの足枷

LXIII.流浪の騎士(2)

「居場所?」
「言うなれば、故郷のことだ」
 アウベスがはねつけた。
「つまり、エネハインが無くなってしまうということですか?」
「いや、そうではない。単純にお主は帰れなくなった、ということだ。
 お主には風と同じ運命が与えられた。風は留まることを許されない。ひたすらに世界を巡り、突き進むしかない」
 アヴェリーの口から、安堵の息が漏れた。もっと残酷なものを予想していたからだ。
「アヴェリー。甘く見るのはいかんな」
 アウベスはそんなアヴェリーを叱責した。
「この世のほとんどの生き物は住処を持っている。例え、故郷を失った者も、あるいは自らの意志で離れた者も、どこかで第二の故郷を築き、そこに留まる。魔族だって、魔物だってそうだろう。どんなに長くともいつか必ず帰る場所があり、そこへ向かって歩く。全ての冒険も旅も、物語さえも、同じことだ。帰ることが結末となるのだ。
 しかし、お主はその場所を失った」
 アウベスの言葉を聞くにつれて、馬鹿にならない、と率直に思った。
 エネハインからフィオメインへと渡り歩き、罪を着せられて出奔したアヴェリーも、流浪の身はいつか終わる日が来ると思っていた。フィオメインに戻る日か、エネハインに帰る日が、本当の意味で安堵の息をつく日だと、そう思っていた節がある。しかし、その瞬間は決して訪れないということだ。無意識にため息が漏れた。
「……シフェルが風の旧約を託したのは、お主なら、その境遇に耐えられると判断したからだろう。厳しいようだが、受け止めなさい。それがリルジャの足枷なのだ」
「……それは、神々につけられた足枷の事では?」
「歴史上ではな。だが、リルジャは同時に人間にも足枷を付けた。旧約に伴う代償という名の足枷だよ。むしろ、人間たちに対する意味合いの方が大きい。リルジャの足枷は、お主のように契った者を縛りつけるだけではない。人間の進歩を阻むものだ。旧約という者がある限り、人間は神の力に頼り続けるだろう」
 アウベスの視線は、アヴェリーの腰にぶら下がった剣に落ちた。気がつけば放ったはずの旧約の証がいつの間にか、そこに収まっている。
「彼らはアークだ。常に箱舟とともにあり、どこかに留まることはないというのに、それでも人は神を信じて止まない。強大な力を持つ彼らが、いつか人々を救い世界に平穏をもたらしてくれると信じている。人間は、この世から神が去ったことを認めながら、今でも神がどこかで見守っていると考えている。
 私が宣教師となったのはそうした考えを改めさせるためだった。ディアクク会を興し、人間が本来持っている力を信じることができなくなった者達が神への信仰に逃れないように、手を差し伸べてきた。
 それが、私の長い年月のほとんどを埋めるものだ。終わりの見えない旅路のようなものだよ。しかし――」
 アウベスが空を見上げた。空を制し始めた太陽が穴の開いた天井から覗き込んでいる。戦火の中で見上げたアインガストの星空のような情景だった。
「いくつもの混乱や戦乱をはさみ、人は少しずつ強くなりはじめた。己の手で運命を変えることをに挑み始めたのだ。特にミアスがそうだった。
 ミアスは幸も不幸も受け止めて、強く生きようとしていた。ふさぎ込んだ兄を陽の元に連れ出し、己の抱く正義を貫いた。正しい意味での人道が、ようやく兆しを見せ始めたのだ。人はアークなど頼らずとも生きていける、と。
 結局は強すぎる相手を前に旧約に手を出さざるを得ない事態になってしまったが、人間たちが主導になってレフェスに忍び寄るヘレの影と戦ったのだよ。人間と魔族の最初の戦いとは大きな違いだ。
 私はそれが嬉しかった。
 分かるかな? アヴェリー。闇とともにある私には、陽の光が痛くて見られたものではないが、その闇の中でついに人の光を見ることができたのだよ」
 アウベスは感極まっていた。その喜びがひしひしとアヴェリーに伝わってくる。そして同時に、頭の下がる思いになった。
「さて、そろそろ刻限だな」
 アウベスにつられて天を仰ぐと、日が徐々に光を増して廃墟となった城の中に差し込んできている。陽を避けて暮さねばならないというアウベスにとって苦々しい時間が迫ってきたというのだろう。
 この場に留まれないことはアヴェリーにもよくわかった。立っているだけで、少しずつ砂に飲み込まれていくのだ。見た時はアヴェリーの肩まであったベイレオハルトが、いつの間にか腰の近くまで沈み込んでいる。
「長くなったが、ここでお別れだ。私はこのまま砂の下にもぐり、夜を待つとしよう」
 アウベスが静かに手を差し伸べる。アヴェリーはその手を固く握った。
「アヴェリー・オルフ。修行路を旅してみよ。エイシー・ノイ・アルアを巡る風となり、レフェスの全てを学ぶのだ」
「――わかりました」
 アヴェリーが別れを告げた後、アウベスはいつまでも笑っていた。その後ろでベイレオハルトが沈みながら揺れている。アヴェリーには、グレナードが別れを告げているように見えた。

「よう、旦那。一年ぶりだな」
「気安く言うな。だいたい、その余裕は何処から沸いてくる」
 レドベグの第一声をなれなれしく感じ、ハーサットは肩の埃を払うようにそっけなく応じた。二人に温度差があるのは、間にあるの鉄格子のせいだけではないだろう。
 戦いから一年――。
 フィオメイン王家の崩壊により、小国がせめぎ合うこの地方の力関係は大きく変化したが、それ以前に国家という形をうしなっていたエネハインはその奔流に飲まれることもなく、一つの平等の元に、民衆による自治を続けていた。
 もちろん、それに至るまでには一つの大きな転機があったことを忘れてはならない。実のところ、その大きな転機をもたらしたのは、ハーサット自身である。ハーサットが光の旧約とともに持ち帰った話により、エネハインの騎士として勤めていた者たちの戦いが本当の意味で終焉を迎えた。
 もっとも伝えた話の中で、ディオニールのことは伏せた。真実とはいえ、最後に看取ったエネハイン王家の人間が諸悪の根源であったとは言いづらかったからだ。そのほかにも、グレナードやアンクレット・アークの正体など、ごまかした部分は多かったが、ハーサットに説明を求める声よりも諦める声の方が多く、フェリオ公の形見とも言えた光の旧約は取り返すことができたのだから結末としては申し分ないだろうと、それ以上を言及する者はいなかった。
 皆の眼がエネハインの未来に向いてから、復興は加速した。支配力を強めていたディアクク会は、自治が活性されるにつれてなりを潜めるようになり、土地を離れていた者たちも戻り始めた。その帰参した者の一人が、レドベグである。
「それで、何をしに戻って来た?」
「旦那に会いに来たのさ」
「馬鹿を言え。だったら、なぜわざわざ商家に忍び込む」
「街中で俺と遭遇しても味気ねえだろ? それに、俺みたいな奴がいねえと、せっかくの牢屋が泣く。客の入らない宿と一緒さ」
 レドベグが厭らしい笑みを浮かべ、ハーサットの額に欠陥を浮き上がらせる。後ろ手に縛られているくせに余裕綽々であるのが、鼻についた。
「ふん。お前の宿と一緒にするな」
「失礼だな。俺の宿はそこそこ繁盛してるよ。まあいいや、ちと話をしないか」
 レドベグの眼が鋭く光った。
 スタインバードからの道のりを考えれば、ただ事ではないと予感はしていたが、こちらの想像以上に大きなことを抱えているらしい。ハーサット周囲に気を配って誰もいないことを確認すると、地べたに座り込んだ。
「アヴェリーの旦那を探しているそうだな」
 戦いぬいた友の名前を聞いて、ハーサットは瞬時に朝焼けのフィオメインを思い出した。
 アヴェリーに後を任せ、這うようにしてフィオメイン城を脱出したハーサットは、城下町でアヴェリーとグレナードの帰還を待っていた。しかし、地震が収まった後も二人は戻らなかった。体が完全に復調するまでの数日間を町に留ったが、それも無駄に終わった。仕方なしにハーサットは光の旧約を手にエネハインに帰り、以来アヴェリーとは何の連絡もついていないのである。
 そのアヴェリーを探しているという情報を、レドベグがどこで仕入れたのかは知らないが、ハーサットは黙って頷いた。ハーサット自身には情報を仕入れる手立てがなく、手をあぐねていたところだ。得られる情報があるなら、仕入れ先には構っていられない。
「あいつは何処で何をしている?」
 ハーサットが前のめりになると、レドベグは肩をすくめた。
「落ちつけよ、旦那。俺もそこまでは分からねえ。
 ただ、どうやら追われているらしい」
 ディオニールにハディア。一年たっても忘れられない二人の顔が脳裏によみがえったが、すぐに消えた。アヴェリーを追い回す者として思いついたのは、その二人ぐらいだが、ディオニールはハーサットの目の前で確かに死んだし、ハディアが生きているようなら、こんな会話をしている今は訪れていなかっただろう。それを思えばこそ、アヴェリーとグレナードに感謝しなければならない。そして、感謝の分だけ、英雄の帰還を望む気持ちが強くなる。
「誰に追われているのだ?」
「フィオメインの旧王位復権派貴族だ」
「旧王位復権派貴族?」
 聞きなれない言葉が鼓膜を直撃して、ハーサットは声を上げた。幸い、周囲には誰もいない。
「簡単に言えば、フィオメインに正規の王を迎えて国を建て直そうとする貴族の残党だ」
「……よく分からんな」
「はじめから話そう」
 レドベグはスタインバードの夜と同じように、静かな口調で語り始めた。
 エネハインと同じように王族が一夜にして消え、国の中枢を失ったフィオメインは混乱で満たされていた。ただ、エネハインと血筋を同じくする兄弟国であっても、両国の間にはその後の出来事に決定的な違いがあった。それは、王族にぶら下がっていた貴族たちの存在によるものである。
 神官や呪術師などの旧支族の権力が強かったフィオメインは、難を逃れた者たちが中心になって、王権を復活させようという動きが起こった。大きな理由の一つには、彼らがリーニスの存在を知っていたからである。狙いはまさに、王家の血を引くリーニスを国の中心に立たせ、裏から政治を行おうという野心にあふれるものであった。
 しかし、パレグレオ大公国に亡命した扱いになっているリーニスには手出しができなかった。大公国に断りもなくリーニスを誘拐すれば事が大きくなるのは明らかだ。そこで、王位復権派の手はアヴェリーへと伸びた。アヴェリーがパレグレオ大公国と良好なつながりを持っていいたためである。
「アヴェリーの旦那としても、悪い話ではなかったはずだ。何しろ旦那には着せられた罪がある。それを帳消しにできる機会が与えられたと思えば、断る理由はない」
「……で、応じたのか」
「表向きには――」
 レドベグはうなずいた後で、付け足した。
「だが、最終的には復権派を裏切った」

続く